語彙・テーマ
『新・ゴロゴ現代文語彙・テーマ』 オンラインフリー版
2 「新・ゴロゴ現代文語彙・テーマ」前書き 「日本語で書かれているはずなのに、日本語ではない感じがする」──現代文を読んでいて、そのような 感覚にとらわれたことはありませんか? それは、日常生活で用いる言葉と、現代文、 とりわけ評論文で 用いる言葉は、異なるからです。 「逆説」 「概念」といった語を、ふだんの会話では用いませんね。また、 「抽象」 「象徴」などの語は、一般的 な用法とは異なる意味で評論文では用いられますら、語としての意味を的確に理解していなければなり ません。 ですから、英単語を覚えるように、 評論文で用いられる語も覚える必要がある のです。 また、 「述べられているテーマによって出来にバラつきがある。知っているテーマならば読めるが、知ら ないと手も足も出ない」という悩みを抱えている人も、多いと思います。 これも同様に、友人や家族と会話 でのぼる話題と、評論文で論じられる内容とは、異なるからです。 友人と「近代」 や「記号」 についておしゃ べりするというこは、まずないでしょう。
前半の第1章~第3章では、評論文で最頻出の重要語とテーマについて詳しく解説しました。一度読ん だだけでは理解しきれないと思いますので、二度三度読んで理解を深めてください。後半の第4章~第9 章では、対義語・ カタカナ語などを整理しました。こちらは英単語と同じように覚え込んでいってく ださい。 本書は何度かの改訂を重ねて現在に至りますがもともとタイトルは『語句ナビ』 でした 「ナビ(ナビ ゲーター)」 とは、航海士など針路の導き手のことです。本書が現代文の海を泳ぐためのよき導き手となる ことを願ってやみません。
実は、入試問題として用いられる評論文で論じられるテーマというのは、ある程度決まっています。高 校を卒業した受験生が読める内容ということになると、限られてくるからです。 評論文の頻出テーマとい うのは、確実に存在します 。それを頭に入れておけば、どんな文章でも読みやすくなりますし、出来 ・不出 来のムラも小さくなります。 現代文の攻略に必要なもの、それは、 〈読み方〉のマスター と、 〈知識〉の習得 です。 〈読み方〉について は、 『新 ゴロゴ現代文 基礎・必修編』 でしっかり勉強してください。 〈知識〉に関しては、 本書が受け持ちます。
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10 かり読んでください。補足の4コママンガもありますので 続いて、 後半2ページは実際に入試問題として出題された例文とその解説です。その語がどのような文 脈で用いられているのかを確認してください。 ● 第2章 現代文テーマ ─ 基本テーマ 「科学」 「身体」など、 評論文の基本中の基本である のテーマについて解説しています。基本中 10 10 本書の構 ● 第1章 現代文テーマ ─ 重要語 成 「具体/抽象」 説しています。それぞれ 「アイデンティティ」など、 評論文を読むうえで欠かせない の項目は4ページで構成されています。 まずは前半2ページの説明をしっ 、理解の助けとなるでしょう。
10 の重要語について解 の基本であるというのは、それ自体が何度となく出題されてきた頻出のテーマであるとともに、 そのテーマを前提してそれに関連するテーマが論じられることが多いので、理解が必須であ るという意味です。例えば、 「近代」はさまざまなテーマの背景となっています。第1章と同じ
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10 10 く4ページ構成ですので、理解を深めてください。 ● 第3章 現代文テーマ ─ 発展テーマ 「家族」 「記号」など、 難関大の評論文で取り上げられる発展的な のテーマについて解説してい ます。本章の内容は高度で専門的であり、かなり難しいと思います。 しかし、一つ上のレベルを 目指すためには絶対に欠かせません。丁寧に説明しましたので、何度でも読んで、自分のもの としてください。なお、構成は第1章 ・第2章と同じです。 ● 第4章 現代文キーワード ─ 対義語 87 「演繹/帰納」 「自立/依存」など、評論文に登場する対義語を整理しました。 評論文では二つの
内容を対比して論を進める場合が見られますが、その際に理解の要となるのが対義語です。ま ずは対義語の組合せをしっかり覚えましょう。次に、れぞれの語の説明でポイントとなる部 分が赤字で示されていますので、どのように対になっているのか、 意味を押さえてください。
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● 第5章 現代文キーワード ─ Aランク 396 「契機」など、 評論文の内容に直結するAランクの語を整理してあります。多くの語には 例文も付されていますので、どのように用いられるのかを確認しながら覚えていってください。 ● 第6章 現代文キーワード ─ Bランク 366 「軋轢」 「此岸」など、 一般常識として知っておくべきBランクの語が整理してあります。Aラン クの語のように内容に直結することはありませんが、随筆などでも用いられます。知らなかっ た言葉は、意味をしっかりと頭に叩き込んでください。 ● 第7章 現代文キーワード ─ カタカナ語 128 「アナロジー」 「カタルシス」など、評論文に登場するカタカナ語を掲載しました。 評論文では外 来語が学術用語(テクニカルターム) としてそのまま用いられることが多く、意味が分からない と漢字でもないので類推することもできません。まずは意味をしっかと押さえるとともに、 「擬制」
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訳語も載せていますので、セットにして頭に入れてください。 ● 第8章 四字熟語 180 知識問題として出題される四字熟語を掲載しました。大学入試で四字熟語の頻度はけっして高 くありませんが、本文中に出てきた場合、一部を空欄にして出題するということがよく見られ ます。赤字が問われることの多い漢字ですので、チェクシートで隠しながら覚えていってく ださい。 ● 第9章 慣用句280
知識問題として出題される慣用句を掲載しました。評論文というよりも、むしろ随筆や小説 用いられるこが多いでしょう。大学入学共通テストの小説でも出題されます。本章は、慣用 句とその意味を組み合わせる問題の形式となっていますので、繰り返しながら確実に答えられ るようにしてください。
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10 前書き ����������������������������������� 第1章 現代文テーマ ─ 重要語 ���������������������� 第2章 現代文テーマ ─ 基本テーマ �������������������� 第3章 現代文テーマ ─ 発展テーマ �� 第4章 現代文キーワド ─ 対義語 87 ������������������� 第5章 現代文キーワード ─ Aランク 396 ����������������� 第6章 現代文キーワド ─ Bランク 366 �� 第7章 現代文キーワド ─ カタカナ語 128 ���������������� 「新・ゴロゴ現代文語彙・テーマ」目次 10
