極める漢文1

書き下し文 口語訳

14 〈書き下し文〉 〈現代語訳〉 隋代の田僧亮・楊契丹は鄭法士とともに画才で名を知られていた。鄭法士は自らの才能が楊契丹に及ばないこ とを自覚していた。そこで楊契丹につき従って画の手本を求めたところ、楊契丹は教えてくれなかった。ある日、 鄭法士連れて朝堂にやって来て、宮殿・衣服や冠・人・馬・車を指差して言うに、「これが私の手本です。 あなたは分かりますか」と。これによって鄭法士は手本の何たるかを理解し、技芸が上達した。 第 講  胡直『衡廬精舎蔵稿』 書き下し文・口語訳 隋 ずい の田 でん ・楊 やう 鄭 てい 法 はふ 士 し と倶 とも に画 ぐわ を能 よ くするを以 もつ て名 な あり。法 はふ 士 し 自 みづか ら芸 げい の楊 やう に如 し かざるを知 し るなり。乃 すなは ち楊 やう に従 したが ひて 画 ぐわ 本 ほん を求 もと むるに、楊 やう 之 これ に告 つ げず。一 いち 日 じつ 法 はふ 士 し を引 ひ きて朝 てい 堂 だう に至 いた り、指 ゆびさ すに宮 きゆう 闕 くゑつ ・衣 い 冠 くわん ・人 じん 馬 ば ・車 しや 乗 じよう を以 もつ てして、曰 いは く、「此 こ れ吾 わ が画 ぐわ 本 ほん なり。子 し 之 これ を知 し るか」と。是 これ に由 よ りて法 はふ 士 し 悟 さと りて芸 げい 進 すす めり。

書き下し文・口語訳

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