極める漢文1

ゴロゴネットオンラインフリー学参「極める漢文1」

はじめに ビジュアル解説&音声解説付き問題集で、漢文の基礎力を徹底強化! この『極める漢文』シリーズは、全二巻でセンター漢文攻略のための要素を網羅する構成になっていま す。 まず1の「基礎・必修編」では、漢文初心者を対象に、基本的な句法の知識を使って解く問題からス タートです 。一問一答式になっているので、短時間で勉強でき、ポイントが絞られているので漢文演習を これからはじめる人でも効率的に学べます。 問題の解説は、 「板野のビジュアル解説」 & 「音声解説(DVD付き版では映像解説)」 にて行います。

ビジュアル解説で、「板野がどう解くか」という解き方の流れや、解法ポイントを問題に直接書き込み 視覚的に説明しています。正解への筋道をここでしっかり掴んで下さい。さらに付属の音声解説で、より 詳しい説明を行うとともに、学習のペース配分や細かいフォロー、入試対策情報もバッチリ講義します。 無料でセンター試験・過去問の音声解説が聴ける! この問題集を買ってくれた人は、 無料でセンター試験・過去問の音声解説が聴けます 。『極める漢文』 と『漢文ゴロゴ』をマスターしたあとは、過去問演習で本番対策をしてください。制限時間を守って本番 のつもりで解き、板野の音声解説を真剣に聴いて勉強です。目指すは、センター漢文満点! 文 満点! 板野と一緒に漢文を極めよう!

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「極める漢文」 シリーズ構成 漢文を極め、 「合格」の頂を目指そう!

センター満点を 目指そう!

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過去問演習

実践力を養う 2. センター試験編 応用的な句法、また読解問題を通 して、より実践的な力を養う。

応用演習

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重要句法を一問一答で

基礎演習

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1. 基礎・必修編 漢文攻略に必要な基本的な句法を 演習を通して一気に復習。

さぁ漢文の 基礎知識を 一気に攻略だ! 基

スタート

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15 10 「本書の利用法」 1  本書の問題はセンター漢文の過去問から厳選し、再構成したものです。漢文の基本的 かつ重要な句法を中心に、効率よく漢文をマスターしていける仕組みになっています。 2  第1〜 講までは、一問一答式に構成したものです。 制限時間の5分以内を目安に解 くよう心掛けてください。後半の総合問題は 分以内が制限時間です。 3  問題を解き終えたら、『解答解説編』のビジュアル解説を見ながら「板野の音声解説」 を聴いてください。 (DVD付き版には「映像解説」も収録されています。) ※音声解説の聴き方は、巻末の袋とじを参照してください。

5  一通り終えた後は、問題本文を見て自力で書き下し文が「音読」できるようになるま で復習しましょう。はじめは「書き下文・読み上げ音声」を聴きながら、本文を目で追っ ていきます。つまったり、口語訳がわからない箇所があれば「書き下し文・口語訳」ペー ジで確認ししょう。書き下し文をスラスラ音読し、同時に頭の中で口語訳ができるま で繰り返してください。

4  「板野の音声解説(映像解説)」では、ビジュアル解説の赤字になっている部分の説明 を含め、より詳しく講義しています。自分にとって必要な説明があれば、『解答解説編』 の該当ページに書き込んで、自分なりの完全版を作り上げてください。

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板野の渾身の音声解説を聴いて、一緒にセンター漢文を突破しよう! 『極める漢文』シリーズの最大の特徴としては、各巻に「板野の音声解説」が付いていることです。各講 の詳しい解説はもちろんのこと、プラスアルファとて、 ・最新年度を含む、センター試験・過去問の音声解説 なども披露しているので是非聴いてください! そのためには、 「ゴロゴ.net」にアクセスして、巻末に付いているハイブリッドコードを登録してくだ さい 。詳しくは、巻末の袋とじの中に掲載しています。是非是非、板野の渾身の講義を聴いてください。

!! ※本問題集と必ず併用してほしいのが『漢文ゴロゴ』です。『漢文ゴロゴ』には、漢文学習に必須の句法 や重要漢字・語句、そして漢文ゴロが掲載されています。併せて使えば威力倍増です

『無料』のセンター試験過去問解説を聴いて、 満点を目指せ!

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1 目次 解答解説編(ビジュアル解説) 第 講  劉向『列女伝』 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 対句 第 講  秦観『淮海集』 ―――――――――― 対句 • 3 • • • • 5 • •

4 第8講 張履祥 『楊園先生全集』 ―――――――――――――――――――――――――――――― 二重否定 不可 第 講  胡儼『胡祭酒集』 ―――――――――― ― 二重否定 比較

2 第 講  『朱子文集』 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 再読文字 使役 第6講 鍾嗣成『録鬼簿』 ―――――――――― 再読文字 反語 第7講 王弘撰『山志』 ―――――――――――――――― ― 使役 限定 部分否定 9 • •

• 第 講  周煇『清波雑志』 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 使役 返読文字 第 講  呉曾『能改斎漫録』 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 返読文字 比況 • • • • • • •

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• 書き下し文・口語訳 ―――――――――――――――――――――――――― 漢文句法 ゴロ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

12 総合問題 蔡絛『鉄囲山叢談』 ―――――――――――――――――――――――――――――― 漢字の意味 心情 筆者の主張 総合問題 范攄『雲渓友議』 ――――――― ― 漢詩(押韻) 返り点 書き下し 内容合致 56

• 第 講  胡直『衡廬精舎蔵稿』 ――――――――――――――――――――――――――――――― 比較 第 講  紀昀『閲微草堂筆記』 ――― ― ―― 漢詩(押韻) 2 • • • •

10 第 講  劉開『劉孟涂集』 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 部分否定 再読文字 第 講  『呂氏春秋』 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「何〜也」=疑問・反語・詠嘆 第 講  倪思『経鉏堂雑志』 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 反語 二重否定 第 講  張燧『千百年眼』 ―――――――――― 累加 • 11 • • • 13 • 14 15 • 1 • • •

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書き下し文・口語訳

1 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 (衛霊公の)夫人が言うには、「私はこのように聞いております。『礼記』に大夫の行う礼として、君主の住む 宮殿の門前では車を下り、君主の馬に対しては敬礼するとありますが、これは君主に対する敬意をあらわすため のものです。そもそも忠臣と孝子とは、人が見ているからといってわざと礼儀を誇張することはないですし、見 ていないからといって礼行を怠るということもありません。 蘧 伯玉は衛の国に知られる賢明な大夫です。仁徳が あっ知恵もあり、敬意をはらって君主である陛下にお仕えしております。暗闇であったとしても礼節を欠く人 ではけしてございません。こういうわけでこのこと(門を通り過ぎた人物が 蘧 伯玉であること)が分かったの でございます」と。衛霊公が侍者に見に行かせたころ、まさしく 蘧 伯玉であった。 第 講  劉向『列女伝』 書き下し文・口語訳 夫 ふ 人 じん 曰 い はく、「妾 せふ 聞 き く、礼 れい に公 こう 門 もん に下 くだ り、路 ろ 馬 ば に式 しよく するは、敬 けい を広 ひろ むる所 ゆ 以 ゑん なりと。夫 そ れ忠 ちゆう 臣 しん と孝 かう 子 し とは、昭 せう 昭 せう の為 ため に節 せつ を信 の べず、冥 めい 冥 めい の為 ため に行 おこなひ を堕 おこた らず。 蘧 きよ 伯 はく 玉 ぎよく は衛 ゑい の賢 けん 大 たい 夫 ふ なり。仁 じん にして智 ち 有 あ り、上 かみ に事 つか ふるに敬 けい あり。 此 こ れ其 そ の人 ひと 必 かなら ず闇 あん 昧 まい を以 もつ て礼 れい を廃 はい せず、是 ここ を以 もつ て之 これ を知 し る」と。公 こう 之 これ を視 み しむるに、果 は たして伯 はく 玉 ぎよく なり。

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書き下し文 口語訳

2 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 そもそも兵法には、いわゆる常があり、いわゆる変がある。自分の軍勢が敵の十倍であれば敵を包囲して屈 服させ、五倍であれ攻撃して破り、匹敵しない軍勢であれば退却するというのが、兵法におけるいわゆる常で ある。少数の兵力多勢の敵を破るというのが、兵法におけるいわゆる変である。古の兵法に巧みな者は、少数 の兵力で多勢の敵を破ることが可能だとしても、十倍で囲み五倍で攻めるという兵法の常道はゆるがせにはしな かった。これがいわゆる小変は行っても大常は失わないとうことである。 第 講  秦観『淮海集』 書き下し文・口語訳 夫 そ れ兵 へい を用 もち ふるの法 ほふ は、所 いは 謂 ゆる 常 じやう 有 あ り、所 いは 謂 ゆる 変 へん 有 あ り。什 じふ なれば則 すなは ち之 これ を囲 かこ み、伍 ご なれば則 すなは ち之 これ を攻 せ め、敵 てき せざれ ば則 すなは ち之 これ を逃 のが るるは、兵 へい の所 いは 謂 ゆる 常 じやう なり。寡 くわ を以 もつ て衆 しゆう を覆 くつがへ すは、兵 へい の所 いは 謂 ゆる 変 へん なり。古 いにしへ の善 よ く兵 へい を用 もち ふる者 もの は、能 よ く寡 くわ を以 もつ て衆 しゆう を覆 くつがへ すと雖 いへど も、什 じふ 囲 い 伍 ご 攻 こう の道 みち は未 いま だ嘗 かつ て忽 ゆるが せにせず。所 いは 謂 ゆる 小 せう 変 へん を行 おこな ふも其 そ の大 たい 常 じやう を失 うしな はざるなり。

書き下し文・口語訳

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3 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 張無垢が言うには、「私めは、よその家の子弟で素直でつつしみ深く頭の回転も早い者を目にしたときには、 この子を愛する気持ちは、ふつう人が宝物を大事にするように埋もれて傷がつくのを恐れるだけでなく、なんと かして高い地位につかせてやりたいと思う。だから、よその家の子弟を教えるにあたっては、わずかばかりでも 欺こうとする心が生じたことはけっしてない。」 第 講  周煇『清波雑志』 書き下し文・口語訳 張 ちやう 無 む 垢 こう 云 い ふ、「某 それがし 人 じん 家 か の子 し 弟 てい の醇 じゆん 謹 きん 及 およ び俊 しゆん 敏 びん なる者 もの を見 み れば、之 これ を愛 あい すること啻 た だに常 じやう 人 じん の宝 たから を愛 あい するがごと く、唯 た だ其 そ の埋 まい 没 ぼつ 及 およ び之 これ を傷 しやう 損 そん するを恐 おそ るるのみならず、必 かなら ず之 これ をして尊 そん 貴 き の所 ところ に在 あ らしめんと欲 ほつ す。故 ゆゑ に人 じん 家 か の子 し 弟 てい を教 をし ふるに、敢 あ へて一 いつ 点 てん の欺 ぎ 心 しん も萌 きざ さず。」

