新・ゴロゴ漢文問題集 基礎・必修編 v1.01
追加コンテンツ版
はじめに 選び抜かれた良問で、返り点と句法を完全マスターしよう! 漢文に限らず、どんな科目でも、学習の際にはインプットとアウトプットのバランスが肝心です。まず は基本を理解して覚えること(インプット)。しかし、この段階でと どまっていてはダメで、覚えたことを 使いこなせるようになって、はじめて身についたと言えます。そのためには、数多くの問題をこなしてト レーニングすること(アウトプット)が必要です。
程度で本文を抜き出して、一問一答形式にして再構成しました。ここ収録した三十問を解くことで、置 き字からすべての句法、そして、漢詩にいたるで、漢文に必要な基本事項がすべてチェックできるよ になっています。 ぜひ本書を活用して、返り点と句法の完全マスターを図ったうえで、本格的な長文読解につなげてくだ さい。
漢文の場合、第一に、返り点と句法の習得、そこができたら第二に、文章上でそれらを読解に生かせる ようになることが求められます。しかし、いきなり入試問題の長文に取り組むというのには、抵抗がある 人が多いでしょう。短文では できていのに、長文になると句法を無視して自分勝手に読んでしまう 人も見受けられます。 そこで、本書『新・ゴロゴ漢文問題集 基礎・必修編』は、センター漢文の過去問から、長くても百字
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「新・ゴロゴ漢文問題集」 シリーズ構成 漢文を極め、 「合格」の頂を目指そう!
共通テスト満点 を目指そう!
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基礎・必修編 学習しやすい一問一答演習で、効 率的に学習。 厳選の30題で基礎知識を固めよう。
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スタート
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「本書の利用法」 1 本書は、センター漢文の過去問から、学習効果の高い問題を厳選して、一問一答形式 で再構成したものです。1問ずつ確実にこなしていくことで、返り点と句法を中心とす る漢文の基本事項を効率よくマスターすることができます。 2 まずは1問3分以内を目安に問題を解いてください。力をつけるためには、自分で解 くことが肝心す。その後に解説を読めば、自分に足りかったものが吸収できます。 3 解説は、問題を解くための着眼点を詳しく説明しています。基本事項理解が不十分 であると感じたら、『新・ゴロゴ漢文』を活用して定着を図ってください。
4 「選択肢をチェック!」では、選択肢のどこに注目して正誤を判定するかを「見える化」
しています。とりわけ共通テストでは選択肢の分析が不可欠です。自分でも問題に線引 きや書き込みをしてください。 5 最後に、書き下し文と現代語訳で復習をしましょう。重要語句は必ず覚えてください。 目標は、本文を自力で「音読」できるようになることです。詰まったり、意味が分から なくなったりしたら、書き下文と現代語訳を見返しながら、最終的にはスラスラ言え るところを目指してください。
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オンラインフリー (※1)端末への保存、印刷しての利用には制限がありま す。詳しくは「ゴロゴネット」ホームページ「オン ラインフリー学習参考書について」をご覧ください。 (※2)ホームページから利用のご報告が必要です。 -本書籍は、オンライン上で自由に (※1) 利用できます- 映像・音声授業で、自宅学習を完全サポート! 『新・ゴロゴ漢文問題集』シリーズの最大の特徴としては、各巻 に「映像・音声授業」が付いていることです。漢文を自学自習す るのは容易なことではありません。 「やるぞっ!」とスタートして も、最初の数題をやったところで挫折してしまう人も多いのです。 そこで、この『新・ゴロゴ漢文問題集』シリーズでは「映像・ 音声授業」を付けることで、 みなさんのモチベーションをアップ して、最後まで走り切れるようサポートします。 映像・音声授業では、解説みならず、入試に役立つアドバイ スなども交え、楽しくてためにな内容をお届けします。 付属の映像・音声授業を利用するには、巻末の袋とじページか ら「ゴロゴネット」にアクセスして、ハイブリッドコードを登録 してください。せっかくのコンテンツも使わなければ宝の持ち腐 れ。ぜひぜひ映像・音声授業も有効活用しください。 生徒のみなさん 本書を持っていない塾の先生から 学校の先生方 2021年度以降も補償金無し 塾講師・YouTuberのみなさん YouTubeでの公開も可能 でも、オン ラインで指導を受けることが出来ます。録画も可。 で、遠隔授業に利 用することが出来ます。録画したものの配信も可能! 当書籍の解説授業を自由 に公衆配信することが出来ます。 (※2)
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第 目次 8 12 1 講 置き字 講 返読文字1 第
第 講 否定4
第 講 否定3
第 講 否定2
第 講 否定1
9 第 講 使役2
8 第 講 使役1 第
第
第
第
第
第
第
7
6
5
4
3
2
講 対句2
講 対句1
講 再読文字4
講 再読文字3
講 再読文字2
講 再読文字1
講 返読文字2
16 20 23 26 30 34 40 44 48 52 56 60 64
第 講 漢詩2
第 講 漢詩1
第 講 詠嘆
第 講 比較2
第 講 比較1
第 講 抑揚
第 講 累加2
第 講 累加1
第 講 限定
第 講 仮定
第 講 反語3
第 講 反語2
第 講 反語1
第 講 疑問2
第 講 疑問1
68 72 76 79 83 86 90 94 98 102 106 110 113 118 122
第 講 1
解答 置き字 傍線部において、置き字の「於」が用いられていることに注目しよう。 「於」は、「乎」 「于」と ともに、客語(体言)の前に置いて、上にある述語(用言)に返ることを示す置き字だ。 も、「敬」に返る形で返り点がなければならない。よって、そのようになっていない ・ ・ は誤りである。 次に、置き字の「於」 「乎」「于」は述語と客語の関係を表わすが、その関係は、 Ⅰ受身・Ⅱ比較・ Ⅲ動作の対象 の3つだ。 は「よりも」とⅡ比較として 訓 よ んでいるが、「事上」と比較される対象 が本文に見当たらないので誤りと判断できる。 残るは ・ だ。 は「~んや」と反語で訓んでいるが、それでは「上(君主)に対して敬意 を払わない」という意味にってしまい、明らかに文意に合わない。よって、消去法により正解は と判定できる。 解釈しよう。「事」は動詞で 「つかふ」と訓み、 「仕える」の意。「上」は 「君主」のこと。傍線部は、 「事上(上に事ふ) 」が客語となって、述語の「敬 (敬あり)」に返る、という構造になっている。よっ て、 「君主に仕えるのに敬意がある」と解釈できる。なお、 「敬(敬あり) 」は直前にある「智 (智あり)」 6 1 3 2 5 6 5 6
傍線部で
2ページ
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第1講 置き字
1 問 傍線部 A「敬 於 事 上」の返り点の付け方とその読み方として 最も適当なものを、次の各群の ~ のうちから、一つ選べ。 選択肢をチェック! があるので
「于」で返るということがポイントになる
と並列されている。 返り点の付け方を問う問題では、置き字の「於」「乎」 ことがあるので、頭に入れておこう。
1 2 3 4 5 6 敬 二 於 事 上 一 事の上に敬 つつ しまんや 敬 二 於 事 上 上にふる あり × × ×
× 敬 於 レ 事 上 敬して事於い 上 たてまつ る
× 敬 二 於 事 上 上に事 つか ふるよりも敬たり 敬 於 事 レ 上 敬して上に事へんや
6 敬 於 事 レ 上 敬して上に事あらしむ
比較する対象がない
反語ではない
「敬」に返る
置き字の「於」
9
る 所 ゆゑ は、昭 せう 昭 せう の為 ため に節 せつ を信 の べず、冥 めい 冥 めい の
て伯 はく 玉 ぎよく なり。
為 ため に 行 おこなひ を 堕 おこた らず。 蘧 きよ 伯 はく 玉 ぎよく は 衛 ゑい の 賢 けん
を以 もつ て礼 れい を廃 はい せず、是 ここ を以 もつ て之 これ を知 し る」と。公 こう 之 これ を視 み しむるに、果 は たし
ふるに敬 けい あり。此 こ れ其 そ の人 ひと 必 かなら ず闇 あん 昧 まい
大 たい 夫 ふ なり。仁 じん にして智 ち 有 あ り、上 かみ に事 つか
に下 くだ り、路 ろ 馬 ば に式 しよく するは、敬 けい を広 ひろ む
書き下し文 現代語訳
夫 ふ 人 じん 曰 い はく、「 妾 せふ 聞 き く、 礼 れい に 公 こう 門 もん
重要語句
ん 以 なりと。 夫 そ れ 忠 ちゆう 臣 しん と 孝 かう 子 し と
▪ 所以
▪ 与
▪ 是以
「ゆゑん」と訓む。 「理由・方法」の意。 本文では、格助詞「と」の働き(並列)をする返読文字として用いられている。 「ここをもつて」と訓む。 「こういうわけで・だから」の意。 (衛霊公の)夫人が言うには、 ん。蘧伯玉は衛の国に知られる賢明な大夫です。仁徳があって知 恵もあり、君主である陛下にお仕えするのにも敬意があります。 暗闇であったとしても礼節を欠く人ではけっ ございません。 こういうわけでこのこと(門を通り過ぎた人物が蘧伯玉あるこ と)が分かったのございます」と。衛霊公が侍者に見に行かせ たところ、まさしく蘧伯玉であった。
「私はこのように聞いております。 『礼記』に大夫の行う礼として、君主の住む宮殿の門前では車を 下り、君主の馬に対しては敬礼するとありますが、これは君主に
対する敬意を表わすためのものです。そもそも忠臣と孝子とは、 人が見ているからといってわざと礼儀を誇張することはないです し、見ていなからといって礼行を怠るというこ ともありませ
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第1講 置き字
さぁ、漢文の基本知識を
一緒に学習していこう!
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第 講 2
解答 4ページ ⒜ ⒝ 傍線部を見ると、まず使役形の「使」に目が行くだろうが、返読文字の「欲」にも注目してほし い。 「欲」は動詞から返る形で用いられる返読文字で、 「欲A」で「A(せ)んとほっす」と訓み、 「A した」という意味となる。 これに、使役の訓み(~をして~せしむ)を合わせれば、 ⒜ の返り点と書き下し文は で決まる。 ・ ・ は「使」の訓みが×、 ・ ・ は「欲」の訓みが×である。 続いて ⒝ は、 ⒜ に対応する解釈であるから、 「高い地位につかせてやりたいと思う」が 選べるだろう。 「派遣したい」、 「人物にしたい」では使役の意味が含まれていない。また、 1 2 1 3 4 1 4 5 2 1 2 3 返読文字1
2 「〜 結果である」、 「〜 理由である」は、「欲」に返って最後に訓むという形の解釈になって いない。 本問のように、句法だけでは正解が確定できず、 返読文字が決め手になる という問題は多い。 『新・ゴロゴ漢文』の「基礎編 4返読文字」で整理しておこう。 4 5
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第2講 返読文字1
1 必 欲 レ 使 レ 之 在 二 尊 貴 之 一 所 必ず之を使はんと欲するは尊貴の在る所なり 必 欲 レ 使 三 之 在 二 尊 貴 之 所 一 必ず之をして尊貴の所に在らしめんと欲す 必 欲 三 使 之 在 二 尊 貴 之 所 一 必ず使ひの尊貴の所に在らんこを欲す 必 欲 三 使 レ 之 在 ㆓ 尊 貴 一 之 所 必ず之を使ひて尊貴に在らんと欲するの所なり 必 欲 使 三 之 在 二 尊 貴 一 之 所 必ず欲して之して尊貴に在らむるの所ならん 問 傍線部 A「必 欲 使 之 在 尊 貴 之 所」について、⒜返り点 ので× 「欲」は返読文字なので最後に返って訓む。 よって× 2 3 4 5 5 × × × × ⒜
1 の付け方と書き下し文、⒝その解釈として最も適当なものを、次 の各群の ~ のうちから、それぞれ一つずつ選べ。 選択肢をチェック!