10 第8章 四字熟語 180 ��������������������������� 第9章 慣用句 280 ���������������������������� 索 引 ������������������
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092 135 149 207 261 281 297 336
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第1章 現代文テーマ
─ 重要語 10
① 具体 / 抽象 ② 概念 ③ 象徴 ④ 普遍 / 特殊 ⑤ 絶対 / 相対 ⑥ 主観 / 客観 ⑦ 多義 / 一義 ⑧ 本質 / 現象 ⑨ 逆説 ⑩ アイデンティティ
1 重要語 「具体」とは、「体」が「具 そな 」わる、つまり、目に見える、手に とって触ることができる形やものとして存在しているということ です。これに対して、「抽象」とは、 「象」が〈形〉、 「抽」が〈取 り出す〉で、 具体的なものから共通する要素を取り出 、頭の 中でまとめること を意味します。 具体:目に見える形やものとして存在すること。 抽象:頭の中で共通する要素を取り出 してまとめること。 具体/抽 象
例えば、りんご・いちご・メロンに共通する要素といえば果物、 大根・きゅうり・キャベツに共通する要素といえば野菜ですね。 このように、具体的なりんごや大根から果物・野菜という共通点 を取り出してまとめることが「抽象」で、「抽象化(する) 」とも 表現します。
ところで、果物と野菜にも共通する要素がありますね。食べ物 です。この食べ物というカテゴリーには、牛肉・豚肉などを抽象 化した肉類、いわし・ホタテなどを抽象化した魚介類なども含ま
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寝をしているネコを指差すだけでは、そのネコしか指し示すこと ができません。しかし、「ネコ」という言葉を用いれば、三毛猫 ・ シャム猫など、ありとあらゆるネコを言い表すことができます。 さらに言えば、 文章(評論文)は具体と抽象の繰り返しによっ て成り立っている と言えます。具体的な事実をもとにして、そこ から抽象化した法則や理論を引き出す。そうしたら、再び具体例 を挙げて説明する。このとき、 筆者の主張は抽象の部分にある こ とに注意しください具体はそのもの 指し示しませんが、 抽象は共通するすべてのことにあてはまるからです。
れます。つまり、りんご・いちご・メロンの抽象は果物、果物・ 野菜・肉類の抽象は食べ物というように、 具体と の関係は、 一対一ではなく、ピラミッドのような階層構造になっている ので す。 このように見ると、 言葉というものは具体的なものを抽象化し て言い表す働きをしている ことが分かると思います。屋根でお昼
現代文テーマ 重要語
22 普遍 すべてのものに共通して成り立つこと。 (P 参照) 科学は 具体 的な経験の一面を抽象し、 抽象 化された経験 は、他の経験と関係づけられて分類さ 抽 ・容積・位置・運動等 象となり、またその などに還元 ることに よって、 、具体的なレモンに 語句 〈例文〉 象 化され、分類された経験は、原則とし もとで繰り返されるはずのものであ 則の普遍性について語ことができ るのである。たとえば
ついてではなく、 抽象 化された対象について、その対象が
効用や生産費や小売価格 経済学の対象となる。力学や経済学は
一個の具体的なレモンは、その質量 に還元されることによって、力学対
従う法則をしらべるのであ
て、一定の条件の る。従って科学は、法
れる。このように
(加藤周一『文学の概念』)
156 還元 元の形や状態に戻すこと。 (P 参照) 対象 行為の目標となるもの。主観が向けられ る もの。 (P 参照) 183
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解説 たくさんのレモンの中から、一つ選んだとします。そのレモンには、色・形・大きさ・重さといったさまざま な要素があり、それらの要素が具体的なそのレモンを構成しています。他のレモンを選んでも同じです。やはり、 色・形・大きさ・重さなど から構成されています。 そこで、それらの要素中から、一つの要素を、例えば、 大きさと重さの要素を取り出してみましょう。すると、 軽く上に投げたときに、どのような軌道を描くか解析するという形で力学の対象となります。あるいは、価格と いう要素を取り出せば、経済学の対象となり、異なる産地や品質のレモン比較ができます。 このように、 重さならば重さ、価格なら価格と、 具体的なレモンから共通する要素を取り出すことを、例文では 「抽 象」と言っている わけです。 しかも、大きさと重さが分かれば運動方程式を立てて放物線の軌道を知ることができますし、価格が分かれば そこから需要供給の関係も導き出せます。このように、 「抽象化され、分類された経験は、原則として、一定の 条件のもとで繰り返される」 のであって、それこそが科学の特質です (科学については基本テーマ5で解説します)。 「筆者の主張は抽象の部分にある」というのも同様の事情によると考えてください。
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現代文テーマ 重要語
2 重要語 「理念」「観念」など、 が、「念」とは〈考え〉のことです。ですから、 「理念」と言えば 〈理想の考え〉いう意味になります。「平和の理念」などと言い ますね。また、「観念」は〈頭の中の考え〉で、机上の空論で現 実離れしたといったマイナスの意味を込めて用いられることが多 いです。 ある物事についてのまとまった捉え方。イメージ。 概念 「念」を用いた熟語はいろいろあります
ところで、おおよその考えというのは、頭の中で共通する要素 を取り出してまとめること作られます。例えば、「果物」の概 念は、りんご・ちご・メロンなどから共通点を見出して、〈食
では、「概念」はどのような意味でしょうか? 「概」は〈おお よそ〉の意ですので、〈ある物事についてのおおよその考え〉と いう意味になりま。 「~とは」と定義されるもの と考えればよ いでしょう。
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用となる草や木の果実〉とまとめられます。同様に、「野菜」の 概念は〈副食物となる草本性の植物〉です。 以上の説明から、「概念」が前項の「抽象」と深く関係すると いうことが分かると思います。 「具体」的なものから共通する要 素を取り出して「抽象」化する。そのようにして作られるのが、 「~とは」と定義される「概念」なのです。 「概念」によって私たちは物事についての大まかなイメージを つかむことができます。しかし、 注意しなければならないのが、 「抽
「概念」は有用ですが、それだけに頼っていると、具体性を失っ て干からびていきます。ですから、つねに具体的なものを取り入 れて「概念」を更新していく必要がある。前項で「文章は具体と 抽象の繰り返しと述べましたが、「概」も同じです。 具体と 抽象を行き来することで、 「概念」もより確かなものとなる のです。