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書き下し文 口語訳

4 〈書き下し文〉 古の人が言うには、「つねにうまく人を救う。だから人を見捨てることはない」と。加えて、大丈夫たる者が 学問に志すにあたって、神聖なる君主にめぐりあって正しい道を行いたいと思うのは当然のことである。天下に 一人でもその恩沢を受けない者がいのではないかと思うことは、自分が押して溝の中に突き落としたかのよう である。すべて民に恩沢を及ぼすことができるのは、もとより宰相のみである。すでにその地位を得ることが できないのであれば、人を救いたいという心を実行できるものとしては、良医が一番である。 第 講  呉曾『能改斎漫録』 書き下し文・口語訳 古 こ 人 じん 云 い へる有 あ り、「常 つね に善 よ く人 ひと を救 すく ふ、故 ゆゑ に人 ひと を棄 す つる無 な し」と。且 か つ大 だい 丈 ぢやう 夫 ふ の学 がく に於 お けるや、固 もと より神 しん 聖 せい の 君 きみ に遇 あ ひ、其 そ の道 みち を行 おこな ふを得 え んと欲 ほつ す。天 てん 下 か の匹 ひつ 夫 ぷ 匹 ひつ 婦 ぷ に其 そ の沢 たく を被 かうむ らざる者 もの 有 あ るを思 おも ふこと、己 おのれ の推 お して之 これ を 溝 みぞ の中 うち に内 い るるがごとし。能 よ く小 せう 大 だい の生 せい 民 みん に及 およ ぼす者 もの は、固 もと より惟 た だ相 しやう のみ然 しか りと為 な す。既 すで に得 う べからずんば、 夫 そ れ能 よ く人 ひと を救 すく ふの心 こころ を行 おこな ふ者 もの は、良 りやう 医 い に如 し くは無 な し。 〈現代語訳〉

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5 〈書き下し文〉 大 たい 抵 てい 書 しよ を観 み るには、先 ま づ須 すべか らく熟 じゆく 読 どく し、其 そ の言 げん をして皆 みな 吾 われ の口 くち に出 い づるがごとからしむべし。継 つ ぐに精 せい 思 し を以 もつ 〈現代語訳〉 おおよそ四書五経を精読するには、第一にその言葉が全て自分の口から出たもののようになるまで熟読しなけ ればならない。次にくわしく考え、その意味が全て自分の心から出たもののようにする。そうして初めてその道 理を理解することができる。文意に疑問があり、多くの説が入り乱れているときは、先入観を捨てた心で静かに 思索するのがよく、性急にいずれかの説に決めつけたりしてはいけない。 講  『朱子文集』 書き下し文・口語訳 てし、其 そ の意 い をして皆 みな 吾 われ の心 こころ に出 い づるごとからしむ。然 しか る後 のち 以 もつ て得 う ること有 あ るべきのみ。文 ぶん 義 ぎ に疑 うたが ひ有 あ りて、衆 しゆう 説 せつ 紛 ふん 錯 さく するに至 いた りては、則 すなは ち亦 また 虚 きよ 心 しん 静 せい 慮 りよ して、遽 にはか に其 そ の間 かん に取 しゆ 捨 しや する勿 な かれ。

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6 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 人がこの世に生まれたときには、すでに死んだ者を死者とみなすことを知っているだけで、まだ死んでいない 者が死者であることもあということを知らない。酒のかめや飯の袋のように、酔ったり夢見たりするだけで、 ひとかたまりの土くれ同然の者は、生きているとっても、すでに死んでいる人間とどこも異ならない。 第 講  鍾嗣成『録鬼簿』 書き下し文・口語訳 人 ひと の斯 こ の世 よ に生 う まるるや、但 た だ已 すで に死 し せる者 もの を以 もつ て鬼 き と為 な すを知 し るのみにて、未 いま だ死 し せざる者 もの も亦 また 鬼 き なるを知 し らざるなり。酒 しゆ 甕 をう 飯 はん 嚢 なう の、或 ある いは酔 ゑ ひ或 ある いは夢 ゆめ み、塊 かい 然 ぜん たる泥 でい 土 ど のごとき者 もの は、則 すなは ち其 そ の人 ひと 生 い けりと雖 いへど も、已 すで に 死 し せるの鬼 き と何 なん ぞ異 こと ならんや。

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7 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 蘇文忠公は監獄出てからというもの、すでに死んでいるものの肉だけを食べて、生きているものを食肉にす るため殺したりすることは決してなかった。蘇文忠公が自ら言うには、「(そうすることで)何か求めていること があわけではない。自分自身が獄中で憂いや困難を経験したことは、ニワトリやアヒルが台所にいることと異 ならないので、自分の腹の足しのために生きてるものに計り知れない恐怖と苦しみを受けさせたくなという ことだ」と。いまだに肉食を止めることができないのならば、蘇文忠公のこの戒めを当然守るべきで、それでま あ認められる。 第 講  王弘撰『山志』 書き下し文・口語訳 蘇 そ 文 ぶん 忠 ちゆう 公 こう 獄 ごく を出 い でてより後 のち 、但 た だ已 すで に死 し せるの物 もの のみを食 くら ひ、絶 た えて一 いつ の生 い けるものをも宰 さい 殺 せつ せず。自 みづか ら謂 い へ らく、「求 もと むる所 ところ 有 あ るに非 あら ず。己 おのれ の親 みづか ら患 くわん 難 なん を経 ふ ること、鶏 けい 鴨 あふ の庖 はう 廚 ちう に在 あ るに異 こと なる無 な きに因 よ りて、復 ま た口 こう 腹 ふく の 故 ゆゑ を以 もつ て、有 いう 生 せい の類 たぐひ をして無 むり 量 やう の怖 ふ 苦 く を受 う けしむるを致 いた さざるのみ」と。今 いま 未 いま だ肉 にく を断 た つ能 あた はざれば、当 まさ に文 ぶん 忠 ちゆう 公 こう の此 こ の戒 いまし めを守 まも るべくして可 か なり。

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8 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 物として蓮を愛好する者は、ある者は香りを挙げ、ある者は姿の美しさを挙げるが、いまだ蓮が持ちあわせる 徳を十分に理解した者はいない。周子が「愛蓮説」を提出してからは、その徳を称賛しない者はいない。だが、 蓮の持つ才(実用的な価値)には及んでいないのである。 窃 ひそか に用 よう の大 だい なる者 もの を見 み るに、実 み と根 ね とは以 もつ て 籩 へん 豆 とう に供 きよう すべく、以 もつ て民 たみ の食 しよく に充 あ つべく、以 もつ て疾 しつ 疢 ちん を療 りよう すべし。 細 こま かきは葉 は ・鬚 しゆ ・茎 くき ・節 ふし に至 いた るまで、一 いつ として人 ひと の採 さい 択 たく に資 し すべからざる者 もの 無 な し。

蓮 はす の物 もの たる、之 これ を愛 あい する者 もの 或 ある いは臭 しう 味 み を以 もつ てし、或 ある いは芳 はう 沢 たく を以 もつ てするも、未 いま だ能 よ く其 そ の徳 とく を知 し る者 もの 有 あ らざる なり。周 しゆう 子 し 之 これ が説 せつ を為 な してよりして、人 ひと 其 そ の徳 とく を称 しよう せざるなし。然 しか れども未 いま だ其 そ の才 さい に及 およ ばざるなり。 ひそかに蓮の主たる用途を考えてみると、実と根は祭祀において供され、民の食事に充てられ熱病の治療に も用いられる。細かいところでは、葉・花のおしべ・茎・節にいたるまで、一つとして人が採取て役に立た い部分はない。 第 講  張履祥『楊園先生全集』 書き下し文・口語訳

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9 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 ああ、人間は鼠よりも賢くすぐれているのだが、鼠を捕まえることに関しては、人間にはできなくて猫にはで きる。猫は人間よりも賢くすぐれているということはないが、鼠は猫を恐れて人間を恐れない。だとすれば、そ れぞれにはそれぞれの役割があるのである。君子もまたその役割を全うするのみである。 第 講  胡儼『胡祭酒集』 書き下し文・口語訳 噫 ああ 、人 ひと 鼠 ねずみ よりも霊 れい ならざるに非 あら ざるも、鼠 ねずみ を制 せい すること人 ひと に能 よ くせずして貍 り 奴 ど に能 よ くす。貍 り 奴 ど 人 ひと よりも霊 れい なる に非 あら ざるも、鼠 ねずみ 貍 り 奴 ど を畏 おそ れて人 ひと を畏 おそ れず。然 しか らば則 すなは ち彼 かれ 各 おのおの 職 しよく 有 あ るなり。君 くん 子 し の其 そ の職 しよく に居 を る者 もの も亦 ま た其 そ の職 しよく を尽 つ くすのみ。

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10 〈書き下し文〉 智 ち 者 しや の千 せん 慮 りよ にも、必 かなら ず一 いつ 失 しつ 有 あ り。聖 せい 人 じん の知 し らざる所 ところ 、未 いま だ必 かなら ずしも愚 ぐ 人 じん の知 し る所 ところ と為 な さずんばあらざるなり。 〈現代語訳〉 智者の並ならぬ思考にも、必ず何かしら誤りがあるものである。聖人の知らないことは、愚人の知るところで ないということでは必ずしもない。愚人にできることは、聖人にできるところということでは必ずしもない。道 理に絶対 はないし、学問にも終着点はない。だとすれば、(学問に)質問するということは不可欠な ものである。 第 講  劉開『劉孟涂集』 書き下し文・口語訳 愚 ぐ 人 じん の能 よ くするところ、未 いま だ必 かなら ずしも聖 せい 人 じん の能 よ くせざる所 ところ に非 あら ずんばあらざるなり。理 り に専 もつぱ ら在 あ ること無 な く、学 がく に止 とど まる境 さかひ 無 な きなり。然 しか らば則 すなは ち問 と うこと少 か くべけんや。

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11 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 荊の荘哀王は雲夢の地で猟をして、随 兕 という珍獣を射当てた。(すると)申公子培が王を脅かしてそれを奪 い取ってしまった。王が言うには、「なんと申公子培は粗暴で無礼なことか」と。(そこで)官吏に命じて申公子 培を誅殺しようとした。(すると)側に仕える大夫たちがみな御前に進み出て諫めて言うには、「子培は賢者でご ざいます。しかも、百人にも匹敵する王の家臣でございます。これにはきっと理由があるはずです。どうか子培 の考えをお察し下さいませ」と。三か月も経たないうちに子培は病気で亡くなた。 第 講  『呂氏春秋』 書き下し文・口語訳 荊 けい の荘 さう 哀 あい 王 わう 雲 うん 夢 ぽう に猟 れふ し、随 ずい 兕 じ を射 い て、之 これ に中 あ つ。申 しん 公 こう 子 し 培 ばい 王 わう を劫 おびや かして之 これ を奪 うば ふ。王 わう 曰 い はく、「何 なん ぞ其 そ れ暴 ばう に して不 ふ 敬 けい なるや」と。吏 り に命 めい じて之 これ を誅 ちゆう せんとす。左 さ 右 いう の大 たい 夫 ふ 皆 みな 進 すす み諫 いさ めて曰 い はく、「子 し 培 ばい は、賢 けん 者 じや なり。又 また 王 わう の百 ひやく 倍 ばい の臣 しん たり。此 こ れ必 かなら ず故 ゆゑ 有 あ り。願 ねが はくは之 これ を察 さつ せよ」と。三 さん 月 げつ を出 い でずして、子 し 培 ばい 疾 や みて死 し す。