2
「使」を使役形で
訓んでいない
13
⒝
1 2 3 4 5
× 必ず教え子を高い地位につかせてやりたいと思う。 必ず教え子を高官のもとに派遣したいと思う。 必ず教え子を皇帝の役に立つ人物に 教え子をなんとかして出世させたいと思った結果である。 教え子に正しい育を施してやりたいと思う理由である 「之」 「使」 「欲」 使役形の意味が ない 「欲」を最後に解釈していない × × ×
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第2講 返読文字1
「惟」などと同じ。累加形で 「ただに~の て傷がつくのを恐れるだけでなく、なんとかして高い地位に つかせてやりたいと思う。から、よその家の子弟を教える にあたっては、わずかばかりでも欺こうとする心が生じたこ とはけっしてない」と。 張 ちやう 無 む 垢 こう 云 い ふ、「 某 それがし 人 じん 家 か の 子 し 弟 てい の 醇 じゆん 謹 きん 及 およ び俊 しゆん 敏 びん なる者 もの を見 み れば、之 これ を愛 あい すること 啻 た だに常 じやう 人 じん の宝 たから を愛 あい するがごとく、唯 た だ 其 そ の埋 まい 没 ぼつ 及 およ び之 これ を傷 しやう 損 そん するを恐 おそ るるのみ ならず、必 かなら ず之 これ をして尊 そん 貴 き の所 ところ に在 あ らし めんと 欲 ほつ す。 故 ゆゑ に 人 じん 家 か の 子 し 弟 てい を 教 をし ふる に、敢 あ へて一 いつ 点 てん の欺 ぎ 心 しん も萌 きざ さず」と。 書き下し文
重要語句
▪ 不啻
2
「啻」は 「唯」
の意。
現代語訳 張無垢が言うには、「私めは、よその家の子弟で素直でつ つしみ深く頭の回転も早い者を目にしたときには、この子を 愛する気持ちは、ふつう人が宝物大事にするように埋もれ
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第 講 3
解答 返読文字2 本講でも前講に引き続き、返読文字がポイントである。傍線部中の「若」に注目しよう。 「A若B」 で「AはBのごとし」と訓み、 「AはBのようだ」という意味である(比況形)。 「若」の前後で〈A ≒ B〉の関係になっていることを押さえよう。傍線部では、 A(思 天 下 匹 夫 匹 婦 有 不 被 其 沢 者 ) ≒ B(己 推 而 内 之 溝 中 ) と、「 (自分が)〜と思うこと」 ≒ 「自分が〜すること」の関係が成立している。 まず、Aにあたる「思天下匹夫匹婦有不被其沢者」は、直訳すれば「天下の人民(匹夫匹婦)に その(行う道の)恩沢を 受けない 者がいると思うこと」となるから、 ・ の「 互いに 恩恵を与 えあわなければ」は誤りと判定できる。 次に、Bにあたる「己推而内之溝中」は、直訳すれば「自分が押(推)してこれを溝の中に入れ 1 3 5
6ページ
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第3講 返読文字2
1 選択肢を見ると、 は「自分がその人間(=天下の人民)を溝の中へ突き落とした」、 は「自 分がその人間に溝の中に突き落とされた」、 は「自分が溝の中に落ち込んだ」となっており、「こ れ(之)」が指すもの、つまり、溝の中に入ったものは、 が「その人間」、 と は「自分」で ある。しかし、自分が押して溝の中に入れるのであるから、自分が溝の中に入るとは考えられない。 よって ・ は消去され、 が正解と判定できる。 4 1 2 4 2 4 1 る」であるので、 指示語の「これ(之)」が指すものがポイントとなる。
2 改めて傍線部全体を直訳すると、「天下の人民に恩沢を受けない者があると 思うことは、自分が 押してその人間を溝の中に入れる(入れて苦しめる)ようなものである」となる。 はこれを、 「恩 沢に浴さない者があば(〜のように思う)」と仮定の形で意訳しているのである。 1
3
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1 A「思 下 天 下 匹 夫 匹 婦 有 中 不 レ 被 二 其 沢 一 者、 上 若 三 己 推 而 内 二 之 溝 中。 」の解釈として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 天下の人民一人でもその恩沢に浴さない者があれば、自分が その人間を溝の中へ突き落としたかのように思う。 天下の人民一人でもその恩沢に浴さない者があれば、自分が その人間に溝の中に突き落とされたかのように思う。 天下の人民一人一人が互いに恩恵を与えあわなければ、自ら 選択肢をチェック! 2 3 一 × × 問 傍線部
1 に推し量って自分が溝の中に落ち込んだかのように思う。 天下の人民一一人が互いに恩恵を与えあわなければ、彼ら 自身押しあって、溝の中に突き落としているかのように思う。 5 × × ×
5 進んでその人間を溝の中に突き落としたかのように思う。 天下の人民一でもその恩沢に浴さない者があれば、わが身 4
「若」を仮定として意訳している
「己推」=自 (大丈夫) 分が押して 溝の中に突き落とすの である
は「天下の人民」
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第3講 返読文字2
書き下し文 て溝の中に突き落としたかのようである。すべての民に恩沢 を及ぼすことがでるのは、もとり宰相のみである。すで にその地位を得ることができないのであれば、人を救いたい という心を実行できものとしては、良医が一番である。 古 こ 人 じん 云 い へる有 あ り、「常 つね に善 よ く人 ひと を救 すく ふ、 故 ゆゑ に人 ひと を棄 す つる無 な し」と。且 か つ大 だい 丈 ぢやう 夫 ふ の 学 がく に 於 お けるや、 固 もと より 神 しん 聖 せい の 君 きみ に 遇 あ ひ、 其 そ の道 みち を行 おこな ふを得 え んと欲 ほつ す。天 てん 下 か の匹 ひつ 夫 ぷ 匹 ひつ 婦 ぷ に其 そ の沢 たく を被 かうむ らざる者 もの 有 あ るを思 おも ふこ と、己 おのれ の推 お して之 これ を溝 みぞ の中 うち に内 い るるがご とし。能 よ く小 せう 大 だい の生 せい 民 みん に及 およ ぼす者 もの は、固 もと より惟 た だ相 しやう のみ然 しか りと為 な す。既 すで に得 う べか らずんば、夫 そ れ能 よ く人 ひと を救 すく ふの心 こころ を行 おこな ふ 者 もの は、良 りやう 医 い に如 し くは莫 な し。
重要語句
▪ 惟
▪ 莫如
3
「ただ~のみ」と訓む。限定形で「~だけ」の意。 (→第 「~にしくはなし
現代語訳 比較 の最上級で「~に及ぶものはない」の 古の人が言うには、「つねにうまく人を救う。だから人を 見捨てることはない」と。加えて、大丈夫たる者が学問に志 すにあたって、神聖なる君主にめぐりあって正しい道を行い たいと思うのは当然のことである。天下に一人でもその恩沢 を受けない者がいるのではないかと思うことは、自分が押し
22講参照)
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第 講 4
再読文字1 再読文字の「須」 だ。 「使AB」が使役形で「AをしてB(せ)しむ」 、 この時点で選択肢は早くも
解答
)の上にくるのは副詞なので、正
8ページ 3 「すべからく~(す)べし」と訓み、「~する必要が ある・~しなければならない」の意となる。 と に絞られる。さて、 両者の違いは、「皆」を 「その言をして皆」と副詞でとるか、 「その言の皆をして」と名詞で とるかという点である。しかし、漢文の構造として用言(「若出」 「当」 「応」、 「若」は前講にも出てきた比況形で「AはBのごとし」である。「其の言」 ≒ 「出於吾之口」の関係 を押さえよう。もう一つ、置き字「於」は、ここでは動作の起点(~より)を示す。 これらを踏まえて直訳すれば、「書(四書五経)を読み考察するときには、熟読してそこに書か れている言葉をすべて自分の口から出たようにさせる必要がある」となる。自分で言っているかの ようになるまで熟読し、自分の言葉としなさい、ということである。 3 ・ 「よろしく~(す)べし」 6 3 解は と判定できる。 その他の選択肢は、 ・ 「まさに~(す)べし」は は「宜」の訓みである。 また、解答には絡まないが句法を確認しておくと、 6 3 1 4 2 5 傍線部で注目すべきは
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第4講 再読文字1
1 問 傍線部 A「先 須 三 熟 読、使 二 其 言 皆 若 出 二 於 吾 之 口。 」 の書き下し文として最も適当なものを、次の ~ のうちか ら一つ選べ。 まづまさに熟読し、その言をして皆吾の口より出づるがごと からしむべし。 まづよろしく熟読し、その言の皆をして吾の口に出づるがご とからしむべし。 まづすべからく熟読し、その言をして皆吾の口より出づるが ごとからしむべし。 まづまさに熟読し、その言の皆をて吾口に出づるがごと からしむべし。 まづよろしく熟読し、その言をて皆吾の口より出づるがご とからしむべし。 まづすべからく熟読し、その言の皆をして吾の口に出づるが ごとからしむべし。 選択肢をチェック! 再読文字「すべからく~ (す)べし」 使役 動作の起点を示す 副詞 「皆」は副詞だから このような訓み方はしない 6 1 2 3 4 5 6 一 × × × × ×
4
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もののようにする。そうして初めてその道理を理解すること ができる。文意疑問があり、多くの説が入り乱れていると きは、先入観を捨てた心で静かに思索するのよく、性急に いずれかの説に決めつけりしてはいけない。 書き下し文 現代語訳 大 たい 抵 てい 書 しよ を 観 み るには、 先 ま づ 須 すべか らく 熟 じゆく 読 どく し、その言 げん をして皆 みな 吾 われ の口 くち に出 い づるがご とからしむべし。 継 つ ぐに 精 せい 思 し を 以 もつ てし、 其 そ の意 い をして皆 みな 吾 われ の心 こころ に出 い づるごとから しむ。 然 しか る 後 のち 以 もつ て 得 う ること 有 あ るべきの み。文 ぶん 義 ぎ に疑 うたが ひ有 あ りて、衆 しゆう 説 せつ 紛 ふん 錯 さく するに 至 いた りては、則 すなは ち亦 また 虚 きよ 心 しん 静 せい 慮 りよ して、遽 にはか に其 そ の間 かん に取 しゆ 捨 しや する勿 な かれ。
重要語句 ▪ 勿 返読文字で「~(する)なかれ」と訓む。禁止(~するな)の意。
おおよそ四書五経を精読するには、第一にその言葉が全て 自分の口から出たもののようになるまで熟読しなければなら ない。次にくわしく考え、その意味が全て自分の心から出た
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解答 再読 5 10ページ 再読文字の「未」がポイントだ。 「未」は「いまだ~(せ)ず」と訓み、「まだ~しない」の意 味。 傍線部を直訳すれば、 本文の文脈を追っていこう。 文末の「何異」が、「~ ンヤ」と送り仮名をしているので、反語であることに注意しよう(→第 18講参照)。 「飲み食いに明け暮れ、酔ったり夢見たりするのみで、ひとかたまりの土くれのような 者は、生きているといっても、すでに死んでしまった鬼と何が異なろうか(いや何も異ならない)」 ということである。 これを踏まえて傍線部を含む一文を解釈すれば、「死んでいるも同然の人間がいることに、世の 人は気づいていない」となる。よって、「死者同様の者がいる」とある が正解と判定できる。 は「生死の間の境界を越え」、 は「生きていても死んでいても」、 は「永遠に死滅しない」、 は「死者の亡霊にとりつかれてしまう」が、いずれも「未死」に合致しない。 第 講 2 2 1 3 4 5
第5講 再読文字2
「まだ死んでいない者もまた鬼(死者)である」となる。どういうことか、
5
23
1 問 傍線部 A「未 レ 死者亦鬼」の説明として最も適当なものを、次 の ~ のうちから一つ選べ。 生きていも死んでいて、酒と夢にひたる者がいること。 美しい陶酔と夢想にひたり、永遠に死滅しない魂のあること。 まだ死なないうちから、死者の亡霊にとりつかれてしまう者 のいること。 選択肢をチェック! 再読文字「いまだ~ (せ)ず」 傍線部の後で、飲み 食いするだけの土く れのような人間は、 死者と何も変わらな い(与已死之鬼何異) と述べら ている 5 生死の間の境界を越えて宿る魂のあること。 生きている者の中にも死者同様の者がいること。 1 2 3 4 5 × × × ×
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第5講 再読文字2
書き下し文 のように、酔ったり夢見たりするだけで、ひとかたまりの土 くれ同然の者は、生きているといっても、すでに死んでいる 人間とどこも異ならない。 人 ひと の斯 こ の世 よ に生 う まるるや、但 た だ已 すで に死 し せる 者 もの を 以 もつ て 鬼 き と 為 な すを 知 し るのみにて、 未 いま だ死 し せざる者 もの も亦 また 鬼 き なるを知 し らざるな り。 酒 しゆ 甕 をう 飯 はん 嚢 なう の、 或 ある いは酔 ゑ ひ或 ある いは夢 ゆめ み、 塊 かい 然 ぜん たる泥 でい 土 ど のごとき者 もの は、則 すなは ち其 そ の人 ひと 生 い けりと雖 いへど も、已 すで に死 し せるの鬼 き と何 なん ぞ異 こと ならんや。 現代語訳 「ただ~のみ」と訓む。限定形で 「~だけ」の意。 (→第
重要語句
5 ▪ 以A為B 「AをもってBとなす」と訓む。「AをBとみなす」の意。 ▪ 但 「唯」 「惟」などと同じく
人がこの世に生まれたときには、すでに死んだ者を死者と みなすことを知っているだけで、まだ死んでいない者が死者 であることもあるということを知らない。酒のかめや飯の袋
22講参照)
25
解答 6 12ページ 傍線部でまず注目されるのが 「まさに~(す)べし」と訓み、「当然~すべ きだ」の意味である。 選択肢を見ると、 ・ ・ は「当たる」と動詞として訓んでいるが、何 が「当たる」のか、対象が示されていないので無理がある。 そして、傍線部でもう一つ してほしいのが返読文字の「若」だ。第3講で見たとおり、「若」 は「A ≒ B」の関係を示す。傍線部では、副詞の「固(固より)」と再読文字の 「当」を挟んで、 「為 獄 ≒ 是」であると捉えられる。残る選択肢の中で、そのように訓んでいるのは 「獄を為むるこ 「なる」 「おさめる」、助動詞では 「た ・「る・らる」 (受身)と訓み、文脈から判断しようとすると誤るそれがある。そうい 返読文字・再読文字や句法が示す文構造に注目しよう。 意味は取り違えても、文構造 再読文字3 第 講 1 3 5 4 4 再読文字の「当」 だ。
4 と~是くの若く」しかない。よって が正解と判定できる。 「為」は、名詞で「ため」と訓むだけなく、動詞では「なす」 り」(断定) うときこそ、 とい〈形〉は取り違えることはない。
26
第6講 再読文字3
1 問 傍線部 A「為 獄 固 当 若 是」の返り点の付け方とその読み 方として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 選択肢をチェック! 再読文字「まさに~ (す)べし」
× 「当」を再読文字として訓んでいない
3 ×
1 ×
6
5
4
2
×
× 為 二 獄 固 当 一 若 レ 是 獄の固 もと より当 あ たるが為 ため に是 か くの若 ごと しと 為 二 獄 固 当 若 レ 是 獄の固より是くの若く当 あ たるを為 をさ むと
6 為 二 獄 固 当 若 レ 是 獄の固より当 まさ に是くの若くなるべきが為 ため なりと ×
A 獄の ため に固より当 まさ に是くの若くすべしと 為 レ 獄 固 当 レ 若 レ 是
× 為 レ 獄 固 当 若 レ 是 獄を をさ めて固より当 あ たること是くの若しと
× 獄を をさ むること固より当 まさ に是くの若くなるべしと B 為 レ 獄 固 当 レ 若 レ 是
6
B 是 の関係を 押さえて 訓んでいるのは
A為 獄 ≒ (若)
4 のみ
判断しよう!