象」化して「概念」を作る際に、共通しない具体的な要素は捨て 去られる、ということです。こで一つ言葉を覚えておきましょ う。 具体的な要素を捨て去ることを 「捨象」と言います
現代文テーマ 重要語
ことばを氷山にたとえてみよう。氷 よって 下にかくれている部 分の上部構造であることは、いわば暗黙前提なのである。 この見えない部分は、明示的な部分と しての概念、固有 の価値を与る基盤と考えてもよい。 (鈴木孝夫『ことばと文化』) 語句 〈例文〉 いる部分は全体積の約七分の一の 由 よし である。七分の六は水 面下に沈んで見えないだ。ことばに 概念 化され得 る現実の部分は、正に水面より表われ ことができる。ところが、ある 概念 を自ら作り出した人々 には、この表われている部分が、水面
ている部分とみなす
山の水面に表われて
明示 明らかに示すこと。対義語は「暗示」。
由 物事のいわれ・趣旨。伝え聞いた事情。 手 段など。例文では「趣旨」の意味で用い ら れている
水面に表れた 「概念」の部分
水面下で固有の 価値を与える部分
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cat ど説明した語で言えば、「捨象」された部分にあたります。 では、水面下の部分は不要なのでしょうか? 違います。筆者は「この見えない部分は、明示的な部分として の概念に、固有の価値を与える基盤と考えてもよい」と述べています捨象された具体的な内容が、「概念」とし ての言葉を支えている。だからこそ、具体と抽象を行き来して、「概念」を更新 していく必要があるのです。 ところで、同じものを指す語でも、言語によってその語 から喚起されるイメージは違います。日本語話者が「猫」 という言葉からイメージするものと、英語話者が「 」という言葉からイメージするものは、微妙に異なるでしょ う。それは、 表面に表れたことばとしては同じでも、言語によって水面下にあるものが異なる からです。 水面下にあるものとは、つまり、それぞれの言語の基盤となっている歴史であり文化です。だとすれば、言葉 は歴史や文化に根ざしたものであると言えるでしょう。この点については、基本テーマ2「言語 ②」でさらに詳 しく解説したいと思います。
解説 前項で、具体的なものを抽象化して言い表す働きをするのが言葉であると述べましたが、抽象化して共通する 要素を取り出してまとめることで「概念」が作られるのですから、端的に 「言葉は概念である」 とも言えますね。 実際に、「概念」であるからこそ、一つの言葉で多くのものを言い表すことがで きるのです。 この例文では、「概念」としてのことばを氷山に例えています。水面の上に表れているのが概念化されたことば の部分、しかし、それは氷山の約七分の一にすぎません。残る七分の六は水面下にあってかくれています。先ほ
重要語
現代文テーマ 重要語
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3 重要語 「象徴」も、「抽象」や「概念」と並んで言葉の働きに関わる重 要な語ですので、しっかりと理解しておきましょう。 まず、「象」の字と「徴」の字に分解します。 「象」は〈姿・形〉 の意。 「抽象」は 〈共通する要素である形を取り出すこと〉でしたし、 「現象」は〈現実に知覚できる姿・形の現れ〉、「対象」は〈意識 が向けられるもの・相手〉を意味します。次に、 「徴」は《しるし》 と訓読みするように、 〈目印・きざし〉の意。 「特徴」と言えば、 〈あ るものを他から区別して際立たせる、特別なしるし〉というこ です。 抽象的な観念を具体的な事物を用いて表すこと。 象徴
この二文字を組み合わせて「象徴」です。字義通りに意味をと ると、〈目印となる形〉となりますが、では、何目印になると いうのでしょうか? それは、目に見えないイメージや考えです。 〈目に見えないイメージや考えを、目に見える形で表すこと〉、そ
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このように、言葉にはたんに具体的な事物を指し示すだけでな く、そこに観念的な意味を含ませる「象徴」の働きがあります。 そして、そのような 「象徴」の働きを持つことが、たんなる記号 とは異なる言葉特質 とも言えます。記号は一対一で対応したも のしか表せません。しかし、「象徴」としての言葉はそこに広が りを持った意味を表せます。 さらに言えば、記号はサルなども用いることができますが、 「象 徴」はヒトにしか理解することができません。 ドイツの哲学者カッ シーラーが定義したように、ヒトは「象徴」を操る動物(ホモ・ シンボリクス)なのです。
中にある抽象的な観念であって、目にすることはできません。そ こで、「ハト」という現実に存在する具体的な生き物を用いて言 い表すわけです。
れが「象徴」なのです。ここまでで学習した語を用いて言い換え ると、 〈抽象的な観念を具体的な事物を用いて表すこと〉 と定義 できるでしょう。 例えば、「ハトは平和の象徴」と言いますね。 「平和」とは頭の
現代文テーマ 重要語
実体 現に存在するもの。その ものの本当の姿。 例文では「実質」の意味で用いられている。 ば空虚である。 それが無意味なのではなく、逆に意味 私に、いままで自分 し、自分は畳にすべり 〈例文〉 日本の家には実体的な強さはなく、実体 に浸
217 コード 情報を表現するための記号の体系。規則。 (P 参照) 語句 空虚 物事に実質的な内容や価値のないこと。 (P 参照) ことは容易であ。たとえば ―― ある家を訪れると先客が いる。その先客はとからやってきた おちる ―― このようなしぐさはいろいろな場合に経験する。 この操作でいままでかれに敷かれて いた経過は消滅し、座 布団は新しい物になった。裏返しは自 分の体温の移ってい ない面を出すとう生理的な配慮以上 に 象徴 的なしぐさな のである。この所作は、 お互いの了解するところであるから、 透されている例をわれわれの日常生活 の坐っていた座布団を裏返して差出 268
すでに 文化的なコード(慣習) というべきだろう。 (多木浩二『一時的にあらわれる物』)
のなかから拾いだす
の視点からみれ
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さらに言えば、お客に座布団を裏返して出したところで、お客がその意味を理解することができなければ、そ れこそ意味がありませんね。座布団に座る習慣のない外国人、本当に意味が分からないでょう。ですから、 座布団を裏返すという しぐさの意味をお互いに理解してこそ、初めてそのしぐさは「象徴」として機能する と言 えるでしょう。「象徴」は「文化的なコード(慣習) 」でもあるのです。
解説 例文では、座布団を裏返すという「象徴的なしぐさ」が例として挙げられています。急な来客があった時など、 お客用の座布団をすぐに用意するということもできません。そのような場合、自分の座っていた座布団を裏返し て出すことで、それが新しい座布団であるという意味を込めます。 もちろん、現に新しい座布団ということではなく、 その「意味」は頭の中で考えられたものにすぎません。 しかし、 裏返すというしぐさその「意味」を表すことができる。 「象徴」は、言葉の働きというだけでなく、しぐさでも 表現しうる のです。
