みんゴロ古文読解

腰の句

らず。 なほ みづからは、先の歌にはいひくらぶ べ からず 』とぞ侍りし」と語りて、これをうちうち に申ししは、「かの歌は、身にしみてといふ いみじく無念に覚ゆるなり。これ程になりぬる歌 は、けしきをいひ流して、ただそらに、身にしみ けむかしと思はせたる こそ 、 心にくく も、 優 いう に も 侍れ 、いみじくいひもてゆきて、 歌の 詮 せん とすべき ふしを、 さはさはと いひあらはしたれば、 むげに 事浅くなりぬるなり」とて、その次に、「わが歌の 中には、  み吉野の山かき曇り雪降れば 麓 ふもと の里はうちしぐれつつ これをなむ、 かのたぐひ にせむと思ひ 給ふる 。も し世の末に おぼつかなく いふ人も あらば 、『かくこ そいひしか』と語り給へ」とぞ。 ではそのように評定しておりましょうが、私は知り ません。 やはり 自分では、先の「夕されば」の歌と 比べて言うことは できません 』ということでした」 と語って、更にこ件について内々に申しましたに は、「あの『夕されば』の歌は、身にしみてという 腰の句〔=五七五七七の真ん中の五文字〕 が、ひど く残念に思われるのです。れくらいの優れたもの になった歌 情景をさらっと言い表してただ言 外に、身にしみたことだろうよと思わせた が 、 奥 ゆかしくもあり 、 優美で もあるの ですが 、素晴らし く表現していって、 歌の眼目 とすべきところを、 はっ きりと 言葉で言い表してしまったので、 ひどく 味わ いが浅くなってまったのです」と言って、その次 に、俊恵は「私の歌の中では =吉野山の峰の辺りを暗く雲が覆って、雪が降って いるので、このふもの里では時雨がさっ降 ては過ぎていくことだ。 この歌を、 あの類の代表歌 にしようと思い ます 。も しも後世に、俊恵の代表歌が はっきりしない と言う 人が いたら 、『俊恵はこう言っていたよ』とお話く ださい」ということだった。

5 第三部

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