みんゴロ古文読解
の つくり 風 みやび 流 にして、まことの みやび心 にはあら ず。かの法師がいへ る 言 こと ども、この たぐひ 多し。 すべて、 なべて の人のねがふ心にたがへ る を みや び とするは、つくりごとぞ多かりける。恋にあへ る をよろこぶ歌は心深から で 、あはぬを嘆く歌の み多くして心深きもあひ見むことをねがふから なり。人の心は、うれしき事はさしも深くはおぼ えぬものにて、ただ心にかなはぬことぞ深く身に しみてはおぼゆる わざ なれば、すべてうれしきを よめ る 歌には心深きはすくなくて、心にかなはぬ すぢ を悲しみうれへたるに あはれなる は多きぞか し。 さりとて 、 わびしく 悲しきを みやび たりとて ねがは むは 、人のまことの心ならめや。 のはない 。 それなのに 、あの兼好法師がいっ て いる ようなことは、人情に背いた、後世の こざ かし 心から出た 偽りの風流 であって、真情か ら出た誠の 風流心 ではない。あの法師がいっ て いる 多くの言葉には、の 種類のもの が多い。 すべて、 普通 の人が願っている心に反 している ことを 風雅 と考えるのは、不自然な偽り事が多 いものである。恋人に会っ た ことを喜ぶ歌は情 趣が深く なくて 、会わないことを嘆く歌ばかり が多く詠まれて情趣が深いのも、人はもともと 恋人に会うことを願うからである。人の心とい うものは、うれしいことはそれほど深く印象に 残らぬもので、ただ思い通りにならなかったこ とが、深く身にしみて思われる こと であるので、 すべて、うれしいことを詠ん だ 歌には情趣が深 いものは少なくて、思うにまかせぬ 方面 を、悲 しみうれえている歌に、 しみじみと印象深いも の が多いのであるよ。 そうだからといって 、 つ らく 悲しいことを、 風流 であると考えて望む と した、それは 、果たして人間の真情であろうか、 そうではあるまい。
4 第一部
35
Made with FlippingBook flipbook maker