ところで、例文の冒頭で筆者は「日本の家」は「実体の視点からみれば空虚である」と述べています。西洋の 家が客間・食堂・書斎などと用途に応じてはっきりと区別されているのに対して、ちゃぶ台を出せば食堂、机を 並べれば 、布団を敷けば寝室と、日本の家はしぐさ によって役割が変化します。 日本の家はそれ自体が「象徴」 的である と言えるかもしれません。
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4 重要語 「普遍」とは、 それは、言い換えれば、 る ということを意味しています。 例えば、「美」について考えてみましょう。何を美しいと感じ るかは人によって違いますし、また、 時代によって、地域によって、 それぞれの美意識によってさまざまな美術作品が作られてきまし た。ですから、 「美」とは何かを一概に定義することはできません。 しかし、「美」を感じる心は、時間や場所を超えて誰しがもっ ています。つまり、 「美」を感じる心は「普遍」です。 これに対 して、美術作品は時代や地域によ 異なります。特定の事物に のみあはまる「特殊」なものです。 ここで注意しなければならないのは、自分の見方や感じ方はみ んなも同じ、つまり、 「普遍」的なものであろうと思いがちですが、 普遍:すべてのものに共通して成り立つこと。 特殊:特定の事物にみあてはまること。 普遍/特 殊 〈すべてのものに共通して成り立つこと〉ですが、 いつでも・どこでも・誰にでもあてはま
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考える力は理性を持ち合わせた人類に共通する「普遍」的なも のですが、具体的な思考の型は「特殊」であり、優劣を決めるこ とはできません。 何が「普遍」で何が「特殊」か、しっかりと見 極める必要があります。
文明を生み出してきました。そうした視点から見ると、アジアや アフリカの人たちは遅れているように思えます。しかし、彼らは ヨーロッパ人とは違った形で高度な思考をもち、自然の共生を 果たしていたのです。
しかし、文化人類学者がフィールドワーク(現地調査)を行う と、結果はまったく異なるものでした。たしかに、ヨーロッパ人 は科学的で合理的な思考に秀 ひい でていて、それを基盤に豊かな物質
けっしてそうではない、ということです。 かつてヨーロッパ人は、進んだ科学技術に基づく工業生産を武 器に、アジアやアフリカに植民地進出しましたが、そのとき彼ら は自分たちの文明を「普遍」的なものと考え、その裏返しで現地 の人たちを野蛮で遅れているとみなしました。
現代文テーマ 重要語
彼ら(=江戸時代の儒学者)の大部分は、中国を理想化し、 日本のおくれを強調した。もっと正確に いえば、中国とい う歴史的・具体的・ 特殊 な文化または国家を、本来、超歴 史的・抽象 普遍 的な価値と、同一視する傾向があった。 もし彼らが 普遍 的な価値の立場をとっていたとすれば、 現 実の中国に対しても、現実の日本に対 てと同様、批判を 加えていたはずであろう。また彼らの究 極の目的は、中国 人に似ることでなく、日本人および中 国人の現実を超え る理想近づくことであったはずだろ う。しかし、大部分 の儒者において、中国を批判する 普遍 的な価値の基準はな く、中国と価値は混同され、同一視されていた。 (加藤周一『雑種文化』) 語句 〈例文〉
儒者 儒学者。古代中国の孔子を祖とする儒学(儒 教)は、中国において支配者から民衆ま で 伝統的な価値観して根づき、江戸時代 の 日本においても幕府や藩を支える教学と し て重視された。
同一視 (本来は異なるものを)同じものとみなすこ と。
理想化された中国
= 超歴史的・抽象的・普遍的
現実の中国 = 歴史的・具体的・特殊 ⇔
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そのような捉え方は儒学にも反映され、江戸時代には日本でも受け入れられました。すると、奇妙なことが生じ たというのが、例文で述べられていることです。中国の文化は、中国風土において成立した「歴史的・具体的・ 特殊」なものにすぎません。しかし、日本の儒学者たちは、それを理想化し、「超歴史的・抽象的・普遍」なも のとみなしました。 彼らはその視点から「日本のおくれ」を強調します。しかし、現実の中国批判 することはありません。それは、 彼らは中国の文化を「普遍」的だと思い込んでいるだけで、本当に「普遍」的な立場に立っているわけではない か らです。 これは、アジアやアフリカの人たちを「野蛮」とみなしたヨーロッパ人と同じ見方ですね。 「特殊」にすぎない のに自らを「普遍」と思い込む、その思考のクセは、人類に共通する「普遍」的なものと言えそうです。
解説 「中華思想」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。中国を天下の中心である「華やかなる地」とみなす考 え方です。中華は天命を受けた天子が治め、その周囲には「 夷 い 狄 てき 」と呼ばれる文化的に遅れた異民族が住んでいま す。彼らは天子の徳を慕い、教えを請おうと中華の地にやってきます。このように、古来中国では、天子とされる 皇帝を頂点として、国内外の人びととの関係を垂直的な上下の関係として捉えてきました。
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現代文テーマ 重要語
5 重要語 「絶対」は、日常生活では「絶対に合格する!」「絶対に許さな い」などのように〈何が何でも・けっして(~ない)〉の意で用 いられますが、評論文で出てくる場合は 〈他とは関係なく、独立 して存在していること〉 という意味ですので注意しましょう。例 絶対:他から独立して存在していること。 相対:他との関係において成り立っていること。 絶対/相 対
ところで、前項で、人類には自らを「普遍」的と思い込むとい う思考のクセがあるけれども、けっして「普遍」的ではないとい
これに対して、「相対」は〈他との関係において成り立ってい ること〉を意味します。例えば、受験生の皆さんが一喜一憂する 偏差値は、他の受験生と比べて自分はどのような位置にいるかと いう「相対」的な評価にすぎません。
えば、かつてあるプロ野球の審判が「私がルールブックだ」とい う名言を残しましたが、これは、 のジャッジは誰にも左右さ れない「絶対」的なものであるということを言い表したものです。
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例えば、「西洋文化の相対化」と言えば、東洋の文化などと比 較することで、西洋の文化を見つめ直すという意味で。そのよ うに「相対化」することで自らを「普遍」的と思い込む人類の 「普遍」的な思考のクセから自由になることもできるでしょう。 「相 対化」は、私たちに気づきを与えてくれる、重要な視点なのです。
は、 他のものと比べ、自分から距離をとって見ることで、狭くなっ ていた視野を広げ、凝り固まった思考を打破することができる か らです。これを 「相対化」 と言い、評論文では基本的にプラスの 価値を伴った内容になります。