句法などが示す 文構造から正誤を
☆意味よりも、
27
せん。それが死刑判決を素直に受け入れた由です」と。太 宗が長いため息をついて言うには、「裁きとはまさこのよ うにあるべきだ」と。結局、囚人は罪を赦された。そして、 その日のうちに唐臨は御史大夫の拝命を受けたのである。 書き下し文 現代語訳 唐 たう 臨 りん 大 だい 理 り 卿 けい と 為 な り、 初 はじ めて 職 しよく に 蒞 のぞ み、 一 いち 死 し 囚 しう を 断 だん ず。 先 せん 時 じ 死 し に 坐 ざ する 者 もの 十 じふ 余 よ 人 にん 、 皆 みな 他 た 官 くわん の 断 だん ずる 所 ところ なり。 会 たまたま 太 たい 宗 そう 寺 じ に幸 みゆき し、親 みづか ら囚 しう 徒 と を録 ろく す。他 た 官 くわん の断 だん ずる 所 ところ の死 し 囚 しう は、冤 ゑん と称 しよう して已 や まず。臨 りん の断 だん ずる ところ の者 もの は、黙 もく して言 い ふこと無 な し。太 たい 宗 そう 之 これ を怪 あや しみ、其 そ の故 ゆゑ を問 と ふ。囚 しう 対 こた へて 曰 い はく、「 唐 たう 卿 けい の 臣 しん を 断 だん ずるや、 必 かなら ず 枉 わう 濫 らん 無 な からん。意 い を断 た つ所 ゆゑ ん 以なり」と。太 たい 宗 そう 歎 たん 息 そく すること 之 これ を 久 ひさ しくして 曰 い はく、 「 獄 ごく を 為 をさ むること 固 もと より 当 まさ に 是 か くのごと くなるべし」と。 囚 しう 遂 つひ に 原 ゆる さる。 即 そく 日 じつ 、 御 ぎよ 史 し 大 たい 夫 ふ に拝 はい せらる。
も言わなかった。太宗は不審に思い、その訳をお聞きにな た。囚人が答えて言うには、「唐卿殿が私ら裁くにあたっ ては、法をまげて罪におとしいれることなど絶対にございま
たまたま太宗が大理寺に行幸になり、裁判に誤がないか自 ら再点検された。他の官吏が裁いた死刑囚たちは、冤罪だと 称してやまなかった。だが、唐臨が裁いた死刑囚は黙って何
28 唐臨が大理卿となって、職につきはじめのころ、ある一人 の囚人に死刑の判決を下した。それより前に死刑と判決され た者は十余人いたが、みな他の官吏が断じたものであった。
第6講 再読文字3
重要語句 ▪ 会 ▪ 見
副詞では「たまた 「る・らる」と訓む。
6
29
解答 7 14ページ まず、再読文字の「将」に注目すると、「まさに~(せ)んとす」と訓むから、文末を「べし」 としている と は消去できる。ここまではスンナリと行っただろう。問題はその先どうやって 正解までたどり着くかである。 そこで、傍線部の2行前にある「下有受其害者 矣 」の句に注目しよう。 この句は傍線部と対に なっている。 下 有 受 其害者 矣 ⇔ 」と訓んでいるので、この訓みに対応する 再読文字4 第 講 2 3
5 のように「被」を受身の助動詞(る)とし て訓むのは無理だろう。また、「受」は「受く(受くる) 「被」の訓みは? と考えれば、 の「おほふ」よりも の「かうむる」の方が適当だ。よって、 4 5
1 下 将 有 被 其恵者 矣 「被」に対応するのは動詞の「受」である。よって
30
第7講 再読文字4
続く第8講・第9講では対句に着目して解く問題を扱う。対句とは意味的・構造的に対応する 2つの句を並べることだ。本問でも、2つの句は離れているが、構造的に再読文字・述語(動詞)・ 客語(名詞)が同じ位置にあり、意味的にも「害」と「恵」が対になっている。 共通テストに限らず、国公立二次・私立大においても、対句が解答に絡む問題は非常に多い。 対 句の関係にある句はないかという視点で傍線部の前後を見てほしい。
5 が正解と判定できる。 上の者が艱難を十分に知らずにみだりに施策を行えば、下の民はその害を受けることになる。そ れに対して、艱難を十分に知ってから施策を行えば、下の者は恩恵を受けることになる、というこ とである。
7
31
1 当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 しもまさにそのめぐみをおほふものあらんとす くだらばまさにそのめぐみをかうむるものあるべし 選択肢をチェック! 再読文字「まさに~ (せ)んとす」 × × 問 傍線部 A「下 将 レ 有 下 被 二 其 恵 一 者 上 矣」の読み方として最も適
1 2 3 4 5
5 しもまさにそのめぐみをおほふものあるべし くだらば れ まるるものあらんとす しもまさにそのめぐみをかうむるものあらんとす × × ×
- - 訓み方は「被 かうむ る」 対の関係
有 受 其 害 者 有 被 其 恵 者 「受くる」と対になる
「被」は受身
ではない
32
第7講 再読文字4
書き下し文 知ってから権力を授けるならば、他日施策によって下の 者はその恩恵を受けることにる。だから、造物主が将来 人の上に立つべき人に対して先に困苦させるというのは、 孟子の説のようにその能力を増進させると いうだけでな く、他日にそ人の下にいることになる者の利益のためで もあるのである。 蓋 けだ し人 ひと の上 うへ に居 を るは甚 はなは だ難 かた し。苟 いやし くも艱 かん 難 なん を諳 あん 知 ち せず、遽 には かに授 さづ くるに権 けん を以 もつ てす れば、妄 まう 意 い に設 せつ 施 し して、下 しも 其 そ の害 がい を受 う くる 者 もの 有 あ り。此 こ れ造 ざう 物 ぶつ の必 かなら ず先 さき に困 こん 苦 く せしむる 所 ゆゑ ん 以なり。艱 かん 難 なん を諳 あん 知 ち して、然 しか る後 のち に之 これ に 授 さづ くるに権 けん を以 もつ てすれば、則 すなは ち其 そ の他 た 日 じつ の 設 せつ 施 し 、 下 しも 将 まさ に 其 そ の 恵 めぐ みを 被 かうむ る 者 もの 有 あ らんと す。 故 ゆゑ に 造 ざう 物 ぶつ の 先 さき に 其 そ の 人 ひと を 困 こん 苦 く せしむる は、 独 ひと り 孟 まう 子 し の 其 そ の 能 あた はざる 所 ところ を 増 ぞう 益 えき する の 説 せつ のごときのみに 非 あら ずして、 凡 およ そ 以 もつ て 他 た 日 じつ 其 そ の 人 ひと の 下 した に 在 あ る 者 もの の 利 り の 為 ため にするなり。
重要語句
▪ 蓋
▪ 非独
▪ 苟
主に文頭にくる場合、副詞で「けだし」と訓む。 「思うに」の意。 「いやしくも~(せ)ば」と訓む。仮定形で「もし~ば」の意。 (→第 「ひとり~のみにあらず」と訓む。累加形で「~だけではなく」の意。 (→第
7
現代語訳 思うに人の上に立つというのは難しい。もし艱難を十分 に知らぬまま急に権力を授けたとしたなら、みだりに施策 を行って下の者はその害を受けるこになる。こういう理 由で造物主は必ず先に困苦させるのである。艱難を十分に
21講参照)
24講参照)
33
解答 8 16ページ 前講で予告したとおり、 とは、意味的・構造的に対応する2つの句を並べることである。意味的には、同義語あるいは反対 語が並べられる。一方、構造的には、述語や客語の位置が同じで、返り点も同じように振られる。 本問では、傍線部の「難罔以非其道」が、前の「可欺以其方」と対句の関係にある。 可 欺 以其方 ⇔ ⇔ ⇔ 、「以其方」と「以非其道」がそれぞれ対応している。まず、「罔」 」の形は、 「A(する)にBをもってす」と訓んで、 「B 「道理に外 対句1 第 講 対句に着目して解く問題 である。もう一度基本を確認しておこう。 対句
3 によって(Bを用いて)Aする」の意となる。本文では、「道理にかなった方法で欺く」 難 罔 以非其道 「可」と「難」、「欺」と「罔」 の送り仮名であるが対応する「欺」が「欺ク ニ」と訓んでいるのだから、「罔」も「罔フル ニ」 と訓むと推論できる。「A (動詞)以B(名詞)
34
第8講 対句 1
1 れた方法で欺く」ということである。 選択肢を見ると、「罔ふるに」と訓んでいない ・ ・ は誤りで、 ・ に絞られる。 次のポイントは、「難」の訓みと意味である。 「難」は、動詞として「なんず」と訓む場合(非難 する)と、返読文字として「~(し)がたし」と訓む場合(~するのは難しい)がある。本問では、 返読文字の「可」と対応していることから、後者であると判断できる。つまり、 「欺くことができる」 「欺くことは 難しい 」と、意味的にも対になっているのである。よって、 が正解であると判定で 5 3 4 3
2 きる。 返り点の付け方と書き下し文の組み合わせを問う問題が出された場合は、両者はセットになって いて、返り点のみが誤り、あるいは書き下文のみが誤りというこはないのでどちらかが正し いことを確認すれば十分である。 本問でも、正解の 以外の返り点の付け方はすべて誤っている。 なお、同じ文章からの問題を第 17講で扱うのでそのときに本講の問題も復習してほしい。 3
8
35
1 問 傍線部 A「難 罔 以 非 其 道」の返り点の付け方と書き下し 文の組合せとして最も適当なものを、次の ~ のうちから 一つ選べ。 選択肢をチェック! 5
A 難 罔 以 非 其 道
5
4
3
2
1
× 罔 難 レ 罔 以 レ 非 二 其 道 一 罔ふるを難ずるに其の道に非ざるを以てす 難 二 罔 以 非 二 其 道 一 罔ふるに其の道に非ざるを以てし難し 難 二 罔 以 非 二 其 道 一 罔ふるに其の道に非ざるを以てするを難ず 難 レ 罔 以 非 二 其 道 一 罔ふるを難じて以て其の道を非とす × × × 難 レ 罔 以 レ 非 二 其 道 一 し ひ難きは其の道に非ざるを以てなり
」
「難 かた し」
「可し(べし)
訓みと方対だにかならる
可 三 欺 以 二 其 方 一 難 二 罔 以 一 非 二 其 道 一 「欺くに」と対になる 訓み方だから「罔ふるに」 対句 ※返り点も対応する - - - -
36
第8講 対句 1
書き下し文 は確かでないですから、道理として数百金も値を求めること はできません」と。売人は承服しない言った。「あなた様 は磁器の鑑賞については専門家ではございませんね。野暮っ たい人ですこと」と。あたふたと破片を懐に しまい込んで 去ってしまった。後に高貴な家に売りつけて、ついに百金を 手に入れたとのことである そもそも君子たる者は、道理にかなった方法で欺くことは できるが、道理に外れた方法で欺くことは難しい。 客 かく 有 あ り柴 さい 窯 えう の片 へん 磁 じ を携 たづさ へ、数 すう 百 ひやく 金 きん を索 もと めて 云 い ふ、「 冑 かぶと に 嵌 は むれば、 陣 ぢん に 臨 のぞ んで 以 もつ て 火 くわ 器 き を 辟 さ くべし。 然 しか れども 確 かく たる や 否 いな やを 知 し るに 由 よし 無 な し」と。 余 よ 曰 い はく、 「 何 なん ぞ 縄 なは もて 此 こ の 物 もの を 懸 か け、 銃 じう を 以 もつ て 鉛 えん 丸 ぐわん を発 はつ して之 これ を撃 う たざる。如 も し果 は たして 火 くわ を辟 さ くれば、必 かなら ず砕 くだ けず、価 あたひ 数 すう 百 ひやく 金 きん な るも多 おほ しと為 な さず。如 も し砕 くだ くれば、則 すなは ち 火 くわ を辟 さ くるの説 せつ 碓 かく たらず、理 り として価 あたひ 数 すう 百 ひやく 金 きん を索 もと むる能 あた はざるなり」と。鬻 ひさ ぐ者 もの 肯 がへん ぜずして 曰 い はく、「 公 こう 賞 しやう 鑑 かん に 於 おい て 当 たう 行 かう に非 あら ず、殊 こと に殺 さつ 風 ぷう 景 けい なり」と。急 いそ ぎ之 これ を 懐 ふところ にして 去 さ る。 後 のち 貴 き 家 か に 鬻 ひさ ぎ、 竟 つひ に 百 ひやく 金 きん を得 え たりと聞 き く。 夫 そ れ君 くん 子 し は欺 あざむ くに其 そ の方 はう を以 もつ てすべき も、 罔 し ふるに 其 そ の 道 みち に 非 あら ざるを 以 もつ てし 難 がた し。 砕けることはないですから、数百金の値でも高くはありませ ん。もし砕けたならば、あなたの言う銃弾を避けるという説 た。「どうしてこの破片を縄につるし、銃弾で撃ってみない のですか。もし本当に銃弾を避けたならば、戦陣でも絶対に
現代語訳 ある来客が名品の柴窯の片磁を持参し、数百金の値で売り つけようとして言うには、「 (これを)冑にはめておけば、戦 陣に臨んで銃弾を避けることができます。ですが、それが確 かなことかを知る方法はございません」と。それで私は言っ
8
37
重要語句 ▪ 否 ▪ 由 ▪ 如
「A否」で「A( の意。 「よし」と訓む。方法・ 本文では仮定形で「もし」と 送り仮名をしていることから、仮
21講参照)
38
第8講 対句 1
「選択肢をチェック!」には、 正誤判定のポイントが凝縮されているぞ!
