みんゴロ古文読解
『 紫 式 部 日 記 1010年頃成立した。内容は紫式部が仕えた 子と藤原道長を中心と 宮廷生活の日記 で、中宮彰 子が待望の皇子(後の後一条天皇)を生み、祖父になっ た道長の喜ぶ様子(皇子誕生で摂政への道が開けたの で)などが書かれている。一見華やかに見える宮廷生 活の中で、そこになじみきれない紫式部の苦悩をかな り内省的に書いた部分もある。また、 同じ中宮彰子に 仕える女房の和泉式部や赤染衛門 、そして 中宮定子に 仕えるライバル清少納言 らに対する人物評が書かれて いる。 特にライバルの清少納言に対しては「真名〔=漢字〕」 を書き散らすだけで、教養がない賢ぶった女に過ぎな むらさき しき ぶ にっ 期の日記
17 。『和泉式部日記』とほぼ同時期のもので、 中宮彰 ゴロゴプレミアム講義 き 』は紫式部によって書かれた平安中
のまま下に続いていく形、というものがある。具体的 には「こそあれ、」「こそ侍らざめれ、」と、「こそ」の 結びが下に続いていき、逆接になっているところ。こ の形は入試頻出だ。 また、 「人の詠みたらむ歌」の 「む」が婉曲「~ような」 である点。さらに、 「難じことわりゐたらむは」の「む」
いと、こき下ろしている。また同僚であるはずの和泉 式部に対してもなかなか辛辣で、結局紫式部がもっと も高い評価を下しているのは赤染衛門(匡 まさ 衡 ひら 衛 え 門 もん )に
が仮定「~とした」である点、なども重要だ。今ま で勉強したものが出てきた場合は、もう一度該当の古 文文法・虎の巻を読み直してみよう。
今回古文文法・虎の巻では特に取り上げなかったが、 重要なものとして、「こそ」の結びが文末ではなくそ
対してであるが、現代では清少納言や和泉式部のほう が赤染衛門よりもはるかに知名度が高いというのは、 紫式部にとっては心外なこと(?)だろう。
第二部
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