うことを述べましたが、同じことが「絶対」にも言えるでしょう。 私が「絶対」だということはありません。誰もが誰かに支えられ て生きている、つまり、「相対」的な存在なのです。
自らを「絶対」と思い込まないためには、他のものと比べてみ ることが肝心です。そうするとこれまでとは違った見方・考え 方に気づいたり、自分の長所や短所も見えてきたりします。それ
現代文テーマ 重要語
物理学においては、この宇宙の誕生以 離れて客観的に存在し、途切れなく、同 じ速さで、過去か ら未来へと一直線流れていると考える。「時間の矢」の思 想である。どこでも同じように流れ、す べての人に共通す る物理時間が、 絶対 的に存在しているとするのだ( 相対 性 理論の世界では、時間は、各人ごとに、ま た宇宙の場所ご とに変わるのだが、それは日常的に感知 できることではな い)。それが、 科学・技術が永遠の普遍性を保ち、世界の一 体性を保証 している根拠となっている。 (池内了『複数の時間を生きる』) 語句 〈例文〉 来、時間は物質と
22 普遍 すべてのものに共通して成り立つこと。「普 遍性」と言う場合は、時代や地域によらず、 いかなる場合に成り立つ性質を意味する。 (P 参照)
30 客観 誰にでも共通するものの見方。「客観的」と 言う場合は、特定の立場にとらわれない さ まを意味する。 (P 参照)
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解説 例えば、気温や湿度の微妙な変化によって一秒の長さが変わるのだとしたら、物体の速度を計算することはでき ませんね。ですから、物理学では、時間は「物質と離れて客観的に存在」、つま り、他のものとは関係なく「絶対」 的なものであることが前提とされています。そして、 いつでも・どこでも一秒は一秒で同じ長さなのですから、 「す べての人に共通す」、つまり、 「普遍」的なもの と言えます(ちなみに、カッコ内のただし書きにあるように、ア インシュタインの相対性理論では、 「時間は、各人ごとに、 また宇宙の場所ごとに変わる」と考えるので、まさに「相 対」的です)。 ところで、私たちは時間が「過去から未来へと一直線に流れている」と考えてい ますね。筆者の言う「時間の矢」
の思想です。この時間の捉え方は、実はキリスト教(厳密にはキリスト教の母体となったユダヤ教)に起源があり ます。キリスト教では、こ世には終わりの日があって、神の裁きにより天国行きか地獄行きかが決まるとされま す。これを 終末思想 と言いますが、要するに、 現世での時間は終わりの日に向かって流れている のです。 しかし、私たちはそれとは違う時間の中にも生きています。それは、「循環する 時間です。季節には春・夏 ・秋・ 冬というサイクルがあり、それに従って植物は育ち、動物は活動し、人間もそれ合わせて生活を営みます。 そう考えると、 一直線に流れる時間というのはけっして「普遍」的ではありません。 西洋のキリスト教世界で生 まれた「特殊」なものなです。
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現代文テーマ 重要語
6 重要語 「観」の字には、たんに 然現象を精密に観察・測定し、 〈物事が上手くいかないと考えること〉です。目に入ったも のをぼんやりと眺めるではなく、対象をしっかりと捉えるとい うこと。ですから、 「観」を用いた語は、物の見方・ 捉え方・考え方 に関わります。 では、 「主観」 「客観」とはどのような物の見方でしょうか? ま ず、 「主」は自分自身のことですから、 「主観」は 〈その人自身の物の 見方〉という意味になります。 一方、 「客」は自分が向かう相手のこ とですので 「客観」は 〈特定の人から離れた物の見方〉とい意味 です。 「主観」がその人だけの独自の物の見方であるのに対し、 「客 観」は誰にでも共通する物の見方であると言い換えられます。 主観:その人だけの独自の物の見方。 客観:誰にでも共通する物見方。 主観/客 観 〈見る〉というよりも、 変化や推移を調べること〉 のありさまを捉えるという意味があります。 「観測」と言えば 観」は
「悲
詳しく見て、その物 〈自 ですし、
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そうすると、 現代文では「主観」的な読みではなく「客観」 的な 読みが求められる と言えますね。あなた自身の「主観」 押し通しても、それ 現代文の問題は、誰にでも共通する「客観」 的な読みを前提として います。本文にある言葉を根拠に筆者の論をたどる、 「客観」的な 読みを心がけてください。 〈普遍・特殊〉 〈絶対・相対〉 〈主観・客観〉 という三組の対
ここで、 義語の関係を整理してみると、次のようになります。 普遍 ≒ 絶対 ≒ 客観 ⇔ ⇔ ⇔ 特殊 ≒ 相対 ≒ 主観 特に注意してほしいのが、 「主観」は 「相対」的である ということ です。誰かの見方に一つ決めることはで きず、横並びなのですから 、 「相対」的ですよね。これに対して、 「普遍 ≒ 絶対 ≒ 客観」のセット には、 〈共通する〉という意味が含まれていることに着目してくだ さい。 「客観」は、 誰にでも共通するからこそ、 「絶対」的であり 「普 遍」的なのです。
的な読みを が正しい読みである可能性は限りなく低いです。
現代文テーマ 重要語
主観 主観 的にではなく て、困難や問題事態のもののなかで 客観 的に解決して いく、より進歩した文化の形態であると信じている。 (沢田允茂『認識の風景』) 語句 〈例文〉
近代人はしばしば宗教的文化は合理的 段階でとらざるを得なかった文化の形態 問題の解決は人間の心の在り方を変える れるが、それは決して事態そのものの解 決ではなくて 的な 欺 ぎ 瞞 まん であると考える。これに対して科学的文 化は人間 がその知性を発達さ せることによって
ことによって行わ
であり、そこでの
な知識が未発達の
160 欺瞞 欺きだますこと。 (P 参照)
173 宗教 超越的な存在を信じ、安心や幸福を得よ う とする人間の営み。 (P 参照)
32
解説 夏の蒸し暑さにどのように対処するか? 宗教では、「心の在り方」が重視されます。 「心頭滅却すれば火もまた涼 し」とまではいきませんが、心しだいで暑さも和らぐと言うのです。「主観」的 科学ではクーラーをつけて暑さそのものを取り除こうとする。「客観」的な解決 策と言えるでしょう。 宗教は心のもち方しだいだと言うのですから、「主観的な欺瞞」のようにも思えます。一方、科学は暑さそのも のを「客観」的に取り除き、誰もが涼しいという状態を作り出すのですから、「より進歩した文化の形態」のよう この逆説から逃れるには、科学を「相 「宗教的文化」と「科学的文化」との問題の解決のしかたの違いが対比して述べ
られています。例えば、
な対処法と言えます。これに対し、
42 すべてを取り除きたという欲求から自由にはなれないからです こうして、 安らぎを追い求めれば追い求めるほど安らぎが失われるという逆説 (P 参照) が成立します。「モノ は豊かになったが、ココロはどうであろう」とはよく言われることですが、 対化」し、功罪の両面を見つめ直すことが必要でしょう。
