みんゴロ古文読解

今回の文章中に出てくる藤原氏は何人かいるが、藤 原兼家はあの藤原道綱母の夫であり、『大鏡』の中で

て言えば、「あり・をり・行く・来」のどの尊敬語に あたるのかの判断をしっかりやることが大切。また、 補助動詞としても用いられるが、これも「~ていらっ しゃる」と訳すので、特に問題はない。敬意の度合 としては「おはします」のほうが高い。

今回の古文文法・虎の巻では尊敬語の「おはす」を 取り上げた。「おはす」は「いらっしゃる」と訳して おけばOK! という点で非常にラクな単語だ。あえ して権勢を誇ったところまではよかったのだが、結局 は息子たちがだらしないせいで、道隆の死後は弟の道 長に権力が移り、子孫が没落していくこととなる。 一方の 道長は「入道殿」と呼ばれ 、ある意味徳川家

26 ゴロゴプレミアム講義 『大鏡』 は第二部の8講に出てきたように平安時代 後期に成立した「歴史物語」。文体が非常に練れてお り、古文的な難易度も高いので上位大学好んで出題 する。 

は「大入道殿」と呼ばれる大物。摂政・関白として権 力をふるった。「粟田殿」と呼ばれる道兼は兼家の息 子だが、気弱で能力的にもイマイチ。さらには関白に なってわずか十日頓死してしまった。 それに対して 「中の関白殿」と呼ばれた道隆 は、文 中にもあるように臨機応変の才があり、なかなかの人 物だった。娘の中宮定子を一条帝に入 じゅ 内 だい させ、関白と

を左遷し、自分の娘中宮彰子と一条帝との間の息を 次々と帝に その摂政・関白・太政大臣して位を 極めていった。

康のように最後のおいしいところを取っ、藤原氏全 盛時代を築き上げる。兄の道隆の死後、その息子たち

第三部

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