8
39
第 講 対句 9
解答 則攻之」、そして、傍線部を含む「不敵則逃之」の3つの句の関係を踏まえて考えよう。 (敵の軍勢と比べて) (取るべき方法) 什則囲之 十倍であれば → 包囲する 伍則攻之 五倍であれば → 攻める 不敵則逃之 「不敵」 → 逃げる 注にあるとおり、 「什則」 「伍則」は敵の軍勢と比べて自軍の勢力が「十倍であれば」 「五倍であれば」 ということであるから、「不敵」も敵の軍勢と比較して自軍は「不敵」だという意味であると推定 できる。これを踏まえて選択肢を見ると、 「敵意」・ 「宿敵」・ 「敵対」は、この意味に対 応しておらず、誤りと判断できる。 次に、 「A則B」の形で示された、A(条件)とB(帰結)の関係 から考える。傍線部では、「不 3 本問も、 2 4 5 対句的な表現(厳密には対句ではないが)に着目して解く問題
「伍
である。「什則囲之」
9
18ページ
40
第9講 対句2
3 1 3 敵」の場合は「逃之」というのであるから、 「相手に匹敵しなければ」が適当であると考えら れる。 「相手が弱敵でなければ」では、自軍との比較という視点が欠如している。よって、 が正解と確定できる。 解釈しよう。「自分の軍勢が敵の十倍であれば敵を包囲して降伏させる、五倍であれば攻撃して 破る。しかし、相手に匹敵しなければ退却する。それが兵法の常である」ということである。 実戦的には、対句と句法や再読文字などを組み合わせて解くことが多い。 このあとの問題にも出 てくるので、トレーニングを積んでほしい。
9
41
問
1 傍線部 A「不 レ 敵」の意味として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 選択肢をチェック! 5
A 不 レ 敵
1 2 3 4 5
相手が敵対しなければ
× × 相手が宿敵でなければ
× × 相手に敵意を持た 相手に匹敵しなければ
相手が弱敵でなければ
対句的な関係
不 敵 → 逃 之
伍 → 攻 之
什 → 囲 之
「伍」と
「什」 意味対でにはななるい
42
第9講 対句2
書き下し文 可能だとしても、十倍で囲み五倍で攻めるという兵法の常道 はゆるがせにはしなかった。これがいわゆる小変は行っても 大常失わないということである。 夫 そ れ 兵 へい を 用 もち ふるの 法 ほふ は、 所 いは 謂 ゆる 常 じやう 有 あ り、 所 いは 謂 ゆる 変 へん 有 あ り。什 じふ なれば則 すなは ち之 これ を囲 かこ み、伍 ご なれば則 すなは ち之 これ を攻 せ め、敵 てき せざれば則 すなは ち之 これ を逃 のが るるは、兵 へい の所 いは 謂 ゆる 常 じやう なり。寡 くわ を以 もつ て 衆 しゆう を 覆 くつがへ すは、 兵 へい の 所 いは 謂 ゆる 変 へん なり。 古 いにしへ の 善 よ く 兵 へい を 用 もち ふる 者 もの は、 能 よ く 寡 くわ を 以 もつ て 衆 しゆう を 覆 くつがへ すと 雖 いへど も、 什 じふ 囲 い 伍 ご 攻 こう の 道 みち は 未 いま だ 嘗 かつ て 忽 ゆるが せにせず。所 いは 謂 ゆる 小 せう 変 へん を行 おこな ふも其 そ の大 たい 常 じやう を失 うしな はざるなり。
重要語句
▪ 所謂
▪ 雖
「いはゆる」と訓む。 「世に言うところの」の意。 「いへども」と訓む。逆接確定条件(~だけれども)の場合と、逆接 ても)の場合があるが、本文では後者。
勢の敵を破るというのが、兵法におけるいわゆる変である。 古の兵法に巧みな者は、少数の力で多勢の敵を破ことが
であれば攻撃して破り、匹敵しない軍勢であれば退却すると いうのが、兵法におけるいわゆる常である。少数の兵力で多
現代語訳 そもそも兵法には、いわゆる常があり、いわゆる変がある。 自分の軍勢が敵の十倍であれば敵を包囲して屈服させ、五倍
9
43
第 講 10 使役1
解答
20ページ 句法としては最頻出である使役形 の、応用問題だ。「使A(使役の対象) B 1 (動詞) B 2 (動詞)」 と2つの動詞に使役がかかる場合、訓みは「Aをして B 1 して B 2 せしむ」となり、 1つ目の動詞には 使役の助動詞「しむ」を付けて訓まない。 傍線部の一文では、「驚錯」と「欲走」の2つに使役がかかる形となっている。よって、 「余をし て驚錯 して 走げんと欲せ しむる(に至る)」と訓み、 が正解となる。 のように「驚錯せ しめ 」 とは訓まない。また、 は「驚錯せんと欲(せしむる)」が誤り。 「欲」は返読文字 だから、こう 訓むのならば、「欲驚錯」という語順になっているはずである。 なお、 ・ のように、「驚錯」にだけ使役がかかり、 「欲走」にはかからないという訓み方も、 文法的には可能である。しかし、そうすると、「驚錯せしむ」の主語は「老虫(と呼ばれる鼠) 」で、 「走げんと欲す(る)」の主語は「余」となって、文がねじれてしまう。ここは、「鼠が私(余)を 驚かせて逃げようと思わせた」と解釈するのが妥当である。 2 2 4 5 1 3
44
第10講 使役1
問
1 傍線部 A「至 使 余 驚 錯 欲 走」の返り点の付け方と書き下 し文の組合せとして最も適当なものを、次の ~ のうちから 一つ選べ。 選択肢をチェック! 使役が2つの動詞にかかる 5
1 1つ目の動詞には「しむ」を付けない 2 3 4 × 至 レ 使 二 余 驚 錯 欲 走 余をして驚錯して走げんと欲せしむるに至る 至 レ 使 二 余 驚 錯 一 欲 レ 走 余をして驚錯せしむるに至り走げんと欲す 至 下 使 二 余 驚 錯 一 欲 走 余をして驚錯せしめ走げんと欲せしむるに至る 至 レ 使 二 余 驚 錯 欲 一 走 余をして驚錯せんと欲せしむるに至り ぐ 「欲」は返読文字だから このような訓み方はできない × × 至 下 使 二 余 驚 錯 一 欲 走 余をして驚錯せしめ走 に げんと欲するに至る × 5
10
返読文字 ~(せ)
んと欲す
(~したいと思う)
45
いようか」と。少年が答えるには、「他でもない鼠のこと ですよ」と。私は言った。「鼠のことをどうして老虫と名 づけるのか 少年が言うには、「呉の地ではずっとそ う呼んでいるのです」と。ああ、鼠は老虫の 名を勝手に 使って、私をあわてふためかして逃げさせようとした。何 とも笑 しまうことだ。 書き下し文 現代語訳 楚 そ の人 ひと は虎 とら を謂 い ひて老 らう 虫 ちゆう と為 な し、姑 こ 蘇 そ の 人 ひと は 鼠 ねずみ を 謂 い ひて 老 らう 虫 ちゆう と 為 な す。 余 よ 長 ちやう 洲 しう に 官 くわん し、事 こと を以 もつ て婁 ろう 東 とう に至 いた り、郵 いう 館 くわん に宿 しゆく す。燭 しよく を 滅 めつ し 寝 しん に 就 つ くに、 忽 たちま ち 碗 わん 碟 てふ 砉 けき 然 ぜん として 声 こゑ 有 あ り。 余 よ 故 ゆゑ を 問 と ふ。 閽 こん 童 どう 答 こた へて 曰 い はく、 「 老 らう 虫 ちゆう なり」と。 余 よ は 楚 そ の 人 ひと なり、 驚 きやう 錯 さく に 勝 た へずして 曰 い はく、「 城 じやう 中 ちゆう 安 いづく んぞ 此 こ の 獣 けもの 有 あ るを得 え んや」と。童 どう 曰 い はく、「他 た 獣 じう に非 あら ず、 鼠 ねずみ なり」と。 余 よ 曰 い はく、「 鼠 ねずみ 何 なん ぞ 老 らう 虫 ちゆう と 名 な づくる」と。童 どう 謂 い ふ「呉 ご の俗 ぞく に相 あ ひ伝 つた ふる こと爾 しか るのみ」と。嗟 あ 嗟 あ 、鼠 ねずみ 老 らう 虫 ちゆう の名 な を冒 をか し、余 よ をして驚 きやう 錯 さく して走 に げんと欲 ほつ せしむる に至 いた る。良 まこと に笑 わら ひを発 はつ するに足 た れり。
46 楚の人は虎のことを老虫と言い、姑蘇の人は鼠のことを 老虫と言う。私が長洲に長官として赴任していた時に、所 用で婁東という町に至り、宿屋に泊まった。あかりを消し て就寝しようとしたところ、急に食器ががたがたと音を立 てた。私は理由をたずねた。門番の少年が答えるには、 「老
虫です」と。私は楚の出身なので、あわてふためく心を抑 えきれずにこう言った。「まちの中にどうしこんな獣が
第10講 使役1
重要語句
「たちまち 「~に ヘず」 本文では、 「得」に うか(いやそんなはずは 16講参照) ▪ 忽 ▪ 不勝 ▪ 安
10
47
第 講 使役 11
解答 「受」という2つの 動詞に使役がかかっている。また、文脈的に使役の対象が韓幹であることは明白なので、省略され ている。つまり、 令 A(使役の対象) B 1 (動詞) B 2 (動詞) という構文において、A=省略、 B 1 =「従(陳閎に従ふ)」 、 B 2 =「受(画法を受く)」となってい るわけである。1つ目の は助動詞の「しむ」付けない決まりであたから、「陳閎に従 ひ て画法を受けしむ」と訓む。また、傍線部の一文には動詞「詔 (命令する)」があるので、文末に (明 皇)の意思表わす「んす」を付けて、「受けしめ んとす 」とするのが良いだろう。よって、こ れらの条件をすべて満たした が正解と判定できる。 は陳閎を使役の対象とみなして「陳閎をして」と訓んでいる点が誤り。これでは陳閎が韓幹 から画法を教わることになってしまう。また「従ひし陳閎」と訓んでいるが、語順的にそのよう 3 3 1 傍線部は、「令」の字を用いた使役の形をとっている。前講と同様に、「従」
11
11
22ページ
48
第11講 使役 2
1 4 5 な訓み方はできない。動詞(従)で名詞(陳閎)を修飾する場合は、 詞を体言化 し、「所従之陳閎(従ひし所の陳閎) 」とするのが正しい。 も、いま述べたのと同様の理由で「受けし画法」という訓み方が誤り。正しくは「所受之画 法(受くる所の画法)」である。 残る ・ は、「令従」と二字熟語にしている点が誤り。それでは使役形でなくなってしまう。 どの選択肢も似ていて判別するのが難しいが、そういうときこそ 要素に分けて丁寧に見ていく こ とが大切だ。 2
返読文字の「所」を用いて動
11
49
1 問 傍線部 A「明 皇 詔 令 従 陳 閎 受 画 法」の返り点の付け 方と書き下し文の組合せとして最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。
5 明 皇 詔 令 三 従 陳 閎 受 二 画 法 一 明皇詔して従ひし陳閎をして画法を受けしめんとす 明 皇 詔 令 レ 従 二 陳 閎 受 画 法 一 明皇詔して陳閎の受けし画法に従はしめんとす 明 皇 詔 令 下 従 二 陳 閎 一 受 中 画 法 上 明皇詔して陳閎に従ひて画法を受けしめんとす 明 皇 詔 令 二 従 陳 閎 一 受 二 画 法 一 明皇詔して陳閎を令従画法を受けしめんとす 明 皇 詔 令 従 陳 閎 受 二 画 法 一 明皇詔して令従の をして画法を受けしめんとす 選択肢をチェック! 命令(詔) であることを 意思の表現で表わしている このような訓み方は できない 使役が2つの動詞にかかる この訓みでは 使役にならない 1 2 3 4 5 × × × × A 明 皇 詔 令 従 陳 閎 受 画 法
50
第11講 使役 2
書き下し文 ら師匠がおります。陛下の内厩におります飛黄・照夜、各地 方か集められた馬は、みな私の師匠でございます」と。明 皇は韓幹の言い分を認め。その後、韓幹の画はやはり陳閎 を超えた。 唐 たう の韓 かん 幹 かん 馬 うま を貌 かたど るを以 もつ て召 め され、入 い り て 供 ぐ 奉 ぶ たり。 明 めい 皇 くわう 詔 みことのり して 陳 ちん 閎 くわう に 従 したが ひて 画 ぐわ 法 はふ を受 う けしめんとす。幹 かん 因 よ りて奏 そう すら く、「 臣 しん に 自 おのづか ら 師 し 有 あ り。 陛 へい 下 か の 内 ない 厩 きう の 飛 ひ 黄 くわう ・照 せう 夜 や ・五 ご 方 はう の乗 じよう 、皆 みな 臣 しん の師 し なり」と。 帝 てい 之 これ を然 しか りとす。其 そ の後 のち 幹 かん の画 ぐわ 遂 つひ に果 は た して閎 くわう を踰 こ ゆ。
重要語句
▪ 然 動詞の場合には「しかりとす」と訓む。「同意する・認める」の意。
現代語訳 唐代の画家である韓幹は馬を描く才能が認められて供奉と して仕えた。明皇は韓幹に、陳閎に師事して画法を学ぶよう に命じた。韓幹はそこで奏上するには、「私めにはおのずか
11
51
第 講 否定 12
解答
24ページ 5 4 傍線部の一文は、使役形と否定形を組み合わせた形になっている。まず、使役形に着目すると、 傍線部後半の「使有生之類受無量怖苦」の訓みは「有生の類をして無量の怖苦を受けしむ」となる。 よって、「受くる 使ひ 」とする ・ と、「有生の類 の」とする は、この形を踏まえていないの で誤りである。 次に、否定形であるが、 傍線部は「不復」と「不」の下に副詞の「復」があるので、 「また~(せ) ず」と訓み、部分否定で「二度と(今度は)〜しない」の意味になる。 部分否定と全部 の違いは大丈夫だろうか? ポイントは、副詞も否定語も下にくる内容にか かるというこだ。だから、「否定→副詞」の語順ならば、副詞が否定されので部分否定となり、 「副詞→否定」の語順ならば、否定に副詞がかかるので全部否定となる。 不 復〜 → 復た〜だ を否定=二度と(今度は)〜しない〈部分否定〉 復 不〜 → 〜しない が復た=今度も〜しない〈全部否定〉 3 1