例文では、 に思えます。しかし、そんなに簡単に、宗教は遅れていて科学は進んでいると言えるのでしょうか? そもそも、 科学的な解決策の根底にあるのは、不快なものをすべて一掃してしまいたいという心の動きです。 私 たちの生活は、便利な道具に囲まれて、わずらわしいことから解放されたようにも思えます。しか、心の中では 満足できないという思いが残っているのではないでしょうか。それは、不快なものを取り除いても取り除いても、
重要語
現代文テーマ 重要語
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7 重要語 「一義」とは、文字通り〈一つの意味〉ということですが、そ こから、二つの意味が生じ、それぞれに対義語があります。 一つ目は、 〈最も根本的な意義〉 。つまり、イチバンの最も大切 な意味ということで、この場合の対義語は 「二義」です。 「二義的」
で〈特に重要ではないさま〉を意味します。例えば、「人員の不 足が一義的な問題であって、財源の問題は二義的にすぎない」と 言えば、お金の問題よりも人の問題の方大事ということです。 そして、二つ目が 〈 だけの意味〉 で、その対義語が本項で 解説する「多義」です。そして、評論文では、「一義」は一つだ けの意味しかないという形でマイナスの価値の内容に関わり 「多 義」は多様で豊 意味を持つという形でプラスの価値の内容に 関わるということを押さえておきましょう。 「一義」と同様に、「画一的」などと言ったとき、マイナス 多義:多くの意味を持つこと。 一義:一つだけの意味があること。 多義/一 義
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35 重要語
価値の内容に関わります。一つだけの意味しかなく、何でも一通 りに決まってしまったら、奥行きがなく、面白みがありませんよ ね。やはり、さまざまな解釈が可能であり、いろいろな意味を引 き出せた方が、世界は豊かに感じられるしょう。 しかし、より重要なのは、 複数の選択肢があれば、何か一つで 失敗したとしても、すぐに他のもの切り替えられる 、というこ とです。これを、お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんは、 エッ セイ「なぜ本を読むのか」 で、端的に次のように述べています。 「な
人類はペストなどさまざまな病気に襲われてきましたが、それ でも滅びなかったのは、その病原菌に強い遺伝子を持つ人がいて、 子孫を残してきたからです。タピオカ屋はブームが去るとともに ほとんど閉店まし。 「多義」的であることは、重要な生き残 り戦略でもある のです。
ぜ多様な視点や考え方が必要なのか。極論を言うと、全人類が同 じ考え方しか持っていないとしら、一つの失敗で全員が死ぬか らです」
現代文テーマ 重要語
〈例文〉
183 多義性をもって 対象化 「対象」は〈行為の目標となるもの。主観が 向けられるもの〉のこと。「対象化(する) 」 で「行為の目標として定める」の意とし て 用いられる。 (P 参照) おのずと見えてくるものなどというと に見ることにくらべて、受動的、消極的 もいるだろう。しかし実際には、意識的 すると、かえって、見ようと思ったその 角度だけから 一義 的 にしかものを見ることができない。もっ といえば、その とき、見られるものは冷ややかに対象化 されて、 一義的 で しかないものにな。それに対して、お のずと見えてくる とは、私たちが心を開いて自然や外界( 人間や出来事も含 めて)に接するとき、つまり視覚の独歩 にまかせずに五感 のすべを生かして共通感覚的に接する とき、ものが豊 かな 多義性 をもってあらわれることなのである。 (中村雄二郎『知の旅への誘い』) 語句 + 〇 おのずと見えてくる = 消極的(but) あらわれる - 〇 意識的に見る = 積極的(but) 冷ややかに対象
にものを見ようと
な態度だと思う人
、積極的、意識的
化・一義
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一」です
解説 例文では、「多義」に「性」をつけて 「多義性」 と表現していますが、この語も評論文ではよく出てくるので覚 えておきましょう。 〈多くの意味を持つ性質〉 のことです。また、「多様性」とも言いますが、こちらは〈種類の異 なるさまざまなものがある性質〉を意味します。なお、「多様」の対義語は「画 すると、かえって、見ようと思ったその角度だけから一義的にしかものを見ることができない」のです。 そうした時、ふと顔を上げてみると、ずいぶん時間が経って辺りが暗くなっていることに気づき、驚いたりする ことがあるでしょう。また対象とする物を遠目に見たら違うように見えた、などということもあります。 「おの ずと見えてく」などというのは、「受動的、消極的な態度」のように思えます。しかし、物を「多義」的に捉え るための、重要な回路でもある のです。
また、ヒトの世界では視覚が支配的ですが、その他にも聴覚・嗅覚・触覚・味覚さまざまな感覚があります。 そうした感覚(五感)を働かせると物のさまざまな性質が捉えられるでしょ。「ものが豊かな多義性をもって あらわれる」のです。
143 (P 参照) 。 さて、何かに目標を定めて集中して物を見ている時というのは、周囲の様子が目 に入らなくなったりしますよね。 そして、対象とする物に先入観が働いて、一面か見えないということがあります。「意識的にものを見ようと
重要語
現代文テーマ 重要語
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8 重要語 重要語3「象徴」で、「現象」の意味は〈現実に知覚できるも のの現れ〉であると説明しましたね。「象」 が〈姿・形〉 で、 「現象」 は現実に た形ということでした。これに対して、「本質」は、 目にすることはできないけれども、「これはこういうものである と規定できる要素、つまり、〈物事の根本にある性質〉を意味し ます。まずは、 「現象」と「本質」が対義語である ことを押さえ てください。 さて、 「現象」と「本質」、どちらが重要かと問われれば、 「本 質」と答えると思います。 「現象」が見かけにすぎないのに対し、 「本 質」はそのものを決める不可欠の要素なのですから。実際 評論 文で「本質的には~」 と書かれた箇所は、筆者の主張に関わります。 しかし、目に見えない「本質」を、どのようにすれば捉えるこ とができるのでしょうか? それが間違いなく「本質」であると 本質:物事の根本にある性質。 現象:現実に知覚できるものの現れ。 本質/現 象
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39 重要語
考えました。つまり、 「現象」と「本質」とはまったくの無関係 ではなく、「本質」の現れが「現象」である と考えたのです。 同様に、評論文を読解する際にも、「現象」と「本質」の関係 を見極めることが肝心です。「本質」なくして「現象」はありま せんし、「本質」も「現象」なくしてありません。
ん。そこで、プラトンの弟子であるアリストテレスは、本質は現 実の個々の物に内在しており、具体的な姿・形をとって現れると
