みんゴロ極める古文1
110 してぞゐたりける。横笛これをつたへきいて、 道に入るのに越したことはない」と言って、十九の年に髻(= 束ねた髪)を切って、嵯峨の往生院に一心に仏道修行に励んで 「われをこそすてめ、様をさへかへけむ事の うらめしさよ。たとひ世をばそむくとも、な こもっていた。横笛はこのことを伝え聞いて、「わたしのこと を捨てるのはよいが、出家までしてしまったことの恨めしさよ。
度見奉らばや」と、具したりける女をッて いはせければ、滝口入道むねうちさわぎ、障
と聞きなして、「わらはこそ是までたづね参 りたれ。様のかはりておはすらんをも、今一
み、たづねかぬるぞむざんなる。住みあらし たる僧坊に、念誦の声しけり。滝口入道が声
とは聞きたれども、さだかにいれの坊とも 知らざれば、ここにやすらひかしこにたたず
河の月影も霞にこめておぼろなり。一方なら ぬ哀れさも、誰ゆゑとこそ思ひけ。往生院
ころはきさらぎ十日あまりの事なれば、梅津 の里の春風に、よその匂もなつかしく、大井
どかかくと知らせざらむ。人こそ心つよくと も、たづねて恨みむ」と思ひつつ、ある暮が たに都を出でて、嵯峨の方へぞあくがれゆく。 たとえ出家するとしてもどうしてこうすると知らせてくれな かっのだろうか。あの人が堅い意志でいても、訪ねて行って
きないいるのが痛ましいことである。(そのとき)住み荒ら している僧坊で、念仏を唱える声がした。滝口入道の声である と 横笛は 聞き取って、「わたしはここまで訪ねてやって参りま した。姿が変わっていらっしゃいますのも、一度拝見したいも
けれども、はっきりとどの僧坊にいるとも知らないので、こち らでたたずみあちらで立ち止まりして、訪ね当てることがで
込める中おぼろである。一通りではない悲しさも、だれのせい であろうかと思ったことだろう。往生院にるとは聞いていた
十日過ぎのことであったので、梅津の里を吹く春風に、どこか らか匂う梅の香も心ひかれ、大井川に落ちる月の光も霞の立ち
恨み言を言おう」と思いながら、ある日の夕暮れごろに都を出 発し、嵯峨のほうへ心ひかれて出掛けて行った。時節は二月の
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