12
12
52
第12講 否定1
1 3 2 仕組みを理解したら、あとは形で覚えよう。問題に戻ると、残る と のうち、 は「復(か へ)るに」という訓みが誤り。「復(ま)た」と訓む が正解である。 なお、文末の「耳」は、強意・限定の助字で「のみ」と訓む。疑問・反語の「や」という訓みは ないので、この点でも は誤りである。文脈から考えても、蘇文忠は獄中での艱難の経験から生 き物に量り知れない恐怖や苦しみを与えたくない(受けさせたくない)と思っているのであって、 受けさせることを致さないだろかと問いを投げかけているわけでも、いや致すと言っているわけ でもない。 2 3 2
12
53
1 問 傍線部 A「不 下 復 以 二 口 腹 之 故、致 使 三 有 生 之 類 受 二 無 量 怖 苦 一 耳」の書き下し文として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 復 ま た口腹の故を以てするも、有生の類の無量の怖苦を受くる 使ひを致さざるのみと 復 かへ るに口腹の故を以て、有生の類をして無量怖苦を受けし むるを致さざるやと 復た口腹の故を以て、有生の類をして無量の怖苦を受けしむ るを致さざるのみと 復るに口腹の故を以てするも、有生の類の無量の怖苦を受け しむるを致さざるのみと 復た口腹の故を以て、有生の類をして無量怖苦を受くる使 ひを致さざやと 選択肢をチェック! 部分否定「二度と~しない」 使役 強意・限定 (のみ) ☆ポイントを決めて 選択肢を吟味しよう! 5 1 2 3 4 5 一 × × × × ×
54
第12講 否定1
書き下し文 の足しのために生きているものに量り知れない恐怖と苦しみ を受けさせたくないということだ」と。いまだに肉食を止め ることができないのらば、蘇文忠公のこの戒めを当然守る べきで、それまあ認められる。 蘇 そ 文 ぶん 忠 ちゆう 公 こう 獄 ごく を出 い でてより後 のち 、但 た だ已 すで に 死 し せるの 物 もの のみを 食 くら ひ、 絶 た えて 一 いつ の 生 い けるものをも 宰 さい 殺 つ せず。 自 みづか ら 謂 い へらく、 「 求 もと むる 所 ところ 有 あ るに 非 あら ず。 己 おのれ の 親 みづか ら 患 くわん 難 なん を 経 ふ ること、鶏 けい 鴨 あふ の庖 はう 廚 ちう に在 あ るに異 こと なる無 な きに因 よ りて、復 ま た口 こう 腹 ふく の故 ゆゑ を以 もつ て、有 いう 生 せい の類 たぐひ をして無 むり 量 やう の怖 ふ 苦 く を受 う けしむるを致 いた さざるのみ」と。今 いま 未 いま だ肉 にく を断 た つ能 あた はざ れば、当 まさ に文 ぶん 忠 ちゆう 公 こう の此 こ の戒 いまし めを守 まも るべく して可 か なり。
重要語句
▪ 未能
再読文字の「未」と動詞の「能」の組み合わせで、 「いまだ~あたはず ~できない」 意。
現代語訳 蘇文忠公は監獄を出てからというもの、すでに死んでいる ものの肉だけを食べて、生きているものを食肉にするため殺 したりすることは決してなかった。蘇文忠公 が自ら言うに は、「 (そうすることで)何か求めていることがあるわけでは
ない。自分自身が獄中で憂いや困難を経験したことは、ニワ トリやアヒルが台所にいることと異ならないので、自分の腹
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第 講 否定 13
。本文3行目 「その(蓮
解答
5 」「非」を重ねると、原則として強い肯 定となる(ただし、「非」が上にくる場合は弱い肯定となるが、これは次の講で扱う) にある「莫不称其徳矣」が典型的な二重否定の構文で、 「其の徳を称せざる莫し」と訓み、 の)徳を称賛しないものはない」と解釈できる。 さて、傍線部の一文は、否定語の「無」と「不」で名詞の「一」を挟んでいる。これは構文とし て覚えておこう。 「無A(名詞)不B(動詞)」の形で、 「AとしてBせざるなし」と訓み、「Bしな いAはない(どんなAもBする)」という強い肯定の意となる。 なお、傍線部の一文では、文末に形式名詞の「者」が補われているので、 「者」から「無」に返り、 「一として人の採択に資すべからざる者無し」と訓めば良い。 この時点ですでに正解は で確定しているが、解釈もしておこう。直訳すれば、「一つとして人 二重否定に関する問題 である。否定語の「不」「無(莫)
5 の採択に資することのできないものはない」となる。本文では、蓮は実から茎・節に至るまであら ゆる部分が役に立つと述べられ た。傍線部の「一」とは「蓮の一部分」のことである。これを 踏まえて意訳すれば、「蓮はどこの部分も人に資する」となる。よって、 は解釈も適当である。 5
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第13講 否定 2
1 3 4 その他の選択肢はいずれも、 「無かれ」、 「無からん」、 「無からん」、 「可とせざる」 と、書き下し文に誤りがある。 2
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1 問 傍線部 A「 無 下 一 不 レ 可 レ 資 二 人 採 択 一 者 上 」の書き下し文と解 釈の組合せとして最も適当なものを、次の ~ のうちから 一つ選べ。 選択肢をチェック!
5 A 無 下 一 不 レ 可 レ 資 二 人 採 択 一 者 上 一 いつ として人の採択するに資すべからざる者無かれ 一人残らず蓮を採集する作業をしなければならない。 1 ×
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4
3
2
× 一として人に採択を資すべからざる者無からん 蓮で利益を得られない人は一人もいないだろう。 一として人の採択に資するも可とせざる者無からん 蓮を人に贈ることを悪いという者は一人もいない。 一として人の採択を資する可とせざるは無し 人はだれでも蓮を採集してよいという気持ちにな。 一として人の採択資すべからざる者無し 蓮はどこの部分であれ採集すれば必ず人の役に立つ。 × ×
ざるなし
BしないAはない (どんなAもBする)
無 二 A 不 B AとしてB(せ)
〈強い肯定〉
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第13講 否定 2
「為」には「ために」 「たり」など多くの訓みがあるが、本文では「物た として」の意。 いられる。細かいところで、葉・花のおしべ・茎・節 いたるまで、一つとして人が採取して役に立た 部分は ない。 蓮 はす の物 もの たる、之 これ を愛 あい する者 もの 或 ある いは臭 しう 味 み を 以 もつ てし、或 ある いは芳 はう 沢 たく を以 もつ てするも、未 いま だ能 よ く其 そ の徳 とく を知 し る者 もの 有 あ らざるなり。周 しゆう 子 し 之 これ が 説 せつ を為 な してよりして、人 ひと 其 そ の徳 とく を称 しよう せざる 莫 な し。 然 しか れども 未 いま だ 其 そ の 才 さい に 及 およ ばざるな り。 窃 ひそか に用 よう の大 だい なる者 もの を見 み るに、実 み と根 ね とは 以 もつ て籩 へん 豆 とう に供 きよう すべく、以 もつ て民 たみ の食 しよく に充 あ つべ く、 以 もつ て 疾 しつ 疢 ちん を 療 りよう すべし。 細 こま かきは 葉 は ・ 鬚 しゆ ・茎 くき ・節 ふし に至 いた るまで、一 いつ として人 ひと の採 さい 択 たく に資 し すべからざる者 もの 無 な し。 書き下し文 ▪ 為物 ひそかに蓮の主たる用途を考えてみると、実と根は祭祀 において供され、民の食事に充てられ、熱病の治療にも用
重要語句
現代語訳 物として蓮を愛好する者は、ある者は香りを挙げ、ある 者は姿の美しさを挙げるが、いまだ蓮が持ちあわせる徳を 十分に理解した者はいない。周子が「愛説」を提出して からは、その徳を称賛しない者はいない。だが、蓮の持つ 才(実用的な価値)には及んでないのである。
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第 講 否定 14
解答 1 まず、 「非」と「不」を重ねて二重否定であることに注目しよう。前講で少し触れたが、ここでは、 「非」が上にきているので弱い肯定 である。 なぜ二重否定に強い肯定と弱い肯定があるのか? それは、「不」 「無」「非」の否定語がそれぞ れ否定するものの違いによる。 まず、「無」は存在を否定するので、二重に否定されると、 「~でないものはない=必ずある」と、 強い肯定になる。同様に、動作を否定する「不」も、 「不可不~(~せざるべからず)」 「不得不~(~ せざるをえず)」のように間に動詞を挟む形をとって、 「~しないわけにはいかない」と強い肯定に なる。 これらに対し、「非」は物事の性質や帰属を否するのみであって、存在そのものを否定するわ けではない。それゆえ、二重否定をとると、 「〜 でないわけではない」 という形の弱い肯定となる のである。傍線部も、「非不」で弱い肯定である。 次に、 「霊於鼠」が比較形 であることがポイントだ。ここでの置き字の「於」は、上に形容動詞 の「霊なり」があるので、比較の用法であ(→第1講参照)。したがって、送り仮名も「鼠 ヨリ
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第14講 否定 3
1 以上のとおり、二重否定と比較形とを踏まえて傍線部の前半を直訳すると、「人間は鼠よりも優 れていないということはないが」となる。人間は鼠よりも優れているけれども、人間は鼠を捕まえ ることができなくて(不能於人)、猫(貍奴)にはできる(能於貍奴) 、ということである。 よって、「人間は鼠よりも賢くすぐれているのだが」とある が正解と判定できる。 は「鼠ほどすばしこくない」、 は「飼いならす」がそれぞれ誤り。 は「霊長類の最たる もの」では比較でなく最上級である。 は「鼠ほどずる賢くはない」が誤り。二重否定の意味を 取り違えている。 二重否定にしろ、部分否定と全部否定にしろ、 一度しっかりと理屈を理解することが肝心 だ。 『新・ゴロゴ漢文』では例文つきで詳しく解説しているので、活用してほしい。 2 3 4 5 モ 霊ナ(ラ)」となっている。「霊なり」は、選択肢文からも分かるように、「賢い・優れている」 の意。「霊長類」と言うときの「霊」もこの意味である。
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問
1 傍線部 A「人 非 レ 不 レ 霊 二 於 鼠 、 制 レ 鼠 不 レ 能 二 於 人 一 而 能 二 於 貍 奴 一 」とあるが、どのようなことを言っているのか。その説明 として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 人間は鼠よりも賢くすぐれているのだが、鼠をおさえること ができるのは、人間ではなくて猫である。 人間は鼠ほどすばしこくないので、猫を利用するのでなけれ ば、鼠を追い出すことができない。 人間は鼠よりも知能が発達しているのだが、猫を飼いならす ようには、鼠を飼いならすことはできない。 人間は霊長類の最たるものなのだが、現実に鼠を支配するこ とができるの 人間ではなくて猫である。 人間は鼠ほどずる賢くはないので、猫を捕まえることはでき ても、鼠を捕まえることまではできい。 一 選択肢をチェック! × × × × 弱い肯定「~ないわけではない」 あたはず「~できない」 比較「~よりも」 × 5 1 2 3 4 5
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第14講 否定 3
書き下し文 を恐れて人間を恐れない。だとすれば、それぞれにはそれぞ れの役割があるのである。君子もまたその役割を全うするの みである。 噫 ああ 、 人 ひと 鼠 ねずみ よりも 霊 れい ならざるに 非 あら ざる も、鼠 ねずみ を制 せい すること人 ひと に能 よ くせずして貍 り 奴 ど に能 よ くす。貍 り 奴 ど 人 ひと よりも霊 れい なるに非 あら ざ るも、鼠 ねずみ 貍 り 奴 ど を畏 おそ れて ひと を畏 おそ れず。然 しか ら ば 則 すなは ち 彼 かれ 各 おのおの 職 しよく 有 あ るなり。 君 くん 子 し の 其 そ の 職 しよく に居 を る者 もの も亦 ま た其 そ の職 しよく を尽 つ くすのみ。
重要語句
▪ 而已矣 「のみ」と訓む。文末に置かれ、強意を表わす。
現代語訳 ああ、人間は鼠よりも賢くすぐれているのだが、鼠を捕ま えることに関しては、人間にはできなくて猫にはできる。猫 は人間よりも賢くすぐれているということはないが、鼠は猫