たしかに、理性は誰もが等しく持つ能力ですから、理性によっ て「本質」とみなせるものは、誰にっても「本質」と言えるで しょう。しかし、目で見て確認できないことには変わりありませ
言い切ることはできるのでしょうか? 古代ギリシアの哲学者プ ラトンは、感覚で捉えられる現実の世界は仮りそめにすぎないの に対し、永遠普遍の真の実在であるイデアは、理性によってのみ 捉えられるとしました。目で見るのではなく、理性によって捉え るのです。
現代文テーマ 重要語
文学には国境も時代の差もないという 今、東西、要するに文学は文学であって、 現象 的には千変 万化であるかもしれないが、 本質 においては異なるところ はないとする。文学は一つなり、である。 これを受容の側から考えると食物に似 ている。どんなも のをたべても栄養として吸収され骨肉と なる。それと同じ ように文学も、いかに性格の違う作品を 読んでも一様に吸 収されて精神の糧とってしまう。 外国の文学であろうと 自国の文学であろうと、この摂取、消化、 同化の過程に差 はない。 そう考えるのが文学の一元論ともいうべ きもので ある。 (外山滋比古『文学の方法』) 語句 〈例文〉
考え方がある。古
151 一元論 ある一つの要素によって物事の成り立ち を 説明できるとする立場対義語は「多元論」 で、物事の根源となる要素は複数あると す る立場。 (P 参照)
292 千変万化 さまざまに変化すること。次々と変化し て いくこと。 (P 参照)
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4 「抽象」の関係や、重要語 で解説した「特殊」と「普遍」の関係に通じることに気づきませんか? 「具体」的な 文学作品を「抽象」化し、取り出した共通の要素が、文学の「本質」です。 そして、その「本質」によって、古今 東西のあらゆる文学を「普遍」的に説明することができます。 それぞれの語はバラバラに存在するのではなく、対義語のように関連し合ってい そして、そのような つな がりに注目すると、語やが文章という一つのまとまりのある全体として見えてきま そうしたことを意識して 現代文の学習を進めてください。
1 筆者は、それは「食物似ている」と言います。地域や時代 食べる物は異なりますが、「栄養として吸 収され骨肉となる」という点では同じですね。つまり、食物が私たちの身体作るように、文学は精神の糧」と なるのです。 ところで、このように例文の内容を理解すると、「現象」と「本質」の関係は、重要語 で解説した「具体」と
解説 古今東西にさまざまな文学作品があります。国によって、時代によって、言語も表現も異なります。しかし、感 動的な話で心が浄化されたり、主人公の成長していく姿に自分を重ね合わせたりと、「これこそが文学である」と 指摘できる要素はあるでしょう。 「現象」としての文学作品はさまざまでも、文学の「本質」は一つ なのです。
重要語
現代文テーマ 重要語
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201 「だが」などの接続語 のことですね。これに対して、「逆説」とは、一見矛盾(二つの 事柄が食い違い、つじつまが合わないこと。 P 参照)している ように思えるが、実は真理(正しいこと)を述べた説のことで、 カタカナ語では 「パラドックス」 と言ます。 例えば、「急がば回れ」ということわざがありますね。 「急ぐ」 一見矛盾しているようで、正しいことを述べた説。 逆説 9 重要語 まず、「逆説」と「逆接」の違いに注意してください。 は、前後で反対の内容をつなぐ、「しかし」
と「回る」は一見矛盾しているように思えます。しかし急いで いる時ほど慎重に事を進めた方が、かえって早く片付くものです。 つまり、 「急がば回れ」は真理を述べている 「逆説」であるわけです。 いま、説明に「かって」という表現が出てきたことに注目し てください。 「逆説」には、矛盾する二つのものがあります。そ して、それをつなぐのが「かえって」です。 他にも、 「むしろ」「逆
「逆接」
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「~であればこそ」 「逆説」は、入試現代文で問題に最も関係する語と言っても過 言ではありません。本文中に「逆説」の語が出てきたら、必ず傍 線が引かれるか解答に絡むかします。それは、 「逆説」は新しい ものを生み出す原動力 だからです。
に」「~であればあるほど」 などの表現が用い られます。「逆説」の語が出てきたら、これらの表現に着目して、 矛盾する二つの内容をしっかりと押さえてください。
「逆説」は矛盾するAとBという二つの要素を結びつけ、そこか らCという新たな結論を引き出します。例えば、温室効果ガスの
削減と持続的な経済成長という二つの問題に直面して、両者を同 時に解決する新しいテクノロジーの開発に乗り出す。「逆説」だ からこそ、創造の原動力となりうるのです。
AだからB、BだからCと順接(因果関係)で論を進めていく だけでは、何も生まれてきません。元原因であるAの中に帰結 であるCの要素はすべて含まれていからです。これに対して、
現代文テーマ 重要語
161 尊厳 気高く犯しがたいこと。 強制 他人に物事を強いること。対義語は「自発」 。 (P 参照) 自由や個性を無視したことにはならないのである。 (橋爪大三郎『現代思想はいま何を考えればよいのか』) 語句 〈例文〉
こそ、 逆説 的だが、人間の成績評価が可能となっ がどれだけ成功したか、人間がどれだけ 収めたかは、その人間の価値(人格の尊 もないからだ。 成績を評価することが、差別と結びつか な い保証 がここにある。同じ理由で、生徒に一律 の規則を課 したり、教育上必要な外的強制を加えた りしても、生徒の
できない(神だけがそれをできる)とい
学校でよい成績を
う限定があるから
このように、人間が人間を本当に判断し た。人間 厳)と、何の関係
たり評価したり
人格 独立した個人としての、その人の固有の 性 質。パーソナリティ。
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らです。たとえ学校でテストの点数が悪くても、仕事で大した業績が残せなくても、最後にその人を裁くのは神な のですから、んに や仕事で成績として評価できます。「人間が人間を本当に判断したり評価したりでな いという限定があるからこそ、逆説的だが、人間の成績評価が可能」なのです(「~からこそ」という逆説を導く 表現にも注目してください)。 これに対して、 日本には唯一絶対の神は存在しません。そのため、人間による評価が、その人にとっての絶対的 な評価と受け止められてしまいます。 例えば、偏差値というのは本来、母集団の中で自分がどこに位置するかを示 すだけで、その人の人格とは関係ありません。それなのに、その数字で序列化され、小数点以下のレベルで争う 偏差値を過度に崇める人も、逆に、極端に毛嫌いす人も同じ過ち犯しいると言えるでょう。
解説 重要語5「絶対/相対」の例文の解説で、キリスト教における終末思想について触れました。キリスト教におけ る神は、この世界を創りたもうた、唯一にして絶対なる存在です。ですから、天国行きか地獄行きかも、神がこの 世でのその人の振る舞いを見て、終わりの日に決めます(神はすべての人に無償の愛を降り注いでいますから、誰 もが天国に行けるですが)。 このように、人間に対して判断・評価を下せるのは神だけであって、人間にはで きません。しかし、だからこそ、 人間が人間を評価することが可能になります。それは、 その評価がその人の価値を絶対的に決めるものではない か
