みんゴロ極める古文1

大事を思ひ立たん人は、さりがたく、心に かからん事の本意を遂げずして、さながら捨 つべきなり。「しばしこのこと果て」、「同 じくはかの事沙汰しおきて」、 「しかしかの事、 第2講  『徒然草』口語訳 たん、ほどあらじ。物騒がしからぬやうに」 など思はんには、えさらぬ事のみいとど重な りて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日も あるべからず。おほやう人を見るに、少し心 あるきはは、皆このあらましにてぞ一期は過 ぐめる。  れない用事ばかりがますます重なって、いつになったら用事が なくなるという際限もなく、結局、大事を決行する日もあるは 仏道修行という人生の大事を決行しようとするような人は、 避けにくく気にかかるようなことがあっても、そのことを思い 通りに成しとげないで、そっくりそのまま捨去らなければな らないのである。「もうしばらく待ってこの用事が済んでから」 とか、 「(どうせ)同じだったら、あのことを処置しておいてから」 とか、「これこれのことは、(このままでは)人から悪口を言わ れるかもしれない、将来、他人から非難されないように前もっ て始末しておいてから」とか、「長年こうして来 た のに、その ことが完了するのを待とう、もう間もなくだろう。あわてた様 子でないように」などと思うならば、それはどうしても避けら 近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや いふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、 財をも捨てて逃れ去るぞかし。命は人を待つ ものかは。無常の来る事は、水火の攻むるよ ずがい。だいたい世間の人を見ると少し出家の志を抱いて いるほどの人は、ずれ仏道に入ろうという心積もりで、一生 を過ごしてしまうようである。 近所の火事から逃げる人は、「しばらく待ってくれ」などと 人の嘲りやあらん、行末難なくしたためまう けて」、「年ごろもあればこそあれ、その事待

問三 A B C D G I 各2

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