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第 講 否定 15
解答 「否定の連用」と言い、上の句が条件(~でなければ)、下の句が帰結(~ない)を表す。 上の句の 訓み方を整理しておこう。 不A(不B) A(せ)ずんば(Bせず) 無A(不B) Aなくんば(Bせず) 非A(不B) Aにあらざれ あらんば)(Bせず) 傍線部では、 「非六十万人」が条件、 「不可」が帰結となっていて、 「六十万人に非ざれば(非ずんば) 可ならず」と訓む。よって、 が正解と判定できる。「六十万人の軍勢でなければ認められない (可 ではない)」ということである。 ・ は「非ずして」が誤り。 ・ は、「非」を動詞ととれば、 「非として」と訓めないこと もない(「否定する・認めない」の意) 。しかし、王 翦 は李信の「二十万人も要らない(不過二十万 1 1 2 4 3 5 傍線部は、「非六十万人」 「不可」と、否定語を用いた句が2つ並べられている。 このような形を
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第15講 否定4
人)」という発言を受けて、もっと必要だと言いたいわけだから、否定するというのは文脈的に不 自然である。 なお、本文は第9講に続くものである。敵の軍勢の五倍であったら攻撃して破る、というのが兵 法の「常」であった王翦はこの鉄則を守り、荊を伐つには兵は六十万人いなければ駄目ですと始 皇帝に答申したのである
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1 問 傍線部 A「非 二 六十万人 一 不 レ 可。」の読み方として最も適当なも のはどれか。次の ~ のうちから一つ選べ。 選択肢をチェック! 否定の連用 ~でなければ(条件) ・~ない(帰結)
5 A 非 二 六 十 万 人 一 不 レ 可。 六十万人に非ざれば可ならず。 × × × × 六十万人を非として可とせず。 六十万人に非ずして可ならざらんや。 六十万人を非として可とせざらんや。 六十万人に非ずして可ならず。 1 2 3 4 5
条件節として訓んでいる
1 のは のみ
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第15講 否定4
書き下し文 た。王翦は言った、「大王様、やむをえず私めをいると いうのでございますならば、兵は六十万人でなければなり ません」と。始皇帝は王翦の意見に従い、荊の地を平定し た。 昔 むかし 秦 しん の 始 し 皇 くわう 李 り 信 しん に 問 と ひて 曰 い はく、「 吾 われ 荊 けい を取 と らんと欲 ほつ す。将 しやう 軍 ぐん 度 はか るに幾 いく 何 ばく の人 ひと を用 もち ひて 足 た るや」と。 李 り 信 しん 曰 い はく、「 二 に 十 じふ 万 まん 人 にん を 過 す ぎず」と。 又 また 王 わう 翦 せん に 問 と ふに、 曰 い はく、 「 六 ろく 十 じふ 万 まん 人 にん に 非 あら ざれば 可 か ならず」と。 始 し 皇 くわう 信 しん をして 荊 けい を 伐 う たしむ。 既 すで にして 軍 ぐん 敗 やぶ れ、 復 ま た 翦 せん を 使 つか はんと 欲 ほつ す。 翦 せん 曰 い はく、「 大 たい 王 わう 必 かなら ず已 や むを得 え ずして臣 しん を用 もち ふれば、六 ろく 十 じふ 万 まん 人 にん に非 あら ざれば可 か ならず」と。 始 し 皇 くわう 之 これ に従 したが ひ、 遂 つひ に荊 けい の地 ち を平 たい らぐ。
重要語句
▪ 幾何
▪ 欲
「いくばく」と訓む。 「どれくらいか」と程度を問う表現。 返読文字で「~(せ)んとほっす」と訓 「~しようと思う」の意。 (→
「六十万人はいなければ駄目です」と。始皇帝は李信に荊 を伐たせた。結局軍は敗、今度は王翦を起用しようとし
現代語訳 かつて秦の始皇帝が李信に尋ねて言うには、「私は荊を 奪いたいと思う。将軍はどれだけの兵があ れば足りると 考えるか」と。李信は言った、「二十万人を超えることは ありません」と。同じこと を王翦に尋ねると、言った、
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解答 16 32ページ 傍線部にある疑問詞の「安」がポイントで、これを疑問ととるか反語ととるかの判断が求められ る。 疑問詞の「安」には、理由を問う「いづくんぞ」と、場所を問う「いづくにか」という2つの 訓みがある が、傍線部には送り仮名がないのでどちらかは分からない。また、疑問の場合は文末が 連体形をとり、反語の場合は「んや」を付けるが、これも送り仮名が ので判断がつかない。 しかし、選択肢を見ると、 の「確かにあろうか」と の「聞かせてください」は、反語ととっ て意訳してもこのような解釈はできない。また、 は「安定感」と「安」の意味を取り違えている。 よっ、この3つは消去できる。 残るは と だが、ここは「其理安在」の文構造を押さえよう。 其理 安 在 (主語) (疑問詞) (述語) 語順を考えれば、「其理」が主語で、「在」は述語だ。 ここに注目して改めて選択肢を見ると、 疑問1 第 講 1 2 4 3 1 5
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第16講 疑問1
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5 ある。 本講の解説では、選択肢の絞り方をぜひ学んでほしい。意味だけ追うとどの選択肢も良いように 思えて誤るが、 文構造に着目すればありえない選択肢は消去できる。 また、疑問か反語かの判断 求められいときは、いったん直訳してみて、選択肢のような解釈が可能かどかを考えよう。
1 3 4 は「道理が~ある」とこの文構造どおりに解釈しているのに対し、 は「理解され」と主語で あるはずの「理」を述語としているうえに、「在」に対応する部分がない。よって、正解は と判 定できる。ちなみに、 は「理想的で」と述語、 は「その理由を」と客語(目的語)で解釈し ているので、この点からも誤りと判定できる。 解釈しよう。柳成が「絵の具で色を施さずに、この絵をすばらしいものにしてみせましょう」と 言ったのに対し、主人の冉従長は「そんな道理がどこにあるというのですか」と疑問を呈したので 1
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1 問 傍線部 A「不 レ 仮 二 五 色、 其 理 安 在。」とはどのような意味か。 最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 手を加えるのに絵の具類を使わないなどという、そんな道理 がいったいどこにあるというのですか。 青・黄・赤・白・黒の原色を用いないという、そういう理論 も確かにあろうかと思います。 重要な五つの色をおろそかにしないのであれば、それこそが 理想的で安定感をもたらすやり方です。 色彩の効果にまったく頼らないと言うのなら、その理由を分 かりやすく聞かせてください。 五種類の色手法を借りずに描いて、どうしてその絵が理解 されやすいものとなりましょうか。 選択肢をチェック! 其 理 ― 在 主語 ― 述語 「理」を主語としていないので× 疑問 or 反語 疑問の解釈としても反語の解釈としても不適当 理 安 在 5 1 2 3 4 5 一 × × × ×
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第16講 疑問1
書き下し文 その道理はどこにあるのですか」と。柳成が笑って言うには、 「私めがこの画の中に入り込んで手直しいたしましょう」と。 郭萱が手をたたいて言うには、「あなたは小さな子供をだま そうとでもしているのか」と。 坐 ざ 客 かく の郭 くわく 萱 けん ・柳 りう 成 せい の二 に 秀 しう 才 さい 、毎 つね に気 き を 以 もつ て相 あひ 軋 あらそ ふ。柳 りう 忽 には かに図 づ を眄 み 、主 しゆ 人 じん に謂 い ひて曰 い はく、「此 こ の画 ぐわ 体 たい 勢 せい に巧 たく みなるも、 意 い 趣 しゆ に失 しつ す。今 いま 公 こう の為 ため に薄 はく 技 ぎ を設 まう け、五 ご 色 しよく を施 ほどこ さずして、其 そ の精 せい 彩 さい をして殊 こと に勝 すぐ れしめんと欲 ほつ す、如 い 何 かん 」と。冉 ぜん 驚 おどろ きて曰 い はく、「 素 もと より 秀 しう 才 さい の 芸 げい の 此 かく のごとくな るを 知 し らず。 然 しか れども 五 ご 色 しよく を 仮 か さずと は、 其 そ の 理 り 安 いづ くにか 在 あ る」と。 柳 りう 笑 わら ひ て 曰 い はく、「 我 われ 当 まさ に 彼 か の 画 ぐわ 中 ちゆう に 入 い りて 之 こ を 治 をさ むべし」と。 郭 くわく 掌 て を 撫 う ちて 曰 い はく、 「君 きみ 三 さん 尺 しやく の童 どう 子 じ を紿 あざむ かんと欲 ほつ するか」と。 疑問詞で 「いかん」と訓 「いかがですか」の 疑問・反語の終助詞。反語の場合には「~んや」と訓むが、本文では送り仮名 ないので、 「欲するか」と訓んで、疑問の意である。 む。本文では、文末に添えて ▪ 如何 ▪ 乎
16
重要語句
現代語訳 坐客である郭萱・柳成の二人の秀才は、ことあるごとに負 けん気で互いに競い合っていた。柳成がふ と画を見、主人 (である冉従)に言うには、「この画は構図は良いですが、趣 きがございません。ここはご主人様のために私めの拙い技を
か」と。冉従驚いて言うには、「今まで秀才(であるあな た)の技芸がそのようなものだとは知りませんでした。です が、色をほどこさない(で画を素晴らしいものにる)とは、
発揮いたしまして、絵の具で色をほどこさずに、画をことさ らに素晴らしいものにしたいと思いますが、いかがでしょう
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解答 17 34ページ 傍線部の冒頭に疑問詞の「何」があるが、 文末は「(ざ)ル」と送り仮名がされており、 とはなっていないので、反語ではなく疑問である。 「何不~撃之」の部分だけを取り出して直訳す れば、「どうして撃たないのか」となる。よって、 いる と、「できようか」と可能の意味を加えてやはり反語的に解釈している ・ は消去できる。 残る ・ を見ると、 は「此物」を「冑」とし、 は「磁器の破片」としている。そこで、 傍線部の直前の内容を読み取って、「此物」が指すものを的確に押さえよう。ある客が柴窯の片磁 を持ってきて、数百金で売りつけようとして言うには、「これを冑はめれば、戦陣にて火器を避 けられる。しかしそれが本当かどうかを確かめる方法がい」とのことこを受けて、私は傍 線部のように言ったのである。だとすれば、縄で吊るして銃で撃ち、火器を避けるか確かめるべき 「此物」は当然、「冑」ではなく「磁器の破片」だ。よって、正解は と判定できる。 現代文では、 「傍線部中あるいはその直前に指示語がある場合、それが受ける内 容を押さえる」 というのは鉄則中の鉄則である が、そは古文でも漢文でも変わらない。指示語が出てきたら指示 内容を確認して読み進めよう。 疑問2 第 講 3 1 4 5 2 3 2 3 3 「ンヤ」
「撃たないことがあろうか」と反語的に解釈して
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第17講 疑問 2
5 どうして磁器の破片を縄でつるし、銃弾で撃たないのか。 どうして冑を縄でつるさずに、銃弾で撃つことができよう どうして磁器の破片を縄でつるさずに、銃弾で撃つことがで きようか。 選択肢をチェック! 反語的に解釈 しているので X 「ンヤ」という送り仮名ではないので疑問 「此物」が指すもの で判断 1 2 3 4 5 × ×
1 問 傍線部 A「何 不 下 縄 懸 二 此 物 一 、以 レ 銃 発 二 鉛 丸 一 撃 之」の 解釈として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 どうして冑を縄でつるし、銃弾で撃たないことがあろうか。 どうして冑を縄でつるし、銃弾で撃たないのか。 × ×
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「 公 賞 鑑 に 於 て 当 行 に 非 り」と。 急 いそ ぎ 之 これ を 懐 ふところ にして 去 さ る。 後 のち 貴 き 家 か こう しやう かん おい たう かう あら ず、 殊 こと に 殺 さつ 風 ぷう 景 けい な
て 此 の 物 を 懸
火 器 し るに 由 よし 無 な し」と。 余 よ 曰 い はく、「 何 なん ぞ 縄 なは も くわ 知
碓 ざるなり」と 鬻 ひさ ぐ 者 もの 肯 がへん ぜずして 曰 い はく、