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12 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 昔から大臣や高官になるべき者は必ず先に困苦して、その後に高い地位につくものである。どうして先と後と で不釣り合いなのだろうか。困苦しているまさにその時に、造物者はどうしてその者が後に受ける地位をあらか じめ与え、少しでもその困苦の状態を助けることができないだろうか(いや、造物者にはそうした能力がある)。 第 講  倪思『経鉏堂雑志』 書き下し文・口語訳 古 いにしへ より卿 けい 相 しやう 達 たつ 官 くわん は必 かなら ず先 さき に困 こん 苦 く して後 のち に乃 すなは ち貴 たつと し。何 なん ぞ前 ぜん 後 ご の均 ひと しからざるや。其 そ の困 こん 苦 く するに方 あた りて、造 ざう 物 ぶつ 者 しや 豈 あ に其 そ の後 のち の享 う くる所 ところ を以 もつ て予 あらかじ め以 もつ て之 これ に与 あた へて、稍 やや 以 もつ て之 これ を拯 すく ふ能 あた はざらんや。

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13 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 鮑叔はもともと管仲のことを身分の低い時から知っていた。管仲が斉の宰相となったのは、鮑叔が推薦したか らである。管仲は宰相となってからというもの、内政ではこれを執りおさめ、外交では諸侯を糾合した。桓公は ことあるごとにこれ(管仲の施策)を鮑叔に問いただした。鮑叔が答えて言うには、「公は管仲の言葉どおりに 行い下さい」と。鮑叔は管仲を推薦しただけでなく、このように見えないところでうまく管仲を補佐してもい のである。真に理解者というべきである。 第 講  張燧『千百年眼』 書き下し文・口語訳 鮑 はう 叔 しゆく 固 もと より已 すで に管 くわん 仲 ちゆう を微 び なりし時 とき に識 し る。仲 ちゆう 斉 せい に相 しやう たるは、叔 しゆく 之 これ を薦 すす むればなり。仲 ちゆう 既 すで に相 しやう たりて、内 うち に政 せい 事 じ を修 おさ め、外 そと に諸 しよ 侯 こう を連 つら ぬ。桓 くわん 公 こう 毎 つね に之 これ を鮑 はう 叔 しゆく に質 ただ す。鮑 はう 叔 しゆく 曰 い はく、「公 こう は必 かなら ず夷 い 吾 ご の言 げん を行 おこな へ」と。叔 しゆく 惟 た だに仲 ちゆう を薦 すす むるのみならず、又 また 能 よ く之 これ を左 さ 右 いう すること此 か くのごとし。真 まこと に知 ち 己 き なり。

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14 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 隋代の田僧亮・楊契丹は鄭法士とともに画才で名を知られていた。鄭法士は自らの才能が楊契丹に及ばないこ とを自覚していた。そこで楊契丹につき従って画の手本を求めたところ、楊契丹は教えてくれなかった。ある日、 鄭法士連れて朝堂にやって来て、宮殿・衣服や冠・人・馬・車を指差して言うに、「これが私の手本です。 あなたは分かりますか」と。これによって鄭法士は手本の何たるかを理解し、技芸が上達した。 第 講  胡直『衡廬精舎蔵稿』 書き下し文・口語訳 隋 ずい の田 でん ・楊 やう 鄭 てい 法 はふ 士 し と倶 とも に画 ぐわ を能 よ くするを以 もつ て名 な あり。法 はふ 士 し 自 みづか ら芸 げい の楊 やう に如 し かざるを知 し るなり。乃 すなは ち楊 やう に従 したが ひて 画 ぐわ 本 ほん を求 もと むるに、楊 やう 之 これ に告 つ げず。一 いち 日 じつ 法 はふ 士 し を引 ひ きて朝 てい 堂 だう に至 いた り、指 ゆびさ すに宮 きゆう 闕 くゑつ ・衣 い 冠 くわん ・人 じん 馬 ば ・車 しや 乗 じよう を以 もつ てして、曰 いは く、「此 こ れ吾 わ が画 ぐわ 本 ほん なり。子 し 之 これ を知 し るか」と。是 これ に由 よ りて法 はふ 士 し 悟 さと りて芸 げい 進 すす めり。

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15 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 銅雀台の跡は崩れて何も残っていない (それなのに)建物の瓦を用いて作ったと称する硯が、なぜこんなにも出回っているものか 文士はたいてい珍奇なものを好む性癖がある 内心では嘘だと分かっていても、とりあえずは自分の心をごまかして硯を珍重するのである 第 講  紀昀『閲微草堂筆記』 書き下し文・口語訳 銅 どう 雀 じやく 台 だい の址 あと 頽 くづ れて遺 のこ す無 な し 何 なん ぞ乃 すなは ち剰 じよう 瓦 が の多 おほ きこと斯 か くのごとくならん 文 ぶん 士 し 例 おほむね 奇 き を好 この むの癖 へき 有 あ り   心 こころ に其 そ の妄 まう なるを知 し るも姑 しばら く自 みづか ら欺 あざむ く

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書き下し文 口語訳

1 〈現代語訳〉 宋の大観年間の末年のこと、父の魯公は宮祠任を務め終えて隠居所の浙右に帰った。私は魯公のお供をして 総合問題 蔡絛『鉄囲山叢談』 書き下し文・口語訳 〈書き下し文〉 大 たい 観 くわん の末 すゑ 、魯 ろ 公 こう 宮 きゆう 祠 し を責 つと めて浙 せつ 右 いう に帰 かへ る。吾 われ 公 こう に侍 じ して舟 しう 行 かう し、一 いち 日 じつ 新 しん 開 かい 湖 こ に過 よぎ り、漁 ぎよ 艇 てい の往 わう 還 くわん 上 じやう 下 げ するを睹 み る。魯 ろ 公 こう 吾 われ に命 めい じて一 いつ 艇 てい を呼 よ び得 え て来 き たらしめ、戯 たはむ れに魚 うを を售 か ふこと二 に 十 じふ 鬣 れふ ばかりなり。小 せう 大 だい 又 ま た斉 ひと しからず。 其 そ の直 あたひ を問 と へば、曰 い はく、「三 さん 十 じふ 銭 せん なり」と。吾 われ 左 さ 右 いう をして数 すう のごとく銭 ぜに を以 もつ て之 こ れに 畀 あた へしむ。 去 さ り来 き たりて未 いま だ幾 いくば くならざるに、忽 こつ として遥 はる かに 槳 しやう 艇 てい の甚 はなは だ急 きふ に、飛 と びて大 たい 舟 しう を趁 お ふを見 み る。吾 われ と公 こう と咸 みな 愕 がく 然 ぜん として謂 い ふ、「此 こ れ必 かなら ず大 たい 魚 ぎよ を得 え たるか。将 まさ に喜 よろこ びて復 ま た来 き たらんとするか」と。頃 しばら くして已 すで に及 およ べば、則 すなは ち 曰 い はく、「始 はじ め爾 なんぢ に魚 うを を貨 う るに三 さん 十 じふ 銭 せん を約 やく するなり。今 いま 乃 すなは ち其 そ の一 いつ 多 おほ し。是 これ を用 も つて来 き たりて爾 なんぢ に帰 かへ す」と。魯 ろ 公 こう 笑 わら ひて之 こ れを却 しりぞ く。再 さい 三 さん なるも可 き かず。竟 つひ に一 いつ 銭 せん を還 かへ し、而 しか る後 のち 去 さ る。魯 ろ 公 こう 喜 よろこ ぶ。吾 われ 時 とき に十 じふ 四 し なり。魯 ろ 公 こう に白 まう す、 「此 こ れ豈 あ に隠 いん 者 じや に非 あら ずや」と。公 こう 曰 い はく、「江 かう 湖 こ の間 かん 、人 ひと の市 し 廛 てん に近 ちか づかざる者 もの 類 おほむ ね此 か くのごとし」と。 吾 われ 毎 つね に以 も つて之 こ れを思 おも ふ。今 いま の人 ひと の朱 しゆ 紫 し を被 き るは、先 せん 王 わう の法 はふ 言 げん を道 い ひて、士 し 君 くん 子 し と号 がう し、又 ま た騶 すう 哄 こう を従 したが へ、堂 だう 上 じやう に坐 ざ して、貴 き 人 じん と曰 い ふもの多 おほ きも、一 ひと たび利 り 害 がい に触 ふ れ秋 しゆ 毫 がう を校 くら ぶるに及 およ べば、則 すなは ち其 そ の守 まも る所 ところ 、未 いま だ必 かなら ずしも 能 よ く尽 ことごと くは新 しん 開 かい 湖 こ の漁 ぎよ 人 じん に附 ふ せざるなり。故 ゆゑ に書 しよ す。

書き下し文・口語訳

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68 舟で行き、ある日、新開湖を過ぎたあたりで、小さな漁船が行き来するのを見た。魯公は私に命じて一艘 そう の船を 呼び寄せさせ、おふざけで二十尾ほど魚を買った。魚の大きさはふぞろいだった。値段を問うたところ、 (漁師が) 答えるには「三十銭です」と。私は傍らの従者に命じ、求められた金額どおりお金を渡させた。

私は常日ごろこう思っている。当節の朱紫を着る高位高官どもは、聖王の遺した言葉を口にして、士君子と呼 びならわし、さきばらを従えて、堂上に坐して、貴人という者は多いけれども、ひとたび自らの利害にかかわ るや、わずかなものまでも比べたてるに及んでは、の守るところは、必ずしも全員が新開湖の漁師に肩を並べ ることはできないのである。それゆえ書き記した。

漁船が去ってからいくばくもしないうちに、突然遠くに急いで(私たちの乗る)大舟を追ってくる姿を見た。 私も魯公も驚いて言った、「きっと大魚を得たにちがいない。それで喜んでもう一度売りに来ようとしているの だ」と。しばらくし(私ちの舟に)追いつくと、漁師が言うには、「さほど三十銭という取り決めで魚を 売りましたですが一銭多くお支払いになっていたようです。それ返しに来ました」と。魯公は笑ってそれを 断った。(しかし)何度断っても漁師は返すと言って聞かなかった。結局、一銭を返して去っていった。魯公は(そ のさまを)とても喜んだ。私はその時十四歳だった。魯公に申し上げるに、「あの人は隠者だったのではないで すか」と。魯公が言うには、「浙江から新開湖のあたりで生活していて、商店のある街に近づこうとしない者は たいていこういうものだ」と。

書き下し文 口語訳

〈書き下し文〉

鏡 かがみ に対 むか ひて自 みづか ら其 そ の形 かたち を図 ゑが き、詩 し 四 し 韻 ゐん を并 あは せて以 もつ て之 これ に寄 よ す。 楚 そ 材 ざい 妻 つま の真 しん 及 およ び詩 し を得 え て 恧 はぢ を懐 いだ き、遽 には かに雋 しゆん 不 ふ 疑 ぎ の譲 じやう 有 あ り。夫 ふう 婦 ふ 遂 つひ に偕 とも に老 お ゆ。里 り 語 ご に曰 い はく、 当 たう 時 じ 婦 つま 夫 をつと を棄 す て、今 こん 日 にち 夫 をつと 婦 つま を離 はな す。若 も し丹 たん 青 せい を逞 たくま しくせざれば、空 くう 房 ばう 応 まさ に独 ひと り守 まも るべし。薛 せつ 媛 ゑん の真 しん を写 うつ し夫 をつと に

楚 そ 材 ざい 家 いへ に妻 つま 有 あ るも、穎 えい 牧 ぼく の眷 けん を受 う くることの深 ふか きを以 もつ て、忽 たちま ち義 ぎ を思 おも はずして、輒 すなは ち已 すで に之 これ を諾 だく す。遂 つひ に家 か 僕 ぼく を

