みんゴロ古文出典
+ ぎりを、書きあつめて、よむ人を感ぜしめむと作れる物」で あって、そこに儒仏の倫理観を持ち込むことは意味がないこ とを主張した。 ★ 「 未然形 ば 」が順接仮定条件を表し「(もし)~ならば」 となるのと同様、 「 むには 」の形も「~としたら・~ならば」 と順接仮定条件を表す。 仮定条件は古文の基本。 「未然形 ば」だけでなく、 助動詞「む」を使った「むに・ むには・むは・むも・むこそ」 の形にも注意です。 光 源 氏 の 君 を、 も っ ぱ ら よ い 人 の 模 範 と し て、 よ い こ と の す べ て を、 こ の 君 の 上 に、 とり集めたように書いている、これが物語の本意であって、そこでのよい、 悪い ということは、儒教や仏教などの + 読解ポイント 国学者本居宣長は、『源氏物語』の根底にあるものを「ものの あはれ」と定義した。「此物語は、よの中のもののあはれのか
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源氏の君をば、むねとよき人の 本 ほん として、よきことの 限り を、この君の上に、 とり集めたる、これ物語のおほむねにして、そのよき あしき は、儒仏などの 書 ふみ の善悪と、変はりあるけぢめなり。さりとて、かのたぐひの不義をよしとするには あらず。そのあしきことは、今さら言はで もしるく 、さるたぐひの罪を論ずることは、 おのづから その方の書どもの、よに ここら あれば、ものどほき物語を待つべきにあらず。 本で言う善悪とは、はっきりとちがっている差なのである。そうだからと言って、先に挙げたようなあのたぐいの不義をよいと言うわけでは な い。 そ れ が 悪 い こ と は、 今 さ ら 言 わ な く て も 明 白 で 、 そ う い う た ぐ い の 罪 を 論 じ る こ と は、 自然と その方面の書物が世間に たくさん あるので、余り縁のない物語といったものに期待するべきではないのである。
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