て 云
に鬻 ひさ ぎ、竟 つひ に百 ひやく 金 きん を得 え たりと聞 き く。
さず。如 も し砕 くだ くれば、則 すなは ち火 くわ を辟 さ くるの説 せつ
之 を 撃 ば、必 かなら ず砕 くだ けず、価 あたひ 数 すう 百 ひやく 金 きん なるも多 おほ しと為 な これ
かく たらず、理 り として価 あたひ 数 すう 百 ひやく 金 きん を索 もと むる能 あた は
書き下し文 現代語訳
客 有 い ふ、「 冑 かぶと に 嵌 は むれば、 陣 ぢん に 臨 のぞ んで 以 もつ て かく
き を辟 さ くべし。然 しか れども確 かく たるや否 いな やを
こ
あ り柴 さい 窯 えう の片 へん 磁 じ を携 たづさ へ、数 すう 百 ひやく 金 きん を索 もと め
もの う たざる。 如 も し 果 は たして 火 くわ を 辟 さ くれ か け、 銃 じう を 以 もつ て 鉛 えん 丸 ぐわん を 発 はつ して
74 ある来客が名品の柴窯の片磁を持参し、数百金の値で売 りつけようとして言うには、「 (これを)冑にはめておけば、
ざいませんね。野暮ったい人ですこと」とあたふたと 片を懐にしまい込んで去てしまった。後に高貴家に売 りつけて、ついに百金を手に入れたとのことである。
避けるという説は確かでないですから、道理として数百金 も値を求めることはできません」と。売人は承服しないで 言った。「あなた様は磁器の鑑賞については専門家ではご
でも絶対に砕けることはないですから、数百金の値でも高 くはありません。もし砕けたらば、あなたの言う銃弾を
は言った。「どうしてこの破片を縄につるし、銃弾で撃っ てみないのですか。もし本当に銃弾避けたならば、戦陣
戦陣に臨んで銃弾を避けることができます。ですが、それ が確かなことかを知る方法はございません」とそれで私
第17講 疑問 2
重要語句 ▪ 如
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文頭に置かれ、 文でも「 (辟)クレ
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解答 18 36ページ 傍線部で注目すべきは、もちろん疑問詞の「豈」だ。送り仮名にも「ンヤ」とあるので、反語で 間違いない。 「あに~んや」と訓み、 「どうして~だろうか(いや~ない)」という意味である。 また、 「不能」も大丈夫だろう。「~(する)あたはず」と訓み、 「~できない」の意である。 これらを踏まえて傍線部を直訳すれば、「造物者はどうしてその者(=困苦している者)が後に 享受する地位をあらかじめ与え、少しでもこれ(=困苦の状態)を救うことができないだろうか、 「予」の意味を取り違えている。傍線部では副詞で「あらかじめ」と訓む。 選択肢に「~だうか、いや~ない」と反
第 講 また、「~だろうか」となっているからといって、 疑問と決めつけるのも軽率である。現代語で「そんなことがあるものか」と言うように、反語の 用法はある。文末の形だけでなく 解釈として成り立つかという点で判断しよう。 反語1 2 いやできる」となる。 否定と反語が重なって、肯定の意味になる ことに注意しよう。よって、「困 窮をやわらげることもできるはずだ」とある が正解と判定できる。 は「~できない」としており、反語の意味が加わっていない。 は「予告する」、 は「将 来与える」と、 は「~ 2 しない」が誤り。 と同様に反語の意味が加わっていない。 センター漢文以来、反語の解釈を問う問題において、 語の訳がダイレクトに書かれていたこはない。 1 3 4 5 1
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第18講 反語1
1 A「造 物 者 豈 不 レ 能 下 以 二 其 後 之 所 享 予 以 与 レ 之、稍 以 拯 之」とは、どのようなことを言っているのか。そ の説明として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 造物者は万能とはいえ、将来与えられる地位をあらかじめ与 えて、困苦する人を救い出すことまではできない、ということ。 選択肢をチェック! 副詞「あらかじめ」 反語(あに~んや) ~できない ☆「不能」 に反語がかかって肯定 × 問 傍線部
3 造物者は万能とはいえ、困窮する人々を救い出して将来に おける地位を彼らに保証することまではしない、ということ。 5 ×
2 万能である造物者は、その労苦に見合う地位を将来与えるこ とによって、困苦する人物を救済することも可能だ、というこ と。 4 ×
1 万能である造物者は、困苦している人物に対して、将来の地 位を予告することによって、未来への希望を与える、というこ と。 × ×
5 万能である造物者は、その人が将来に得る地位をあらかじめ 付与して、困窮をやわらげることもできるはずだ、とうこと。
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重要語句 ▪ 何~也 疑問形で「なんぞ~や」と訓む。「どうして~か」の意。詠嘆で「なんぞ~なるや」と 訓むこともあるが、本文では次の文(傍線部)で理由が述べられているので、疑問とと るべきである。 ▪ 造物者 天のこと。古代中国では、天がこの世界創造者であると考えられた。また、天命を受 けて人民を治める者という意味で、支配者は「天子」と呼ばれた。 昔から大臣や高官になるべき者は必ず先に困苦して、その 後に高い地位につくものである。どうして先と後とで不釣り 合いなのだろうか。困苦しているまさにその時に、造物者は どうしてそ者が後に受ける地位をあらかじめ与え、少しで もその困苦の状態を助けることができないだろうか(いや、 造物者にはそうした能力があ)。 書き下し文 現代語訳 古 いにしへ より 卿 けい 相 しやう 達 たつ 官 くわん は 必 かなら ず 先 さき に 困 こん 苦 く して 後 のち に乃 すなは ち貴 たつと し。何 なん ぞ前 ぜん 後 ご の均 ひと しからざる や。其 そ の困 こん 苦 く するに方 あた りて、造 ざう 物 ぶつ 者 しや 豈 あ に 其 そ の 後 のち の 享 う くる 所 ところ を 以 もつ て 予 あらかじ め 以 もつ て 之 これ に 与 あた へて、稍 やや 以 もつ て之 これ を拯 すく ふ能 あた はざらんや。
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第 講 反語 19
第19講 反語2
解答
2 ⅰ ⅱ 傍線部でまず注目すべきは 疑問詞の「豈」 だ。「豈」が用いられる場合、大半は反語だが、ⅰの 選択肢を見ると、書き下し文はすべて「~んや」となっているので、反語で間違いない。 次に、「為」に注目しよう。 ・ ・ は動詞(なる)として訓み(豈に鳥 獣と為らんや)、 ・ は名詞(ため)として訓んでいる(豈に鳥獣の為ならんや)。反語も合わせて後半部を直訳 すると、 ・ ・ は「鳥獣となるだろうか、いや鳥獣とはならない」、 ・ は「鳥獣のため だろうか、いや鳥獣のためではない」となる。 ここでⅱの選択肢を見ると、ⅰの ・ ・ に対応するものはない。 ・ に対応するもの 1 4 5 2 3 1 4 5 2 3 1 4 5 2 3
5 は と のみである。そこで、前半部も合わせて検討すると、ⅰの とⅱの は対応しているが、 ⅰの とⅱの は対応していない(ⅱの には「働かせる」とあるが、使役形ではない)。よって、 ⅰが 、ⅱが と正解は確定できる。 要するに、人間が一生懸命田畑を耕すのは、自分たちで粟や米を食べるためであって、鳥獣に食 べさせるためでない、といこである。本文の最後の一文でも、やはり反語を用いて、「どう 3 5 2 5 3 3 3 2 5 38ページ
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1 反語 (あに~んや) してそれ(粟や米)で鳥を養おうか、いや養わない(奈何其以養鳥也)」と述べられている。 返り点の付け方・書き下し文と解釈の両方が問われている場合は、組み合わせを考えよう。 ペア を作れない選択肢は誤りである。そうやって絞っていけば良い。 問 傍線部 A「苦 勤 而 不 敢 堕 者、豈 為 鳥 獣 也 哉」につ いて、ⅰ返り点の付け方と書き下し文、ⅱその解釈として最も適 当なものを、次の各群の ~ のうちから、それぞれ一つずつ選 べ。 ⅰ 苦 勤 而 不 二 敢 堕 一 者、豈 為 二 鳥 獣 一 也 哉 苦勤して敢へて 堕 おこた らざらしめば、豈に鳥獣と為らんや 苦 勤 而 不 二 敢 堕 一 者、豈 為 二 鳥 獣 一 也 哉 苦勤して敢へ堕らざるは、豈に鳥獣の為ならんや 選択肢をチェック! 5 1 2 B A A 1 ・ 4 ・ 5 豈に鳥獣とならんや →どうして鳥獣となろうか (いや鳥獣にはならない)
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第19講 反語2
3 勤勉に働き、なまけ心を起こさない人々は、鳥や獣に田畑を 荒らされないはずだ。 人々がなまけずに働くのは、鳥や獣のよう飢えたり凍えた りしないためである。 なまけがちな人々を働かせることに苦心するのは、鳥や獣を 養うためではない。 勤勉に働き、なまけようとしない人々は、鳥や獣のように食 料を奪いあうことは 。 人々が苦労して働き、なまけようとしないのは、鳥や獣のえ さを作るためではない。 使役はない A B A B ・ 豈に鳥獣の為ならんや →どうして鳥獣の ためだろうか (いや鳥獣のためではない) ・ ・ はA・Bどちらの 解釈としても不適 Aに対応する選択肢はナシ ⅰ ・ ⅱで 対応しているのは ⅰ ― ⅱ のみ ⅱに 対応する 選択肢がない 4 5 1 2 3 4 5 × × × × × 2 3 1 2 4 2 5 ⅱ
苦 三 勤 而 不 二 敢 堕 一 者、豈 為 二 鳥 獣 一 也 哉 勤めて敢へて堕らざるに苦しむ者は、豈に鳥獣の為ならんや 苦 三 勤 而 不 二 敢 堕 一 者、豈 為 二 鳥 獣 一 也 哉 勤めて敢へて堕らざるに苦しむ者は、豈に鳥獣と為らんや 苦 三 勤 而 不 二 敢 堕 一 者、豈 為 二 鳥 獣 一 也 哉 勤めて敢へて堕らざるに苦しめば、豈鳥獣と為らんや
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のではない)。粟や米は人間の上等な食物である。どう それを用いて鳥を養おうか(いや、そんことはしない)。 書き下し文 現代語訳 夫 そ れ百 ひやく 姓 せい 牛 うし を煦 く して耕 たがや し、背 せ を曝 さら して 耘 くさぎ り、苦 く 勤 きん して敢 あ へて堕 おこた らざるは、豈 あ に 鳥 てう 獣 じう の為 ため ならんや。 粟 ぞく 米 べい 、人 ひと の上 じやう 食 しよく なり。 奈 い 何 かん ぞ其 そ れ以 もつ て鳥 とり を養 やしな はんや。
文頭で接続詞として用いられる場合は「それ」と訓 「あへて~(せ)ず」と訓む。 「進んで~しない」の意 「如何」に同じ。文頭にある場合は「いかんぞ」と訓む。本 あるので、終助詞の「也」と合わせて「んや」と訓み、反語とな 重要語句 ▪ 夫 ▪ 不敢 ▪ 奈何
そもそも人々が牛を養い育てて田を耕し、背中を日にさら して草刈りをし、苦労して働いて怠けようとしないのは、ど うして鳥獣のためであろうか(いや、鳥獣のためにしている
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解答 反反語 20 40ページ 傍線部後半の「何黄之有」がポイント。 「何A之有」は、反語の特別な形として覚えておきたい。 「なんのAかこれあらん」と訓み、「どうしてAがあろうか、いやない」の意となる。 よって、「何 の黄か之れ有らん」とある が正解と判定できる。 解釈しよう。傍線の直前で、冥官は「蛇や牛の肝から取った黄が薬になることは、誰もが知っ ている」と述べている。その文脈で、「お前は人間なのだから、 (蛇や牛のように)黄があるわけが ない」と言ったのである。そう言われて、死罪を免れようと「私にも黄があります」と言った人は、 恥じ入るこになった。 なお、傍線部前半の「為人」は、「為」が動詞として「なす」 「なる」、名詞として「ため」 、助動 詞として「たり」「る・らる」と訓む多義語で ため、この部分の書き下し文で正解を確定する ことはできない。特に、慣用的に「ひととなり 訓み 人柄」の意で用いられるので、 を選 んだ人がいるかもしれない。しかし、 は後半の「何黄之有」の部分の書き下し文が誤っている。 句法の決まった形がある場合は、それを優先して選択肢を選ぼう。 第 講 3 3 1 1
第20講 反語3
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1 問 傍線部 A「汝 為 レ 人、 何 黄 之 有」の書き下し文として最も適 当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。
選択肢をチェック!
