みんゴロ古文出典

易   難 入試 出題箇所を チェック ! やや国公立大に多く出 題される。頻出箇所は 内容を押さえておきた い。 すべて、あまりになりぬる人の、そのままにてはべる ためし 、 ありがたき わざにこそ あめれ 。 清少納言は、一条院の位の御時、中の関白世を しら せたまひけるはじめ、皇后の宮の 時めか せたまふさかりに さぶらひ たまひて、人より優なるものとおぼしめされたりけるほどの ことどもは、『枕草子』といふものに、みずから書きあらはしてはべれば、こまかに申すに およばず。歌よみの方こそ、 元 もと 輔 すけ が女にて、さばかりなりけるほどよりは すぐれざりけるとかやとおぼゆる。『後拾遺』などにも、 むげに 少なう入りてはべるめり。 みずからも思ひ知りて、申し請ひて、さやうのことにはまじりはべらざりけるにや。 さらでは、いといみじかりけるものにこそあめれ。 その『枕草子』こそ、心のほど見えて、いとをかしう はべれ 。さばかり、をかしくも、 『 無 む 名 みょう 草 ぞう 子 し 』 福岡大学 総じて人並み以上になった人が、そのままで全うしております 例 は、 めったにない こと であるようだ 。 清少納言は、一条院がご在位の御代、中の関白(=道隆)が世を 治め ておられ 初めの頃、皇后宮(=定子)が天皇の ご寵愛を受け ておられた全盛期に お仕え なさって、他の女房より優れた者として皇后宮からご寵愛をいただいたときの こ と な ど は、『 枕 草 子 』 と い う も の に、 自 ら 書 き 表 し て お り ま す の で、 私 が 細 か に 申 し 上 げ る までもない。歌詠みという方面では、高名な歌人であった、清原元輔の娘として、それほどの人の子であったことに比べると、 優れていなかったとかいうように思われる。『後拾遺和歌集』などにも、 ひどく 少なく入集しているようです。 清少納言自身も歌才のないことを承知していて、皇后宮にお願いして、そのような歌の方面のことにはかかわらなかったのでしょうか。 そうでなくては、『後拾遺』などへの入集が少なすぎるようだ。 その『枕草子』は清少納言の心構えが現れていて、たいそう興味深いもの でございます 。あれほど興趣もあり、 DATA FI LE

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