寄 よ するの詩 し に曰 い はく、

遣 つか はして、帰 かへ りて琴 きん 書 しよ 等 とう を取 と らしめ、旧 きう に返 かへ るの心 こころ 無 な きが似 ごと きなり。或 ある ひと謂 おも へらく、道 みち を青 せい 城 じやう に求 もと め、僧 そう を衡 かう

岳 がく に訪 たづ ね、名 めい 宦 くわん に親 した しまず、惟 た だ玄 げん 虚 きよ に務 つと むるのみと。

2 総合問題 范攄『雲渓友議』 書き下し文・口語訳

涙 るい 眼 がん 描 えが き将 ゆ くこと易 やす く、愁 しゆ 腸 ちやう 写 うつ し出 い だすこと難 かた し。

已 すで に驚 おどろ く顔 かほ の索 さく 寞 ばく たるに、漸 やうや く覚 おぼ ゆ鬢 びん の凋 てう 残 ざん するを

其 そ の妻 つま 薛 せつ 媛 ゑん 書 しよ 画 ぐわ を善 よ くし、文 ぶん を属 つづ るに妙 めう なり。楚 そ 材 ざい の糟 さう 糠 かう の情 じやう を念 おも はず、別 べつ に糸 し 蘿 ら の託 たく に倚 よ らんとするを知 し り、

丹 たん 青 せい の筆 ふで を下 くだ さんと欲 ほつ し、先 ま づ宝 はう 鏡 きやう の端 はし を拈 と る。

君 きみ の渾 すべ て忘 ばう 却 きや せんことを恐 おそ る、時 とき に画 ぐわ 図 づ を展 ひろ げて看 み よ。

濠 がう 梁 りやう の人 ひと 南 なん 楚 そ 材 ざい なる者 もの 、陳 ちん 穎 えい に旅 りよ 遊 いう す。歳 とし 久 ひさ しくして、穎 えい 守 しゆ 其 そ の儀 ぎ 範 はん を慕 した ひ、将 まさ に子 こ を以 もつ て之 これ に妻 めあは せんと欲 ほつ す。

書き下し文・口語訳

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70 〈現代語訳〉 濠梁の南楚材という人は、旅に出て陳穎の地にいた。長い時間が経ち、陳穎の長官は彼の礼儀にかなった態度 を気に入って、娘を妻にやろうと思った。南楚材は家に妻がいたが、陳穎の長官から特別に目をかけられていた ので、妻に対する道義には思いもやらず、すぐにその申し出を許諾した。家僕者に命じ、琴や書などを取りに 帰らせ、妻とよりを戻そうという心はないかのようであった。(その様子を見て)ある人は、青城の寺院に道術 を求め、衡岳の僧侶に仏の教えを訪ねるなど、名声のある大完とは親しく交わらず、俗世を離れてひたすら修行 に専念しているのだと思った。

昔は妻が夫を捨てたが、今は夫が妻捨てようとする。もしも妻が絵画の腕をふるわなかったら、夫の部屋で ひとりぼっちでいることになっただろうと。薛媛が自分の容姿描いた画ともに送った律詩にはこうあった。 絵筆をとって自分の容姿を描こうと思い、まず鏡を手にした。 何より沈み込んだ表情顔に驚いたが、しだいに髪の毛が衰えて抜け落ちていることにも気づいた。 涙にうるんだ眼を描くことはたやすいが、憂いの心描き出すのは難しい。 あなたが私のことをすっかり忘れてしまうのが心配だ、たまに私の画を広げて見て下さい。

南楚材の妻である薛媛は書画才があり、文章を書くことにも秀でていた。南楚材が貧しいころに苦労をとも にした自分の気持ちをかえりみず、別の女性と結婚しようとしていと観念し、鏡に向かって自分容姿を描き、 律詩とともに南楚材のもとに送った。 南楚材は妻の自画像と律詩を受け取って恥ずかしくなり、すぐに雋不疑と同じように縁談を辞退した。こうし て二人の夫婦は仲睦まじく老後を送った。人々の間ではこう言われた

漢文句法 ゴロ 56

1 1 使役はセンター漢文で超〜頻出! 漢文では、使役で「させる」という時には「使(しム)」という 言葉を使い、「AにBさせる」という場合は「AをしてBしむ」 という。まず、第一のポイントとして、この「AをしてBしむ」 という使役の形に慣れてほしい。センター漢文では、この「使役」 がとにかくよく出題される。 「使」という字を見たら、まずは使役! シ 使役「使AB」 ェキ(使役)シェキ押 「AヲシテB(セ)しム」 して、死むー 解 説 使役

d c B 玄 宗、 使 ム 臣 下 ヲシテ 追 ハ 安 禄 山 ヲ そう 、臣 しん 下 か をして安 あん 禄 ろく 山 ざん を追 お はしむ。 玄宗は臣下に安禄山を追わせる。 玄 宗 げん

そして、「使」の字のすぐ下の名詞Aが使役の対象であり、「Aヲ シテ」と読み、次に動詞Bを探して「Bしム」で使役が完成する のだ。

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2

使役

2

使役は「使」だけじゃないぞ! センター漢文で超〜頻出の句法である使役では、「使」以外の漢 字として「俾」「教」「遣」「令」が使われることがある。「Aをし てBしむ」の形になるのは「使」以外にもある。「ヒー、今日試 験零点」いうゴロで「 俾・教・使・遣・ 令」の漢字を覚えよう。 使役を知らないと「ヒ 「俾」 ー、今 「教」 日 試 「使」 験 「遣」 零 「令」 点」 解 説

d c B 玄 宗、 教 ム 臣 下 ヲシテ 追 ハ 安 禄 山 ヲ そう 、臣 しん 下 か をして安 あん 禄 ろく 山 ざん を追 お はしむ。 玄宗は臣下に安禄山を追わせる。 玄 宗 げん

また、文脈判断の使役が出題されることもある。使役を表す漢字 がないのに、選択肢を見ると使役かそうではないかがポイントに なってる場合は、傍線部とその前後の文脈を正確に判断しよう。

漢文句法 ゴロ

56

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3 3 動詞二つの使役に注意! センター漢文超〜頻出の使役では、動詞が2つ使われる場合があ る。「使ABC」=「AをしてBてCしむ」という形で、「AにB させてCさせる」という応用バージョンの構文だ。使役の構文に 二つの動詞が含まれてる場合には、後の方の動詞だけに「しむ」 を付けるというのがポイントだ。例文でいうと 「出動す」と「追ふ」 と二つある動詞のうち、あとの動詞「追ふ」だけに「しむ」を付 けて、「追はしむ」となるのがポイントだ。 使役 シ 使役「使ABC」 ェキ(使役)シェキ押 「AヲシテB(シ)テC(セ)しム」 して、♡して、死むー!

d c B 玄 宗、 使 ム 軍 ヲシテ 出 動 シテ 追 ハ 安 禄 山 ヲ そう 、軍 ぐん をして出 しゅつ 動 どう して安 あん 禄 ろく 山 ざん を追 お はしむ。 玄宗は軍を出動させ安禄山を追わせる。 解 説 玄 宗 げん

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4

否定

4 あら、ず ず ーっとな

「不(=弗)」

安 禄 山 ハ 非 ズ 吾 ガ 敵 ニ ざん は吾 わ が敵 てき に非 あら ず。 安禄山は私の敵ではない。 安 禄 山 あん ろく

否定語は必ず下から返って読む! 否定を表す語は三つだけ。「非(あらズ)」「不(ず)」「無(なシ)」 の三つ。ここで覚えてほしいことは、否定語は、下から必ず返っ て読む「返読文字」(「漢文ゴロゴ」基礎編参照)と呼ばれるもの だということだ。否定語自体は見落とさなければ難しいものでは ないが、センターでは部分否定や二重否定が問われたり、反語形 や不可能形が併用されて問われる場合が多い。否定されている内 容や、部分否定・二重否定に気をつけなら読むことが大切だ。 「無(=莫・毋)」 し? 解 説

c B

漢文句法 ゴロ

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5 5 「反語+否定」も二重否定! 二重否定はその名のとおり、一度否定したものをさらに二重に否 定するという句法だが、これはつまり「二重否定=強い肯定」を 解 説 二重否定 ザ 「ざルなシ」↓二重否定は強い肯定 ルなし 皇帝(肯定) 必ずマッスル!

c i 安 禄 山、 無 シ 獲 物 トシテ 不 ルハ 盗 マ 。 ざん 、獲 え 物 もの として盗 ぬす まざるは無 な し。 安禄山は、獲物で盗まいものはない。 安 禄 山 あん ろく

意味する。二重否定は、「〜ないものはない」↓「どんなものも すべて(必ず)〜する」という強い肯定になるのだ。センター試 験で二重否定が出題される場合、この「強い肯定」の意味がポイ ントとなっ問われる。「反語( ≒ 否定)+否定」の形も二重否 定になるので、結局「強い肯定」であることに注意だ!

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6

部分否定

6 先

「不」が上に付くと部分否定

に不 ふっ 不 ふっ 不 ふっ 不 ふっ 部分否定

c B つね には失 しつ 敗 ぱい せず。 玄宗はいつも失敗するとは限らない。 玄 宗 不 常 ニハ 失 敗 セ 玄 宗 常 げん そう

「不」が上にあれば部分否定! 全部否定と部分否定とを比べると、センター漢文で出題されるの は圧倒的に部分否定のほうが多い。しかし、両者は見た目が似て いてまぎらわしいので、違いしっかり理解てほしい。覚える ことはたった一つ。「不常」「不尽」「不倶」などのように、「不」 という否定語が先にあったら部分否定!という法則だ。ゴロの「先 に不不不不(ふふっふっふっ)部 」を何度も唱えて部分 否定を完全にマスターしてほしい。 解 説

漢文句法 ゴロ

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7 7 「必ず」か「必ずしも」かが問題だ! 「先に不不不不(ふっふっふっふっ)部分否定」というゴロが示 すように、「不必」と「必不」という二つを比べる、「不必」は 「かならズシモ〜ず」と読んで部分否定、一方の「必不」は「か ならズ〜ず」と読んで全部否定になる。センター漢文では部分否 定のほうが重要なので、混乱しないように覚えよう。次の例文は 部分否定の形で、「玄宗は必ずしも安禄山逮捕を急ぐとは限らな い」という意味になる。 部分否定 不 「不必A」 必要とは限らない

d c - B 玄 宗 不 必 ズシモ 急 ガ 安 禄 山 逮 捕 ヲ かなら ずしも安 あん 禄 ろく 山 ざん 逮 たい 捕 ほ を急 いそ がず。 玄宗は必ずしも安禄山逮捕を急ぐとは限らない。 解 説 玄 宗 必 げん そう

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8

8 不 「不復A」 服(不復)は二度と言わない 部分否定

玄 宗 不 復 タ 失 敗 セ ま た失 しつ 敗 ぱい せず。 玄宗は二度と失敗しない。 玄 宗 復 げん そう

「不復」は部分否定! 「不復〜(まタ〜ず)」は一見全部否定のように取れるので注意が 必要だ。例文を見ると「玄宗復た失敗せず」と書き下し、「玄宗 は二度と(もう)失敗をしない」となって一見全部否定に思える。 しかし、「二度と失敗をしない」ということの真意は、「(以前は 失敗していたが、今後は)二度と失敗をしない(繰り返さない)」 解 説

ということだ。つまり、「以前は失敗してた」いう過去がす でに存在しているので全部否定にはならず、部分否定になるの だ。

c B

漢文句法 ゴロ

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9 9 反語のゴロは超〜特Aゴロ! 疑問と反語は、両方合わせると入試最頻出の構文だ。文中では必 ずと言っていいほどお目にかかることになるので、疑問か反語か を見分けることは非常に重要だ。疑問文と反語文とを見分けるポ イントは、文末の形にある。ズバリ、文末に「ン(ヤ)」とあっ たら反語だ! 反語を口語訳する際のポイントとしては、文が肯 定文なら否定の意味に、否定文なら肯定の意味にしてとらえると いうことだ。徹底的に慣れていってほしい。 解 説 反語 ン 文末の「ン」 「ンや」は反語 ン〜ン♡やーね反語!