1 2 3 4 5
× 汝の人を為 をさ むるや、何 いづ れに黄の之 ゆ く有るか
× 汝は人為 た り、何 なん の黄か之 こ れ有らん 汝は人を為 つく りて、 何 なに をか黄の有るや
× × 汝は人為 ため に、何 なん ぞ黄の之 こ れ有らん
5 汝の人と為 な り、何 いづ れの黄の有るや
何 A 之 有 〈反語〉 訓 なんのAかこれあらん 意 どうして があろうか、いやない
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第20講 反語3
書き下し文 その人は苦しくなって言うには、「私 特別に黄があるわ けではありません。ただ恥じ恐れ入る気持ちがあるのみで す」と。 獄 ごく 吏 り 一 いち 人 にん を 引 ひ きて 至 いた る。 曰 い はく、「 此 こ の人 ひと 生 い くるとき常 かつ て人 ひと を殺 ころ すも、幸 さいは ひに して死 し を免 まぬが る。 今 いま 当 まさ に命 いのち を還 かへ すべし」と。 其 そ の人 ひと 倉 さう 皇 くわう として妄 みだ りに亦 ま た黄 くわう 有 あ りと言 い ふ。 冥 めい 官 かん 大 おお いに怒 いか り、 之 これ を詰 なじ りて曰 い はく、 「 蛇 じや 黄 くわう ・ 牛 ぎう 黄 くわう 皆 みな 薬 くすり に 入 い ること、 天 てん 下 か の 共 とも に知 し る所 ところ なり。汝 なんぢ は人 ひと 為 た り、何 なに の黄 くわう か之 こ れ 有 あ らん」と。 左 さ 右 いう 交 こもごも 訊 と ふに、 其 そ の 人 ひと 窘 くる しむこと 甚 はなは だしくして 曰 い はく、「 某 それがし には 別 べつ に 黄 くわう 無 な し。 但 た だ 些 いささ かの 慚 ざん 惶 くわう 有 あ るのみ」 と。
重要語句
▪ 但
▪ 某
▪ 交
副詞では「こもごも」と訓む。 「かわるがわる」の意。 「それがし」と訓む。一人称の代名詞であ 場合と、名指しせずにぼかし 示代名詞として用いられる場合とがある。本文では前者。 限定形で「ただ~のみ」と訓む。 「~だけ」の意。 (→第
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黄がどちらも薬に入っていることは世の中の誰もが知って いることである。お前は蛇でも牛でもなく人間だ、どうして 黄をもっていようか」と。役人がかわるがわる問いただすと、
わてて私にも黄があると口から出まかせで言った。それを聞 いて冥界の裁判官は大いに怒り、詰問するには、「蛇黄・牛
現代語訳 監獄の役人が一人の人間を冥界の裁判官の前に引き連れて きて言うには、「この人間は生前に人を殺したが、運よく死 罪を免れました。命をもって償うべきです」と。その人はあ
22講参照)
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解答 21 42ページ まず、傍線部冒頭にある「若」の字に注目しよう。 「若」には、Ⅰ比況形で「ごとし」、Ⅱ「不」 をともなって比較形で「しかず」、Ⅲ仮定形で「もし」 選択肢を見ると、漢文では「わかし」とは訓まないので、「若くして」とある ・ は誤り。また、 「しかず」と訓む場合は語順は「不若」だから も誤りである。 次に、再読文字の「応」がポイントだ。「まさに~(す)べし」と訓み、「きっと~に違いない」 の意である。残る ・ ・ を見ると、「応じて」と訓んでいる は誤り。また、 も意味に 「応」の要素が含まれていい。よって、 が正解と判定できる。 解釈しよう。 の「若」の訓みが「もし」であるとおり、ここでは仮定形である。楚材の妻の 3 1 2 6 3 4 5 4 5 3 3
第 講 薛媛は、絵画の腕をふるい、髪も抜け衰えた自分の容姿を描いて送ったからこそ楚材は長官の娘 との縁談を受けようとした自分を恥じ、妻のもとに戻ってきた。傍線部は、これを裏返して、仮定 として「もしも妻が絵画の腕をふるわなかったら、今も夫は帰って来ず、きっと部屋にひとりぼっ ちだったに違いない」と述べていのである。 仮定
、Ⅳ副詞で「もしくは」などの訓みがある。
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第21講 仮定
1 傍線部 A「若 不 逞 丹 青、空 房 応 独 守。」の、読み方とその 意味として最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 「 若 わか くして丹青を 逞 たくま しくせざれば、空房 応 まさ に 独 ひと り守るべし。」 と読み、「若いときに絵画の腕を磨かなかったなら、夫のいない 部屋でひとりぼっちでいることになっただろう。」という意味。 「 若 わか くして丹青を逞しくせざれば、空房に 応 おう じて独り守るの み。」と読み、 「若いときに絵画の腕を磨かなかったので、夫の いない部屋で来客の応対をしてひとり家を守っている。」という 意味。 「 若 も し丹青を逞しくせざれば、空房応に独り守るべし。」と読 み、「もしも絵画の腕をふるわなかったなら、夫のいない部屋で ひとりぼっちでることになっただろう。」という意味。 選択肢をチェック! 仮定「もし」 再読文字「まさに~ (す)べし」 漢文では 「わかし」とは訓まない! 6 1 2 3 × × 問
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4 「 若 も しくは丹青を逞しくせずして、空房に応じて独り守るの み。」と読み、 「あるいは絵画の腕を磨かなかったせいなのか、 夫のいない部屋で来客の応対をして ひとり家を守っている。」
5 という意味。 「丹青を逞しくせずして、空房応に独り守るべきが 若 ごと し。」と ちでいるようなもである。」という意味。 「丹青を逞しくして、空房に応じ独り守る 若 し かず。」と読 「しかず」と訓む場合の 語順は「不若」 「応」の意味が含まれていない × ×
6 み、「絵画の腕をふるって、夫のいない部屋で来客の応対をし てひとり家を守っているほうがましである。」という意味。
× 読み、「絵画の腕を磨かないで、夫のいない部屋でひとりぼっ
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第21講 仮定
書き下し文 楚材は妻の肖像画と詩を受け取って恥じ入り、あわて て雋不疑のように縁談を断った。結局夫婦は老いるまで ともに暮らした。人びとが言いはやすには、 「昔は妻が夫を見捨てたが、今は夫が妻 を離縁する。 妻が絵画の腕をふるわなかったなら、夫のいない部屋で ひとりぼっちでいることにっただろう」と。 其 そ の妻 つま 薛 せつ 媛 ゑん 書 しよ 画 ぐわ を善 よ くし、文 ぶん を属 つづ るに妙 めう な り。楚 そ 材 ざい の糟 さう 糠 かう の情 じやう を念 おも はず、別 べつ に糸 し 蘿 ら の託 たく に倚 よ らんとするを知 し り、鏡 かがみ に対 むか ひて自 みづか ら其 そ の 形 かたち を図 ゑが き、詩 し 四 し 韻 ゐん を并 あは せて以 もっ て之 これ に寄 よ す。 楚 そ 材 ざい 妻 つま の真 しん 及 およ び詩 し を得 え て恧 はぢ を懐 いだ き、遽 には かに 雋 しゅん 不 ふ 疑 ぎ の譲 じやう 有 あ り。夫 ふう 婦 ふ 遂 つひ に偕 とも に老 お ゆ。里 り 語 ご に 曰 い 当はく、 たう 時 じ 婦 つま 夫 をつと を棄 す て、今 こん 日 にち 夫 をつと 婦 つま を離 はな す。若 も し丹 たん 青 せい を逞 たくま しくせざれば、空 くう 房 ぼう 応 まさ に独 ひと り守 まも るべし と。 「糟糠の妻」で、 「粗末な食事で苦労をともにしてき 楚材の妻の薛媛は書と絵画が上手く、文
重要語句
▪ 糟糠
酒糟や米糠のこと。 本文では、 「糟糠之情」で「妻の気持ち」の意。
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現代語訳 章力もあっ た。薛媛は、夫の楚材が苦労をともにしてきた私の気持 ちを忘れ、別の女性と結婚しようとしてい ることを知 り、鏡に向かって自分の容姿を描き、律詩あわせて楚 材に送った。
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解答 22 46ページ 「独」の字に着目しよう。限定形で「ひとり~のみ」と訓み、「~だけ」の意だ。 た騾馬を、 粤に帰る際に知人に贈ったこと、直後では、この騾馬を従えて鎮安に至ったことが述べられている。 この騾馬だけは、手放せなかったという である。 傍線部の「不忍」は、現代語でも「~するに忍びない」と言うように、「~することに耐えられ ない・~できない」の意で用いられる。ここは のように訓むよりも、「棄」から返り、「この騾 馬だけは棄てることができなかった」と解釈した方が、文意が通じる。よっ、「棄つるに忍びず」 と訓んでいる が正解と判定できる。 限定形は、実は「ひとり(ただ)~のみ」と訓めば終わりというわけではなく、 どの語を限定す るかということが解釈するうえで重要 になってくる。このあと第 24講で解説したので、理解を確か なものとしてほしい。 限定 第 講 5 助詞の「のみ」を付けることがポイント で、選択肢を見ると、書き下し文に「のみ」とない ・ ・ が早くも消去できる。 残るは と であるが、文脈から判断しよう。傍線部の直前では、三十頭あまりい 2 3 4 1 5 1 5
限定する語に副
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第22講 限定
1 問 傍線部 A「独 此 騾 不 忍 棄」の返り点の付け方と書き下し文 の組合せとして最も適当なものを、次の ~ のうちか ら、それぞれ一つずつ選べ。 選択肢をチェック! 限定「ひとり~のみ」
5 A 独 此 騾 不 忍 棄 独 此 騾 不 レ 忍 棄 独り此の騾のみ忍ばずして棄つ ×
各群の
1 2 3 4 5 独 此 騾 不 レ 忍 レ 棄 独り のみ棄つるに ず 「不忍~」 ~するに忍びず (~することに耐えられない・~できない) × 独 此 騾 不 二 忍 棄 一 独り此の騾は忍びて棄て 独 二 此 騾 一 不 二 忍 棄 一 此の騾を独りにして忍びて棄てず 独 二 此 騾 一 不 レ 忍 棄 此の騾を独りにして忍ばずし棄つ × × 「のみ」が ないので×
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文末で「ンヤ」と送り仮名されていないので、ここでは反語ではなく疑問で 接続詞で「そもそも」と訓む。 「それとも・あるいは」の意。 そのころ騾馬が三十頭あまりいて、粤に帰る時にすべて 知人に贈ったが、この騾馬だけは手放せなかった。引き連 れて鎮安に着くと、新鮮でおいしい飼料を与えて少しばか りその労に酬いた。広州の長官に転任した際も連れいっ た。その後、黔に赴任する時は、四千里ほど川を上るため 一緒に船に載せることができず、とうとう 番禺の張令に 贈ったところ、一晩で死んでしまった。この騾馬は前世で 私に負債があって現世騾馬に生まれ変わって私に償わ せたのだろうか。あるいは、物事の筋を通す性格、主人 を代えることが受け入れられず自ら死を選 んだのだろう か。 書き下し文 現代語訳 時 とき に 騾 ら 馬 ば 三 さん 十 じう 余 よ 有 あ り、 粤 ゑつ に 帰 かへ るの 時 とき 、 尽 ことごと く 以 もっ て 同 どう 人 じん に 贈 おく るに、 独 ひと り 此 こ の 騾 ら のみ 棄 す つるに忍 しの びず。随 したが へて鎮 ちん 安 あん に至 いた れば、青 せい 芻 すう 香 かう 秣 まつ もて、稍 やや 其 そ の労 らう に酬 むく ゆ。調 うつ りて広 こう 州 しゅう に守 しゅ たるに、亦 ま た随 したが へ往 ゆ く。後 のち に余 よ 黔 けん に赴 おもむ くに、水 みづ を上 のぼ ること四 し 千 せん 里 り 、載 の せ往 ゆ く能 あた は ず。遂 つひ に番 ばん 禺 ぐう の張 ちやう 令 れい に送 おく るに、甫 はじ めて一 いっ 夕 せき にして死 し す。豈 あ に此 こ の騾 ら 宿 しゅく 世 せ 余 よ に負 お ふ所 ところ 有 あ りて、 之 これ をして 宿 しゅく 逋 ほ を 償 つぐな はしむるか。 抑 そもそも 其 そ の性 せい 貞 てい 烈 れつ にして、主 しゆ を易 か ふるを肯 がへん ぜずし て自 みずか ら斃 たふ るるか。 ▪ 豈
重要語句
▪ 抑
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第22講 限定
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終盤に突入! 最後まで気を抜くな!
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23 。また、「如此」 は慣用表現でかくのごとし」と訓み、「このようだ」の意である。よって、傍線部を直訳すると、 「鮑叔は管仲を宰相に推薦しただけでなく、これを上手く左右したこともこのようであった」とな 「左る右。(す)」とはどういうことか。本文を読むと鮑叔は管仲を宰相に推薦した後も、斉の君主 である桓公に質問されるたびに、「管仲(夷吾)の言葉どおりに行うのがよろしいです(必行夷吾 之言)」と答えたことが述べられている。 「左右(す) 」とは、このように鮑叔が管仲のことをサポー トしていたことであると捉えられる。 以上を踏まえて選択肢を見ると、 ・ は「推薦しただけでは心配で」が累加形の解釈として 無理があり、誤り。また、 ・ は「管仲もまた」と「左右(す)」の主語を管仲としている点が 誤り。残る は、 「推薦しただけではなく」「うまく管仲を補佐してもいた」と累加形および「左右」 解答 累加 23 48ページ まず、「不惟」という表現に注目しよう。 限定形で用いる「惟」「唯」 語の「不」「非」を組み合わせると、累加形となり、 の場合は「ただに~のみにあらず」と訓んで、 第 講 5 1 3 2 4 5 「特」などの副詞と、否定 「不」の場合は「ただに~のみならず」、 「~だけではなく」という意味になる
「非」
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第23講 累加1
2 5 を適切に解釈しており、正解と判定できる。 「左右(す)」の意味が分からなくて迷った人もいたかもしれないが、いま解いたように、累加形 の解釈と「左右(す)」の主語で を選ぶことができる。 句法や文構造に着目して選択肢を絞る解 法
を、ぜひマスターしてほしい。正答率が飛躍的にアップするはずだ。
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1 問 傍線部 A「叔 不 二 惟 薦 仲、又 能 左 二 右 之 一 如 レ 此」の解釈と して最も適当なものを、次の ~ のうちから一つ選べ。 A 叔 不 二 惟 薦 仲、又 能 左 二 右 之 一 如 レ 此 鮑叔は管仲を宰相に推薦しただけでは心配で、このように自 らもまた桓公を通じて政治に関与していたのである。 鮑叔が管仲を宰相に推薦しただけではなく、このように管仲 もまた鮑叔のことを気づかうことができたのである。 鮑叔は管仲を宰相に推薦しただけでは心配で、このように管 仲が道を踏みはずさぬように導いてもいたのである。 鮑叔が管仲を宰相に推薦しただけではなく、このように管仲 もまた鮑叔と権力をわけあう ができたのである。 鮑叔は管仲を宰相に推薦しただけではなく、このように見え ないところでうまく管仲を補佐してもいたのである。 選択肢をチェック! 累加「ただに~のみならず」 「かくのごとし」 「左右」 主語が誤り 5 1 2 3 4 5 × × × × ×
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第23講 累加1
重要語句 書き下し文 うには、「公は管仲の言葉どおりに行い下さい」と。鮑叔は 管仲を推薦しただけでなく、このように見えないところでう まく 補佐てもいのである。真に理解者とうべき である。 鮑 はう 叔 しゆく 固 もと より已 すで に管 くわん 仲 ちゆう を微 び なりし時 とき に識 し る。仲 ちゆう 斉 せい に相 しやう たるは、叔 しゆく 之 これ を薦 すす むればな り。 仲 ちゆう 既 すで に 相 しやう たりて、 内 うち に 政 せい 事 じ を 修 おさ め、 外 そと に諸 しよ 侯 こう を連 つら 。桓 くわん 公 こう 毎 つね に之 これ を鮑 はう 叔 しゆく に質 ただ す。 鮑 はう 叔 しゆく 曰 い はく、「 公 こう は 必 かなら ず 夷 い 吾 ご の 言 げん を 行 おこな へ」と。叔 しゆく 惟 た だに仲 ちゆう を薦 すす むるのみなら ず、又 また 能 よ く之 これ を左 さ 右 いう すること此 か くのごと し。真 まこと に知 ち 己 き なり。 現代語訳 ▪ 固 副詞では「もとより」と訓む。「本来・もともと」の意。 ▪ 相 動詞では「(~に)しょうたる」と訓む。 「宰相(大臣)として仕える」の意。 ▪ 「管鮑の交わり」 管仲は、政争に巻き込まれて死罪にされかかったときに、貧しかった頃からの 友人であり、その能力を高く評価していた鮑叔に助けられ、大臣に登用されたという経緯 がある。「管鮑の交わり」は、 「生涯変わらぬ無二の友情」を意味する故事成語として用い られる。 鮑叔はもともと管仲のことを身分の低い時 りおさめ、外交では諸侯を糾合した。桓公はことあるごとに これ(管仲の施策)を鮑叔に問いただした。鮑叔が答えて言 から知ってい た。管仲が斉の宰相となったのは、鮑叔が推薦したからであ る。管仲は宰相となってからというもの、内政ではこれを執
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