みんゴロ古文出典

「軽み」な

「細み」

215 どを根本理念とした蕉風諧を開拓した。蕉門十哲(P 参照)を はじめ、多くすぐれた門弟を輩出させ、各地に旅し、名句と紀 行文を残した。 ★「 にや 」の「に」は断定「なり」の連用形。断定の助動詞「な り」の連用形「に」は下に係助詞を伴って使われる場合が多い。 特に「にや」 「にか」 「にこそ」の形は文中に頻出する。その場合、 「しおり」

読解ポイント 芭蕉は元禄時代の俳人。別号は「桃 とう 青 せい ・風 ふう 羅 ら 坊 ぼう 」など。江戸で談林 派などの俳諧を学んだ後、「わび・さび」 結びの語が省略される場合が多く、入試でそれが問 。「に や」「にか」の下にはあらむ(ん)」、「にこそ」の下には「あ らめが省略されている。 芭蕉の五大紀行文はゴロで 「 おい ら のさらし 道 に 野ざらしか 」 と覚えましょう。 笈の小文 更科紀行 奥の細道 野ざらし紀行 鹿島紀行

やがて 尋ねあひて、その家に二夜とまりて、名月は 敦 つる 賀 が の港にと 旅立つ。等栽も、ともに送らんと、裾をかしうからげて、路の枝折とうかれ立つ。 ○三里―およそ十二キロメートル。 ○昔物語『源氏物語』に、光源氏が夕顔の咲くあばら屋を訪れる場面がある。 すぐに 訪ねて行って会い、その家に二晩泊まって、八月十五夜の名月は敦賀の港で眺めようと思って 出発した。等栽も一緒に送ろうと、裾をおかしな格好にからげて、道中の案内役だとばかりに浮き浮き立ち出た。

11 第 位 ~ 第 位 20

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