玄 宗 ハ 賢 ナラン 乎 や 。 そう は賢 けん ならんや。 玄宗は賢いだろうか、賢くい。 玄 宗 げん

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10

疑問・反語

10 何

「何〜」 何どうして?

a c B なん ぞ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へざる。 玄宗はどうして安禄山を捕らえないのか。 玄 宗 何 ゾ 不 ル 捕 ヘ 安禄山 ヲ 玄 宗 何 げん そう

1 疑問か反語か、それが問題だ! センター漢文では、疑問と反語とを合わせると句法の出る順№ になる。まず、文中でよく見かける疑問詞「何(なんゾ)」だが、 疑問と反語の二つの可能性がある。「何(なんゾ)」は「どうして」 解 説

と訳すが、単純な疑問かそれとも反語かを見分ける必要がある。 この二つの識別はすでに学んだように、文末に「ン(ヤ)」があ るかどうかだ。超〜特Aゴロの「ンン〜ン☆やーね反語!」を思 い出すとともに、例文が疑問か反語かをしっかり見極めよう。

漢文句法 ゴロ

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11 11 疑問か反語か、それが問題だ! 疑問・反語を表す「安」の読み方は実は二通りあるが、まずはよ く出るほうの読み方、 「いづクンゾ」を覚えよう。 「安(いづクンゾ)」 疑問・反語 伊 「安〜」 豆君ゾウさんどうして 安いか? 「安(いづクンゾ)」の勉強をしよう。

a c B 玄 宗 安 クンゾ 不 ル 捕 ヘ 安 禄 山 ヲ いづ くんぞ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へざる。 玄宗はどうして安禄山を捕らえないのだろうか。 解 説 玄 宗 安 げん そう

「何(なんゾ)」に引き続き、 も「何(なんゾ)」と同じく「どうして」という意味であり、疑 問と反語の区別は「何(なんゾ)」と同じく文末に「ン(ヤ)」が あるかどうかだ。超〜特Aゴロの「ンン〜ン☆やーね反語!」を 思い出すともに、例文が疑問か反語かをしっかり見極めよう。

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12

反語

12 ザ

「ざラン」↓「否定+否定(反語)=肯定」

「反語( ≒ 否定)+否定」は二重否定! 「ざらん」という形には反語のシグナル「ン」があることにまず は注目だ。「反語( ≒ 否定)+否定」の形は二重否定になるので、 結局「強い肯定」であることに注意だ! 否定文の内容をひっく ランも皇帝(肯定) 必ずマッスル

a c B 玄 宗 安 クンゾ 不 ラン 捕 ヘ 安 禄 山 ヲ いづ くんぞ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へざらん。 玄宗はどうして安禄山を捕らえないことがあろうか、いや捕ら える。 解 説 玄 宗 安 げん そう

り返して訳すのがポイントで、必ず肯定文になる。ただし、セン ター試験で意訳されていたり、疑問の訳と見分けがつきにくい 形の反語に訳されていたりする。選択肢を判別する際には形け でなく内容を吟味することが大切だ。

漢文句法 ゴロ

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13 13 疑問か反語か、それが問題だ! 「何(なにヲカ)」=「何を〜か」 だ。何」という字を見たら「何(なんゾ)」か「何(なにヲカ)」 疑問・反語 何 「何ヲカ〜」=「何を〜か」 を カーンするのか? 「何(なんゾ)」と「安(いづクンゾ)」

玄 宗 何 ヲカ 懼 レン 。 なに をか懼 おそ れん。 玄宗は何を恐れるだろう、何も恐れない。 解 説 玄 宗 何 げん そう

疑問・反語を表す句法として、 「ざラン」と勉強してきた。次は、 なのかの判断が必要で、訳し方の違いもチェックだ。疑問か反語 かの見分け方は、これま説明てきたものと同様、文末に「ン (ヤ)」とあれば反語だ。超〜特Aゴロの「ンン〜ン☆やーね反語!」 を唱えるとともに、例文が疑問か反語かをしっかり見極めよう。

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14

「誰ヲカ〜」=「誰が・誰を〜か」 疑問・反語

14 誰

を カーンするのか?

c B たれ か能 よ く安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へん。 誰が安禄山を捕らえるこができるろうか、誰も安禄山を捕 らえることはできない。 誰 カ 能 ク 捕 ヘン 安 禄 山 ヲ 誰

1 センター漢文の句法出る順№ の疑問と反語において、「何(な んゾ)」「安(いづクンゾ)」「ざラン」「何ヲカ〜」と勉強してきた。 解 説

疑問か反語か、それが問題だ! 次は、「誰ヲカ〜」=「誰が・誰を〜か」だ。疑問か反語かの見 分け方は、これまで説明してきたものと同様、文末に「ン(ヤ)」 とあれば反語だ。反語は「〜であろうか、いや〜ない」と素直に 訳されるよりも「〜はずがあろうか」などの形で意訳されるこ とがあるので注意だ。「反語 ≒ 否定」と覚えておこう!

漢文句法 ゴロ

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15 15 「安」には二通りの意味がある! すでに一度学んだ「安」だが、この「安」は「いづクンゾ」と読 んで疑問・反語を表し「どうして」の意味と、「いづクニ(カ)」 と読んで疑問・反語を表し「どこに」の意味とがある。よく出る のは「いづクンゾ」のほうだが、センター漢文で、選択肢にこの 解 説 疑問・反語 い

「安〜」 づくにカメさんどこに行けば安いか?

安 禄 山 安 クニカ 隠 ルル 。 いづ くにか隠 かく るる。 安禄山はどこに隠れいるのだろうか。 安 禄 山 安 あん ろく ざん

二つの読みや意味がある場合は、文脈を正確に読みって正しい ものを選んでほしい。疑問か反語かの見分け方は、これまで説明 してきたも 同様、文末に「ン(ヤ)」とあれば反語だ。

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16

16 兄 「豈A」 (豈)に反 反語 抗(反語)! 反語

90 「豈」を見たら %反語文! 「何(なんゾ)」と「安(いづクンゾ)」など、疑問・反語の両方 の可能性があるものを見てきたが、反語だけで使われる疑問詞と しては、「豈(あニ だけ覚えればセンター漢文はOKだ。しか もセンター漢文で反語の「豈」が出題される頻度は非常に高い。 「豈」という漢字を見つけたら、その文は %反語文だと判断し ていい。ただし、文末の「ン(ヤ)」の確認は必ず行うこと。また、 反語は意訳される場合が多いのも注意だ。 安 禄 山 豈 ニ 賢 ナラン 於 玄 宗 ヨリ 乎 。 安 あん 禄 ろく 山 ざん 豈 あ に玄 げん 宗 そう より賢 けん ならんや。 安禄山はどうして玄宗より賢いだろうか、賢くない。 解 説 90 c b

漢文句法 ゴロ

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17 17 「何如・何若・奚若」は疑問のみ! 「何如・何若・奚若(いかん)」と「如何・若何・奈何(いかん)」 の二つは、読みが同じなのでまぎらわしい。「何(奚)」が先にあ る「何如・何若・奚若(いかん)」は、疑問の用法でのみ用いられ、 解 説 疑問 「南

「A何如(いかん)」 女(何如) はどうだろうか?」「いかん!」

反語では用いられないので、こちらだけまず「ナンジョ」と読ん で覚えてしまおう。この「ナンジョ」は、主に文末について、「〜 はどうだろうか?」と状態や結果を問う意味で使われる。 「いかん」 と「ん」が付くからといって軽率に反語と判断しないよう!

玄 宗 之 機 嫌 ハ 何 如 。 そう の機 き 嫌 げん は何 い か ん 如。 玄宗の機嫌はどうだろうか。 玄 宗 げん

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18

18 文 文末の「A如何(いかんセン)」 末の「女難(如何)はいかん、先生」 疑問・反語

「ど

①疑問「Aは﹇を﹈どうすればよいか」 ②反語「Aは﹇を﹈どうすればよいか、どうしようもない」 うすればよいか?疑問?反語?」

c b 捕 フルコト 安 禄 山 如 何 セン 。 とら ふること如 い か ん 何せん。 【疑問】安禄山を捕らえるにはどうすればよいか。 【反語】安禄山を捕らえるにはどうすればよいか、どうしようも ない。 解 説 安 禄 山 捕 あん ろく ざん

文末の「いかんセン」は難しい! 「何」が後にある「如何・若何・奈何(いかん)」だが、これには 文頭と文末の二つの用法がある。まず、文末での「如何・若何・

奈何」は「いかんセン」と読み、疑問と反語の区別は文脈判断に よる。いずれも「どうしようか」と方法を問うもだ。「ん」と 付いているからとって見た目だけで反語と判断しないように!

漢文句法 ゴロ

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19 19 文頭の「いかんゾ」も難しいぞ! 「何」が後にある「如何・若何・奈何(いかん)」だが、「いかん セン」と読む文末用法と違って、文頭で用いられる場合は係助詞 の「ゾ」を付けて「いかんゾ」と読み、「どうして」という意味 になる。文頭にある「如何・若何・奈何」は「いかんゾ」と読む

疑問・反語 文頭の「女難(如何)はいかんゾ」「どうして?」

a c B 玄 宗 如 何 ゾ 不 ラン 捕 ヘ 安 禄 山 ヲ い か ん 何ぞ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へざらん。 玄宗はどうして安禄山を捕らえないのだろうか、いや捕らえる。 解 説 玄 宗 如 げん そう

習慣を付けよう。文頭の如何・若何・ (いかんゾ)」には 疑問と反語の場合があるが、反語の場合は、すでに何度も学んだ ように文末が「ン(ヤ)となっているところがポイントだ。

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20

疑問・反語

20 幾

「幾何(いくばく )」=「どれほどか ①疑問 ②反語」 何学いくばく どれほどか?

c b 捕 フルコト 安 禄 山 ヲ 幾 何 ゾ 。 ざん を捕 とら ふること幾 いく 何 ばく ぞ。 【疑問】安禄山を何度捕らえただろうか 【反語】安禄山を何度捕らえただろうか、いや一度も捕らえてい ない。 解 説 安 禄 山 あん ろく

度も唱えよう。疑問と反語で読み方が異なるわけではないので、 疑問と反語の区別は文脈判断による。また 幾」という字は多 くの読みを持つ漢字で、「ちかシ(=近い )」、「こひねがフ(=心 から願う)、「ほとんド(=今にも)」の読みを覚えておこう。

「幾何」は数を問うのだ! 疑問・反語を表す「幾何(いくばくゾ)」は、読みももちろん重 要だが、数を問う点が特徴的で、「どれくらい」という意味をしっ かり覚えておこう。ゴロの「幾何学いくばくどれほどか?」を何

