極める古文3 中堅~上位大突破編

問八 ここまで 時代に成立した 問九 直前に「いと思はずにほけづき、かたほにて、一文字をだに引かぬ ろから、紫式部は同僚の女房たちから、かなりぼんやりした未熟な人だ れは紫式部が実際に出仕してからのまわりの女房たちの判断であり、設問では どのような人物と想像されていたのか」が問われているので、 と 『土佐日記』 日記文学最初の作品である 和歌集』の撰者としても有名。ま 子道綱との生活を日記に赤裸々に書き綴って 様に中宮彰子に仕えた女房の一人であり、歌人と 『紫式部日記』は、 『源氏物語』を書いた紫式部の の子孫で、大変な文学少女だった。 『源氏物語』を手に

岐 ぬき 典 の す け 侍 日記』

『 蜻 かげろう 蛉 日記』

か 『蜻蛉日記』 げ の 入 『和泉式部日記』 れ

は平安後期の日記で、作者は藤原

の作者、

藤 ふじわらみちつなのはは 原道綱母

『土佐日記』

は夫藤原

『紫式部日記』

『更級日記』 兼 かねいえ 家 の浮気に苦しみ、そうした夫婦の愛憎関 は紀貫之の手になるもので、彼

長 ちょうし 子 。

『 和 い ず み し き ぶ 泉式部

『 更 さらしな 級 日記』

、 ぬ

『讃岐典侍日記』

日記』

解答の根拠は、

の作者、

の作者、和泉式部は、紫式部と同

き ぬき

菅 すがわらたかすえのむすめ 原孝標女

敦 あつみち 道 親王との恋愛日記。

13行目の「参りけるはじ

は、菅原道真

解答

『 讃

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