みんゴロ極める古文1
横笛といふをんなあり。滝口是を最愛す。 父是をつたへ聞いて、「世にあらん者のむこ 第6講『平家物語』語訳 になして、出仕なんどをも心やすうせさせん とすれば、世になき者を思ひそめて」と、あ ながちにいさめければ、滝口申しけるは、 「西 く言ってきかせると、滝口が申たことには、「西王母と言わ れた人は、不死だと言われていて、昔はいたが死んでしまった。 王母ときこえし人、昔はあッて今はなし。東 方朔といッし者も、名をのみ聞い目には見 東方朔と言われた者も、長寿と言われていても名前だけを聞い たことがあって実際見たことはない。年を取った者が先に死に、 ず。老少不定の世の中は、石火の光にことな らず。たとひ人長命いへども、七十八十を 若い者があとから死ぬとは限らないこの世の中は、火打ち石を 打つときに出る一瞬の火花同じではかないもである。たと ば過ぎず。そのうちに身のさかむなる事は、 わづかに廿余年なり。夢まぼろしの世の中に、 え人が長生するといっても、七十歳八十歳を過ぎることはな い。その一生の中で体が元気であるときは、ほんの二十年余り である夢や幻のようにはかない世の中で、見苦しい者とほん の一時にせよ結婚して何の価値があろうか。好きな者と結婚し みにくき者をかた時も見て何かせん。思はし き者を見むとすれば、父の命をそむくに似た り。是善知識なり。しかじ、うき世を厭ひ、 まことの道に入りん」とて、十九のとしも とどりきッて、嵯峨の往生院におこなひすま ようとすると、父の言い付けに背くのと同じことである。今の 機会が仏道に入るよい折である。つらいこの世を嫌い、真の仏
横笛と言う女がいた。滝口はこの女を非常に愛していた。父 はこれを伝え聞いて、「世間的な地位や名声のある者の婿にし て、宮仕えなども気楽にさせようと思っていたところ、取るに 足らない者に恋心を持ってしまって(困ったことだ)」と強
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