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21 21 「見」の字には注意! 受身を表す「る・らる」と読む漢字には、「 見・所・為・ 被」がある。 この中では「見」がもっとも大切だ。動詞「見」は、「みル(= 見る)」「まみユ(=会う)」「あらはル(=表れる・現れる)とい 受身 受 受身 身 見 「見(所・為・被)A」 所 イッヒッヒ!

a c b a c B 臣 下、 見 レ 逃 ゲ 安 禄 山 ニ 見 叱 ラ 玄 宗 ニ

臣 下 か 、安 あん 禄 ろく 山 ざん に逃 に げられ玄 げん 宗 そう に叱 しか らる。 臣下は安禄山に逃げられ玄宗に叱られる。 解 説 しん

う用法だけでなく、「される」という意味を表す大切な受身の用 法があることを覚えておこう。センター漢文では「受身 意外 なくらい出題されないが、私大や国公立大の二次試験で重要な ので、しっかりマスターしてほしい。

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22

受身

22 見

「為A所B」を見たら受身! 受身の句法には、①「る・らる」と読む漢字を使ったもの、②「為 A所B」という定型句を使ったもの、③置き字「於」を使ったもの、 ④文脈判断、の四つがあるが、④の文脈判断がセンターで問われ ることはまずない。ここで勉強する「為A所B」は「AにBされる」 解 説 「見A」=「Aされる」  「為A所B」=「AにBされる」 られる 所と為(な)〜る!

c i 安 禄 山 為 ル 玄 宗 ノ 所 ト 捕 フル 。 そう の捕 とら ふる所 ところ と為 な る。 安禄山は玄宗に逮捕される。 安 禄 山 玄 宗 あん ろく ざん げん

という意味だ。この「為A所B(AノBスルところトなル)」は レベルの高い受身の用法だが、過去に出題されたことあり、「受 身」とわかるだけで選択肢は一気に絞ることができた。

漢文句法 ゴロ

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23 23 「動詞+於」は頻出の形! センターでは置き字「於・于・乎」を使った受身と比較を表す用 法が出題されることがある。なかでも問われるのは「於」。「於」 自体は読まない置き字だが、「於」の下の名詞が「於」の上の動 詞の動作主になる場合、受身になる。また「動+於」はセンター 漢文で頻出の形だが、受身以外にも場所、対象、関係、目的、時間、 起点…と様々な意味を示すので、最終的には意味の確認が必要だ。 解 説 受身 同 「A(動詞)於B(名詞 )」=「BにAされる」 士(動詞) に 置(於)いてかれる 名士 (名詞)

安 禄 山 ハ 捕 ヘラル 於 玄 宗 ニ ざん は玄 げん 宗 そう に捕 とら へらる。 安禄山は玄宗に捕らえられる。 安 禄 山 あん ろく

c B

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24

24 な 禁止 「勿A」 ーカレーにするな!

a 安 禄 山、 勿 カレ 逃 グル 。 ざん 、逃 に ぐる勿 な かれ。 安禄山、逃げるな。 安 禄 山 あん ろく

「勿」を見たら「なカレ」と読む! 文中で「勿」という字があったら、「なかれ」と読んで「するな」 という禁止の意味だ。「〜するなかれ」とか、今でもよく使うの を耳にしたことがないかな? 「受験生、勿怠勉強!(受験生、 解 説

勉強怠る勿かれ!)」。与謝野晶子という歌人が「君死にたまふ ことなかれ」という有名反戦歌を発表しのは、百年以上前の 明治時代…これを聞いたことのある人はかなり通だね。

漢文句法 ゴロ

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25 25 芝生に入る不可(べカラず)! 「不可(べカラず)」は、「芝生に入るべからず!(芝生に入って はいけない)」の「べからず」で、みんなも一度くらいは聞いた ことのある禁止表現だろう。禁止の句法は簡単なので、センター 漢文で禁止と分かるだけでは正解できない場合が多い。何を禁 解 説 禁止・不可能 ベ 「不可(べカラず)」 ッカラ漬けの禁 ①禁止 止は不 ②不可能 可能

a a c b 失 敗 モ 不 ル 可 カラ 奪 フ 玄 宗 之 志 ヲ 也。 を奪 うば ふべからざるなり。 失敗も玄宗の志を奪うとはできない。 失 敗 ぱい も玄 げん 宗 そう の志 しつ こころざし

止しているかなど、内容的なチェックを行って正解にたどりつ こう。ところで「ベッカラ漬け」は存在しないのであしからずご 了承ください(東京名産の大根の漬物は「べったら漬」)。

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26

26 不 「不能」=「〜できない」 得可能(ふ〜うかのう)は無 「無能」=「〜できるものはない」 能にはできない 「反語+不可能」の形に注意! 「不 能(あたハず)」「無能〜(よク〜なシ)」「不得(えず)」「不可(べ 「得」 「可」に否定語をつけて、 不可能 「不可」 「不得」

a a c b 玄 宗 不 ル 能 ハ 捕 フル 安 禄 山 ヲ 也。 ざん を捕 とら ふる能 あた はざるなり。 玄宗は安禄山を捕らえることができない。 解 説 玄 宗 安 禄 山 げん そう あん ろく

不可能形は可能の意味を表す「能」 カラず)」の形で「〜できない」という意味を表す。センターで 不可能形が出題されるときは、反語の「豈」と併用されて「反語 ( ≒ 否定)+可能」=不可能、あるいは「反語( ≒ 否定)+不可能」 =可能、の意味になるものが問われることが多い。レベルは高い が、マスターすれば即得点に結びつくものだ。

漢文句法 ゴロ

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27 27 「若・如」は「もし」か「ごとし」か? 漢文では、「もし」は「若・如(もシ)」と書く。「若・如」とい う漢字は、「ごと と読んで「〜のようだ」という比況の意味 でも使われるのだが、センターで「若・如」という字が傍線部に 絡んで意味や読みを問われた場合、「もし」という仮定の可能性 解 説 仮定・比況 若 「若(如)A」 ①仮定「もシA」 ②比況「Aガごとシ・Aノごとシ」 (わか) も仕 事し、如(じょ) も仕 事し

c b 若 シ 我 捕 ヘバ 安 禄 山 ヲ 、本 願 也。 も し我 われ 安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へば、本 ほん 願 ぐわん なり。 もし私が安禄山を捕らえれば、本望だ。 若

のほうが圧倒的に高い。ただし、国公立大の二次では比況の「ご とし」は解釈上重要なので、「若・如」という字を見たらすぐに 仮定と決めつけず、必ず文脈判断をするようにしよう。

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28

仮定

28 い

「苟A」=「もしAならば」 やしいクモ、もしもし

c b 苟 シクモ 我 捕 ヘバ 安 禄 山 ヲ 、本 願 也。 いや しくも我 われ 安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へば、本 ほん 願 ぐわん なり。 もし私が安禄山を捕らえれば、本望だ。 苟

「苟」を見たら「いやしクモ」! センター試験受験者は「若・如(もシ)」以外に仮定で使われる もう一つの漢字を覚えておこう。「苟」という漢字だ。これは「い やしくも」と読む。意味は「もし〜ならば」で順接仮定条件を表し、 「若・如(もシ)」と同じ意味になる。数多くある仮定の接続詞の 中では、まず「若・如(もシ)」と「苟(いやシクモ)」を完全に 制覇してしまお。ちなみに「苟」という字は「荀」とは違うの で注意 ほしい。 解 説

漢文句法 ゴロ

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29

a a 29 奈良婆は三つ! 「もし〜」という意味の接続詞「若・如(もシ)」と「苟(いやシ クモ)」を覚えたら、今度は「〜ならば」という意味で文中に出 てくる形を覚えよう。形は非常に限られている。 「ズンバ」 「クンバ」 「シメバスナハチ」だけでオールOKだ。「ズンバ」「クンバ」シ メバスナハチ」が出てきたら、「〜ならば」と訳す、と思い浮か べばそれでイイのだ! ただし、 「ズンバ」の場合は「打消+仮定」 なので、「〜ないならば」とすることを忘れないように。 非 ズンバ 宝 ニ 不 盗 マ 。 宝 たから に非 あら ずんば盗 ぬす まず。 宝でないならば盗まない。 解 説 仮定 ズ

「ずンバ・クンバ・しメバすなはチ」=「〜ならば」 ンバ クンバと締めればすなわち 奈良婆 ぁ

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30 仮定 いえども いえども、とーしても 仮定 逆接仮定条件 「雖モ 〜ト (〜トいへどモ )」=「 (たとえ)〜だとしても」 c b 「雖」は逆接仮定条件! センター漢文では、接続関係が何条件なのかがポイントになるこ とが非常に多い。逆接仮定条件を表す「雖モ〜ト(〜トいへどモ)」

c b 自 ラ 反 ミテ 而 縮 クンバ 、 雖 モ 千 万 人 ト 、 吾 往 カン 矣。 かへり みて縮 なお くんば、千 せん 万 まん 人 にん と雖 いへど も、吾 われ 往 ゆ かん。 自分身で反省してみてやましいところがないならば、たとえ 敵が千人万人だと も、私は進ん行こう 解 説 自 みずか ら反

において、「雖」は返読文字なので下から返って読み、直前には 必ず「ト」を送る。意味は「たとえ〜だとしても」。逆接かつ仮 定条件なので難易度も高く、重要だ。文章を読む際に、何接何条 件なのかを意識しながら読解していく習慣をつけよう。

漢文句法 ゴロ

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31 31 「縦(たと)ヒ」とくれば「トモ」! 「縦(たと)ヒ〜トモ」で逆接仮定条件を表す。「たとヒ」とくれ 仮定 た とえ 友 だとしても 立て!

逆接仮定条件  「縦(たと)ヒ〜トモ」=「たとえ〜だとしても」 ◆「縦」は「即・仮令・縦令」とも書く

c b c i 縦 ヒ 追 フトモ 安 禄 山 ヲ 不 能 ク 捕 ヘ 之 ヲ 。 たと ひ安 あん 禄 ろく 山 ざん を追 お ふとも能 よ く之 これ を捕 とら へず。 たとえ安禄山を追っても安禄山を捕らえることができない。 解 説 縦

a a する・勝手にする」という意味を表す場合もある。「勿 縦 欲(欲 を縦 勿れ)」=欲望の向くままに行うなだぞ! ば「とも」と呼応する関係で、「たとえ〜だとしても」と訳す。 センター漢文では解答のポイントとなる確率が高いので、しっか りマスターしてほしい。ただし、「縦」は逆接仮定条件で使われ るばかりでなく、「ほしいままにス」と読んで、「気の向くままに

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仮定

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レ 「A則(即)B」で「AスレバすなはチB」=「Aならば(すれば)Bである」 バ則 ならば!

レバ則(そく)は順接仮定条件! 「則」は条件句を受けてその結果を導くものだが、この場合、 「レバ」 という送り仮名を伴うことが多いので、一般的に「レバ則(そく)」 と呼ばれることが多い(「〜ハ則チ」「〜バ則チ」の場合もある)。

玄 宗 仁 ナレバ 則 チ 栄 エ 、不 仁 ナレバ 則 チ 辱 メラル 。 じん なれば則 すなは ち栄 さか え、不 ふ 仁 じん なれば則 すなは ち辱 はずかし めらる。 玄宗は仁徳があるならば栄えるが、仁徳がないならば人から侮 辱される。 解 説 玄 宗 仁 げん そう

形としては、「A則(即)B」で「AスレバすなはB」=「A ならば(すれば)Bである」となる。くれぐれも順接仮定条件で あることを忘ないでおこう。

漢文句法 ゴロ

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33

限定 だ 独りノミ だけに限定! た 「唯A〜ノミ」

「独A〜ノミ」=「〜だけだ」

33 「唯」

104 「独」ときたら「のみ」! 限定の意味を表す「〜だけ」は、漢文では「ノミ」と表される。 センター試験では、「ノミ」が副詞とともに使われるパターンが 出題される。副詞を伴って、「唯(たダ)〜ノミ」、「独(ひとリ) 〜ノミ」となった形だ。「唯・独」のほかに、 「 但・惟・特・徒・只・直・ 祇」なども用いられる。ちなみに副詞を伴わずに「のみ」だけ で限定形が表されるときは、文末に「 耳・已・爾・而巳・而已矣・ 也已・也已矣(のみ)」などの漢字で表される。 唯 ダ 玄 宗 ノミ 能 ク 捕 フ 安 禄 山 ヲ 唯 た だ玄 げん 宗 そう のみ能 よ く安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら ふ。 ただ玄宗だけが安禄山を逮捕することができる。 解 説 c B

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抑揚 「AスラかツB、いはンヤCヲヤ」

34 抑

揚 スラ スラ をーや をや

a c l 玄 宗 スラ 且 ツ 不 捕 ヘ 安 禄 山 ヲ 況 ンヤ 臣 下 ヲ 乎 。 そう すら且 か つ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へず、況 いは んや臣 しん 下 か をや。 玄宗でさえ安禄山を捕らえられないのだから、ましてや臣下な らなおさら(捕らえられないの)だ。 解 説 玄 宗 げん

抑揚は送り仮名に注意! 抑揚形はハッキリ言ってセンター試験での出題頻度は低い。抑揚 形は、「A且(尚・猶)B、況C」=「Aすらかつ(なほ)B、 いはんやCをや」=「AすらBなのだから、ましてやCは当然だ」 という句形なのだが、この句形で受験生が忘れがちなのは送り仮 名の「スラ」と「ヲヤの部分なので、そこを「抑揚スラスラをー やをや」と覚えておけば万事OKだ。

漢文句法 ゴロ

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35 35 「不(非)惟A、B」の形に注意! 累加形のセンター試験での出題頻度は低い。累加は、「〜だけで なく…」という意味を表すのだが、句形が傍線部に絡んでも、ちゃ んと読み方は明示されているし、読めれば意味はだいたいわかる。 ただし、「不(非)惟A、B」=「ただにAのみならず(のみに あらず)、B」=「AだけでなくBだ」という句形はちょっと大切。 これは限定累加の組み合わさった形だ。 累加 た

「たダニAノミナラず、B」=「ただAなだけでなく、さらにBだ」 だニオウのみならず、さらにホンモノだ!

c i a 安 禄 山 不 唯 ダニ 見 ルノミナラ 宝 ヲ 、盗 ム 之 ヲ 。 た だに宝 たから を見 み るのみならず、之 これ を盗 ぬす む。 安禄山はただ宝を見るだけでなく、さらに宝を盗む。 解 説 安 禄 山 唯 あん ろく ざん

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比較

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フ 「A不如(不若)B」=「AハBニしかず」=「AはBには及ばない」 ニョ フニャ (不如・不若) 西和(にしかず) には及ばない

百聞は一見に不如(しかず)! 比較の句形は「不如」「不若」だが、両方とも「〜にしかず」と 読んで、 「〜に及ばない」という意味になる。「A不如(不若)B」 =「AハBニしかず」の形はAとBを比較して「AはBには及ば ない」、つまりBのほうが優れていることを表す。比較の句法の

a c B ぶん は一 いつ 見 けん に如 し かず。 話を度聞くことは実際に一目見ることには及ばない。 解 説 百 聞 ハ 不 如 カ 一 見 ニ 百 聞 ひやく

ゴロは、「フニョフニャ(不如・不若)西和(にしかず)には及 ばない」、これだけでOK。インパクトのあるイラストとともに ゴロを何度も唱えて覚えてほしい。

漢文句法 ゴロ

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37

比較

37

形 「形容詞・形容動詞+於+名詞」↓「AC於B」=「AはBよりもC(形容詞・形容動詞)だ」 (形容詞 形容動詞) よりも 老(於)いては心

・ 「於(于・乎)」を見たら注意! 「於・于・乎」は名詞(体言)の上に置かれて下の名詞が補語で あることを示す。「於」の後ろに名詞が来るのは受身も比較も同 じだが、「於」の前に来る品詞は異なる。受身の場合は「動+ 於+名詞」。比較の場合は「形容詞(形容動詞)+於+名詞」。こ の違いをしっかり覚えよう。例文では「美」という形容詞が於」 の直前にあるので、比較の用法になる。

c B 玄 宗 曰 ク 、楊 貴 妃 ハ 美 ナリト 於 宝 石 ヨリモ いは く、楊 よう 貴 き 妃 ひ は宝 ほう 石 せき よりも美 び なりと。 楊貴妃は宝石よりも美しいと玄宗は言う。 解 説 玄 宗 曰 げん そう

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38

比較

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c b a c B 「〜にしくはなし」は最上級! 最上級の形は、「僕の(バクニョ・莫如)バックにゃ(バクニャ・ 莫若)まさるものはない。西君はナシ!」と覚えればOK。長く てちょっと分かりにくいゴロだが、何度も唱えて覚えてしまおう。 ちなみに「バッグ」ではなく「バック」であることに注意。 「莫如」 「莫 若」ときたら「〜にしくはなし」と読んで、 「〜に及ぶものはない」 という意味になる。ただし、 「莫」は「無」の場合もあるので、 「無 如」「無若」の形でも覚えておこう。 捕 フルハ 安 禄 山 ヲ 莫 シ 如 クハ 玄 宗 ニ 安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら ふるは玄 げん 宗 そう に如 し くは莫 な し。 安禄山を捕らえるに関しては玄宗に及ぶ者はいない。 解 説 まさるものはない。西君 はナシ!

僕 「A莫如(莫若)B」=「AハBニしクハなシ」=「Aに関してBにまさるものはない」 の(バクニョ・莫如) バックにゃ(バクニャ・莫若)

漢文句法 ゴロ

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39 39 願望は動詞から返って読む! 願望は「欲(ほっス)」だけでOK。覚えてほしいのは、「欲」よ りも下にある動詞とセットで「〜んと欲す」という形で使われる、

願望 動詞から返って1セント欲す

a c B 玄 宗 必 ズ 欲 ス 捕 ヘント 安 禄 山 ヲ ず安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へんと欲 ほっ す。 玄宗はどうしても安禄山を捕らえたいと思う。 解 説 玄 宗 必 げん そう かなら

という用法だ。センター漢文では、返り点や書き下しの問題が出 されることが多いが、その場合、こうした下から返って読む句法 がポイントになっている場合が多い。下にある動詞とセットで「〜 んと欲す」という形をしっかり覚えよう。

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10 「豈」の残り %は詠嘆! センターに必要な詠嘆の形は、「豈〜ズヤ」、「亦〜ズヤ」、「何ゾ 〜スルヤ」の三つだ。まず「豈〜ズヤ」=「なんと〜ではないか」 だが、みんなは「豈」ときたら「反語」!と勉強したことを覚え ているかな。そう、「豈」ときたら %は反語だ。だが、残りの %は、詠嘆(強調)なのだ。見分け方はカンタン。反語の印で ある「ン」文末についていなければ詠嘆(強調)だ。 豈 ニ 非 ズ 宝 ニ 哉 。 豈 あ に宝 たから に非 あら ずや。 なんと、宝ではないか。 解 説 詠嘆(強調) 兄 90 10 a 40

「豈不A哉」=「あニA(ナラ)ずや」=「なんとAではないか」 (豈)やずや、なんと健康ではないか!

漢文句法 ゴロ

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41 41 「不亦A乎」は詠嘆の定型句! センターに必要な詠嘆の形は、「豈〜ズヤ」、「亦〜ズヤ」、「何ゾ 解 説

詠嘆 亦(また)やずや、なんと健康ではないか!

c b 大 学 合 格、 不 亦 タ 嬉 シカラ 乎 。 かく 、亦 ま た嬉 うれ しからずや。 大学合格、なんと嬉しいではないか。 大 学 合 格 だい がく がふ

〜スルヤ」の三つだ。すでに学んだ「豈」は普通「反語」だが、 文末の送り仮名「ン」が入っていなければ詠嘆になるんだった ね。次に、「亦〜ズヤ」だが、これは詠嘆の定型句。「不亦A乎」 =「なんとAではないか」。例文にあるように、大学合格を果た して詠嘆ながら大いに喜ぼう!

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42

詠嘆

42 何

「何A也」=「なんゾA(スル)や」=「なんとAであることよ」 ぞ哲也、なんと哲也であることよ!

安 禄 山 之 策 略 何 ゾ 其 レ 周 到 ナル 也 。 なん ぞ其 そ れ周 しう 到 たう なるや。 安禄山の策略はなんと周到であることよ。 解 説 安 禄 山 あん ろく ざん の策 さく 略 りやく 何

詠嘆か疑問かの判断が大切! 「何ゾ〜(連体形+)ヤ」という詠嘆形だが、これは疑問の用法 と形がまったく同じなので、文脈判断が必要になる。見分け方と しては、文中で「何ゾ〜ヤ」が使われたときに、それに対して誰

かが答えていれば疑問、「何ゾ〜ヤ」と言っても誰も答えていな ければ詠嘆でひとりで感動したり驚いたりしていると思えばい い。ちなみに「何ゾ〜ンヤ」と「ン」がある場合は「反語」の はもう大丈夫だよね?

漢文句法 ゴロ

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43 43 「而」は前後のつながりに注意! 「而」は、接続詞の働きをする置き字だ。置き字として用いられ た場合には「而」自体を読まない代わりに、「テ」「シテ」「ドモ」 などの接続助詞が、他の字の送り仮名として補われる。 「 「シテ」 接続詞 手

114 「而」=①順接「て・して」 ②逆接「ども」 下(て・して) ども、思考(而)して安禄山を逮捕せよ!

a a 玄 宗 欲 スレドモ 捕 ヘント 而 安 禄 山 不 待 タ 。 とら へんと欲 ほつ すれども安 あん 禄 ろく 山 ざん 待 ま たず。 玄宗が捕らえようと思っても、安禄山は待ってくれない。 解 説 玄 宗 捕 げん そう

は順接の接続助詞で「そして」意味、「ドモ」は逆接の接続助 詞で「しかし。けれども」の意味だ。問いに絡んだ場合、文脈判 断になるので注意だ。

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44 再読文字 未来ちゃんいまだ来ず 「未」は「いまダ〜(セ)ず」! 再読文字の「未」は、一度目に「いまダ」と読んで、返り点で返っ た二度目に「ず」と読む。二度目の読みの「ず」は、古文の打消 解 説

a c B 玄 宗 未 ダ 捕 ヘ 安 禄 山 ヲ いま だ安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら へず。 玄宗はまだ安禄山を捕らえない。 玄 宗 未 げん そう

の助動詞「不」と同じ「ず」だ。「いまダ〜(セ)ず」で「まだ 〜ない」という意味になる。四字熟語の「人跡未踏」は「人跡未 だ踏まず」と読み、「人がまだ行ったことがない」ことを表して いる。また、「未不〜」は「いま〜ずんばあらず」と読む二重 否定で、「〜しないことはない」「必ず〜する」と訳す。

漢文句法 ゴロ

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45 45 「将(且)」は「まさニ〜(セ)ントす」! 再読文字の「将(且)」は、一度目は「まさニ」と読んで、返り 点で返って二度目は「す」と読む。この「す」は「する」という 意味のサ変動詞。「まさニ〜(セ)ントす」で「今にも〜しよう とする」という意味だ。未来の意志・状態を推量る意を表。 また、「将」の字は「はた」と読んで、「または・それとも」など と訳す場合と、 「ひきヰル」と読んで「統率する・引き連れていく」 の意を表す場合があるので注意だ。 解 説

再読文字 将軍まさにメントス食べようとする

a c B まさ に宝 ほう 石 せき を盗 ぬす まんとす。 安禄山は今にも宝石を盗もうとする。 安 禄 山 将 ニ 盗 マント 宝 石 ヲ 安 禄 山 将 あん ろく ざん

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46

再読文字 「当(當)」=「まさニ〜(ス)べシ」=「当然〜すべきだ」

46 当

「当(當)」は「まさニ〜(ス)べシ」! 再読文字の「当(當)」は「まさニ〜(ス)べシ」と読む。一度 目の読みは「将」と同じ「まさニ」だが、二度目の読み方は「将」 とは違って「当(當)」は「べシ」と読む。「べし」という助動詞 はいろいろな意味をもつが、「当(當)」の「べし」は、「当然〜 すべきだ」という意味で覚えておこう。また、「当」の字は「〜 解 説 たればマーサに 当然返すべし!

a c B まさ に安 あん 禄 ろく 山 ざん を追 お ふべし。 玄宗は当然安禄山追べきだ。 玄 宗 当 ニ フ 安 禄 山 ヲ シ 追 玄 宗 当 げん そう

にあたりて」と読み、「〜の時にと訳すことがある。時間・空 間・状態に直面する意を表す。「当仁」=「仁に当たりて」=「仁 を行う時は」。

漢文句法 ゴロ

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118 47 47 「応(應)」は「まさニ〜(ス)べシ」! 再読文字の「応(應)」は「当(當)」とまったく同じく「まさニ〜(ス) べシ」と読む。だが意味は少し違って、 「きっと〜だろう(はずだ)」 と強めの推量になる。また、 「応」の字は再読文字でない場合、 「こ たフ」と読んで「(相手の問いに)答える・返事をする」、 「おうズ」 と読んで「求めに応じる・手ごえがある」となる場合があるの で注意が必要だ。 安 禄 山 応 ニ シ 逃 グ 。 安 あん 禄 ろく 山 ざん 応 まさ に逃 に ぐべし。 安禄山はきっと逃げるだろう。 解 説 再読文字 応 援すればマーサに ベシっときっと届くだろう a

「応(應)」=「まさニ〜(ス)べシ」=「きっと〜だろう」

48

再読文字 「宜」=「よろシク〜(ス)べシ」=「〜するのがよい」

48 宜

「宜」は「よろシク〜(ス)べシ」! 二度目を「べし」と読む再読文字は、「当」と「応」のほかにあ と二つある。「宜」と「須」だ。まず「宜」は、 「よろシク〜(ス) 解 説 (よろ)しく ベシベシするのがよい

a c B よろ しく計 けい 画 かく を練 ね るべし。 玄宗は計画を練るのがよい。 玄 宗 宜 シク シ 練 ル 計 画 ヲ 玄 宗 宜 げん そう

べシ」と読んで〜するのがよい」という意味だ。適当・当然の 意を表す。また、「宜」の字は「むべ(うべ)ナリ 読み、「な るほど・当然である」と訳ことあるので注意だ。

漢文句法 ゴロ

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49 49 「須」は「すべかラク〜(ス)べシ」! 再読文字の「須」は、「すべかラク〜(ス)べシ」と読んで「〜 する必要がある・〜しなくてはならない」という意味だ。「すべ かラク」の「須」は「必須」の「須」。だから「〜する必要がある」 だ。また、「須」の字は「もちフ・もちヰル」と読んで「用いる」、 「まツ」と読んで持つ・必要とする」の意を持っているので注意。 「須」の字を使った熟語で覚えておきたいのとして、 「須臾(しゅ ゆ)」=「少しの間・ほんの短い時間」がある。 解 説 再読文字 須 藤君滑るから靴 ベシっと履く必要がある

「須」=「すべかラク〜(ス)べシ」=「〜する必要がある」

a c B すべか らく安 あん 禄 ろく 山 ざん を捕 とら ふべし。 玄宗は安禄山を捕らえる必要がある。 玄 宗 須 ラク シ 捕 フ 安 禄 山 ヲ 玄 宗 須 げん そう

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a a 「猶(由)」は「なホ〜ノ(ガ)ごとシ」! 再読文字の「猶(由)」は「なホ〜ノ(ガ)ごとシ」と読んで「ちょ うど〜のようだ」という意味。二度目の読みの「ごとシ」は、 「如 (ごとシ)」や「若(ごとシ)」と同じ比況の助動詞で、 「〜のようだ」 という意味だが、 「如・若(ごとシ)」よりも強い表現になる。また、 抑揚で使われる場合は、 「A猶(尚)B、況C」=「AすらなおB、 いわんやCをや」と読んで「AでさえもBなのだから、ましてや Cは当然だ」の意となる。 過 ギタルハ 猶 ホ シ 不 ルガ 及 バ 。 過 す ぎたるは猶 な ほ及 およ ばざるがごとし。 行きぎるのは、行き届かないのとちょうど同じでよくないこ とだ。 解 説 再読文字 猶 50

「猶(由)」=「なホ〜ノ(ガ)ごとシ」=「ちょうど〜のようだ」 子(なほこ)ごとシマウマのようだ

漢文句法 ゴロ

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51 51 「盍(蓋)」は「なんゾ〜(セ)ざル」! 再読文字「盍(蓋)」は「なんゾ〜(セ)ざル」と読む。「なんゾ」 は「どうして」という意味の疑問詞で、 「ざル」は打消の助動詞「ず」 の連体形だ。「どうして〜しないのか?」という疑問の意味と、 「ど うして〜しないのか(したらどうか)」という勧誘の意味とがある。 二つの違いを判断するには文脈を正確に捉えることが大切だ。ま た「盍(蓋)」の字は、「おほフ」と読んで「覆隠す」、「けだシ」 と読んで「思うに」の場合もあるので覚えておこう。 再読文字

盍 「盍(蓋)」=「なんゾ〜(セ)ざル」=①疑問「どうして〜しないのか」 ②勧誘「〜したらどうか」 (なん)ぞ ザルソバ食わないのか? 食ったらどうか

d c B いは く、盍 なん ぞ各 おの 々 おの 爾 なんぢ の志 こころざし を言 い はざると。 孔子がおっしゃった、「どうしてそれぞれ自分の理想を言わな いのか、言てごらん」と。 解 説 子 曰 ク 、 盍 ゾ ルト 各 〻 言 ハ 爾 ノ 志 ヲ 子 曰 し

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52

漢詩

52 絶

絶句=四句 対四回、立 律詩=八句 派だね。腰 古詩=制限なし は永遠

文字×八句)、五言古詩(五文字×句数制限なし)、あるいは七言 絶句(七文字×四句)、七言律詩(七文字×八句)、七言古詩(七 文字×句数制限無し なる ※■の箇所が押韻の箇所。 【五言絶句】 【七言絶句】 □□□□□(起句) □□□□□■(起句) □□ ■(承) □□□□□■(承句) □□ (転句) □□ (転句) □ ■(結句) □ ■(結句) 解 説

漢詩の形式を覚えよう! 漢詩は、五文字のものを五言(ごごん)、七文字のものを七言(し ちごん)という。また、絶句は四句、律詩は八句、古詩は制限なし。 それぞれの組み合わせで、五言絶句五文字×四句)、五言律詩(五

漢文句法 ゴロ

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53 53 押韻はメッチャ大切! 押韻の箇所は決まっており、五言詩では偶数句末で音がそろえら れ、七言詩では第一句末と偶数句末の音がそろえられる。 ※■の箇所が押韻の箇所。 【五言律詩】 【七言律詩】 □□□□□ □□□□□□■ □□ ■(首聯) □□□ ■(首聯) □ □ □□□■(頷聯) □□□□■(頷聯) □□ □ ■(頸聯) □□ ■(頸聯) □□ □□□ □ ■(尾聯) □ ■(尾聯) 解 説 漢詩 五 五字(五言詩)は偶数句末 時にぐーすか、七 七字(七言詩)は第一句と偶数句末で韻を踏む 時にもう一度ぐーすか

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「己(き)」

「己(こ)」

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「己(つちのと)」

a 「巳・已・己」 は何通り読める? 紛らわしく、読みもたくさんある漢字「 巳・已・己」をゴ ロでいっ ぺんに覚えてしまおう。最後の一画が一番上まで付くのが「巳 (み)」と「巳(し)」。已然形の「已」のように、なかばから付い ているのが「已(や)む」「已(い)」「已(すで)に」「已(のみ)」。 「自己」の「己」のように下に付いているのが「己(おのれ)」「己 (つちのと)」「己(こ)」「己(き)」。長いゴロだけど、リズムに乗っ て覚えれば意外に簡単に覚えられるぞ。 幽 賞 未 ダ 已 マ 。 幽 いう 賞 しやう 未 いま だ已 や まず。 心静かに風景を観賞することがいつまでも終わらない。 解 説 巳・已・己 み しは上、やむ いはすでに なかば のみ、 お のれ つちのと こ き 下に付く 54

最後の一画が一番上まで付くのが「巳(み )」と「巳(し)」。 已然形の「已」のように、なかばから付いているのが「已(や)む」 「自己」の「己」のように下に付いているのが「己(おのれ)」

「已(のみ)」

「已(すで)に」

「已(い)」

漢文句法 ゴロ

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55 55 「是以」は上から下に読む! 「是以」=「ここをもって」は、「こういうわけで・だから」の意 味。いわゆる順接確定条件で因果関係を表す。「AだからB」の「だ から」に該当するのが「是以(ここをもって)」だ。「是」は「ぜ 解 説 是以 ぜ 「是以」=「ここをもって」 い肉 はここをもって

a 是 ヲ 以 ツテ 玄 宗 ハ 不 ル 学 バ 也。 ここ を以 も って玄 げん 宗 そう は学 まな ばざるなり。 こういうわけで玄宗は学ばないのだ。 是

と読むときは「正しい」の意を表す字だが、「こレ・こノ」と読 んで「これ・この・この人」の意を表し、「ここニ」と読んで「こ こに」の意を表す場合とがある。また「如是・若是」は「かくの ごとしと読んで、このようである」と訳す。

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以是 「以是」=「これをもって」

56 い

いぜ これをもって

「これによって・このために」の意味。 「是」

55 前に述べた事例を踏まえて結論を導く意を表す。 の「是以」と この「以是」を混同しないこと。特に「読み」に注意。また、 が下に付く熟語でもう一つ紛らわしい熟語である「於是」は、 「こ こニおいテ」と読み「そこで・こうして」の意味。 「以是」は下から返って読む! 「以是」=「これをもって」は、

a c B 以 ツテ 是 レヲ 知 ル 玄 宗 ノ 能 ヲ こ れを以 も って玄 げん 宗 そう の能 のう を知 し る。 これによって玄宗の能力を知った。 解 説 是

漢文句法 ゴロ

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