45 重要語
現代文テーマ 重要語
identity 10 重要語 英語の はもともと〈存在証明・身元証明〉という意 味ですが(身分証明書のことを略して「 カード」と言いますね) 、 心理学「アイデンティティ」言う場合、〈自分の確からしさ〉 という意味用いられます。 自分が他の誰でもない自分であると いうことへの確信、かけがえのない存在であるという実感、それ が「アイデンティティ」です。 そして、確信は元からあるもので はなく、自ら築き上げていくものなので、これを「アイデンティ ティの確立」と言ます。 では、どうすればアイデンティティは確立 されるのでしょう か? そこには二つの条件があります。一つ目は、 時間的な連続 性 です。昨日の自分・今日の自分・明日の自分が同一自分であ るという実感は、条件というよりも、むしろ、前提とも言えます。 そして、二つ目は、 他者からの承認 です。誰も自分のことを認め 自分が自分であることに対して確信が持てること。 アイデンティティ ID
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てくれなかったら、確信が揺らいでしまうでしょう。他者から承 認されるというのは、会社や学校といった集団の中で確かな地位 や役割が与えられ、居場所があるということであって、 これを「帰 属意識」と言います。
れた者は、日本という社会の中で、母語として日本語を身につけ、 親や大人たちから日本的な習慣を学び、アイデンティティを確立 していくわけです。 そうすると、アイデンティティは個人とどまらず、同じ集団 に属する者どうしで共有るものと言えます。 「民族的アイデン ティティ」 です。オリンピックなどで日本選手の活躍に歓喜する。 そのようにして、民族的アイデンティティがかき立てられるので す。
このように、アイデンティティは時間と空間という二つの軸に 沿って位置づけられるものです。ある特定の時間と空間の上に成 立しているもの、それは歴史であり文化です。ですから、 私たち のアイデンティティは歴史や文化に深く関わります。 日本に生ま
現代文テーマ 重要語
205 術語 学問などの専門分野で、特定の意味で用 い られる語。テクニカルターム。 アイデンティティ ということばを特別な意味をこめた術 語として最初に使った――あるいは E・H・エリクソンである。彼はそのと もしも私の記憶が 正しければ、第二次世界大戦中、「ユダヤ系退役軍人復帰診 療所」での特殊な臨床的目的のためであった。 (……) 当時 われわれの診断では、患者の大部分は〈 弾丸衝撃〉症でも なければ仮病でもなくて戦争という切 迫した危険な状況 のために、人格的同一性と歴史的連続性 との感覚を失って いたと思われた。》 (中村雄二郎『術語集』) 語句 〈例文〉 臨床 患者に接して診療を行うこと。現場。 (P 参照) 人格的同一性 と 歴史的連続性 の両方の意味を表わすために 使っている。彼は述べている。《 〈 アイデンティティ の危機〉 という用語を私がはじめに用たのは、
むしろ拡めた――のは きこれを、まさに
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解説 例文にあるとおり、「アイデンティティ」の語を心理学における術語として用いたのは、アメリカの心理学者で あるエリクソンです。「人格的同一性と歴史的連続性」という二つの意味は、それぞれ 他者からの承認と時間的な 連続性というアイデンティティの確立のための二つの条件に対応しています ね。 しかし、「戦争という切迫した危険な状況」に置かれた患者たちは、 「人格的同一性と歴史的連続性」を失い、自 分が自分である ことに確信を持てなくなっていきます。それが 「アイデンティティの危機」 です。 「アイデ ンティティの拡散」 とも言いますので、これらの表現はぜひ覚えておいてください。
ところで、エリクソンは、人生を乳児期から老年期まで八つの時期に分け、それぞれの時期における発達課題を 達成しながら自己実現をしていくという、ライフサイクル論を提唱しした。その中で、青年期の発達課題とされ たのが「アイデンティティの確立」です。 青年期の若者は、まだ社会的な責任や義務は課されていません。多少の無茶も許されます。そのような間を 心 理社会的モラトリム (猶予期間)と言います。その間に、さまざまな可能性に挑戦し、アイデンティティを確立 して、職業の決定など社会的な役割を引き受けていくのです。青年期を生きる皆さんも、モラトリアムが与えられ ている間にやれることは何でも経験して、人生の針路を自ら選び取ってください。
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現代文テーマ 重要語
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第2章 現代文テーマ
─ 基本テーマ 10 ① 言語 ① ② 言語 ② ③ 日本語
④ 近代 ⑤ 科学 ⑥ 自然 ⑦ 時間 ⑧ 空間 ⑨ エゴイズム ⑩ 身体
1 基 本 重要語1「具体/抽象」で、言葉は具体的なものを抽象化して 言い表す働きをすると説明しました。また、重要語3「象徴」で は、言葉は具体的な事物に観念的な意味を含ませる象徴の働きが あるとも述べました。 言葉とは、一対一の関係で具体的な事物を 指し示す、たんなる記号ではけっしてありません。 「抽象」や「象 徴」の働きがあるからこそ、豊かで広がりのある世界を表現する ことができるのです。 ここで、赤ちゃんがどのようにして言葉を覚えていくのかを考 えてみましょう。お母さんが家で飼ってい るネコを指差して、 「ニャンニャンだよ」と教えます。赤ちゃんは、 この時点ではまだ、 その指差された対象(ネコ)だけが「ニャンニャン」だ考えて います。一対一対応の記号にとどまっている段階です。 その後、ベビーカーに乗せられてお散歩に行くと、お母さんは 言葉は世界を分節化する。 言語 ①
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基本テーマ
267 ンニャンがいるよ」です。赤ちゃんは、少戸惑いを覚えたのち に、「ニャンニャン」というのは家にいるあのネコだけ指すの ではなく、この世界には「ニャンニャン」と呼ばれるひとまとま りのカテゴリー( P 参照)があることを理解します。 このとき、赤ちゃんが頭の中で行っているのは、 具体的な事物 から共通する要素を取り出して、それに「ニャンニャン」という 名前を与えること 、つまり、 「抽象化」です。世界から「ニャンニャ ン」というカテゴリーを「ワワン」など他のカテゴリーから区 別したとも言えるでしょう。これを 「分節化」 と言います。
ここで、「ニャンニャン」という言葉じたいはお母さんから教 わったものでも、「ニャンニャン」というカテゴリーは赤ちゃん 自らが見つけ出したものであることに注意してください。 私たち ヒトには世界を分節化する能力が備わっており、自分の力で言葉 を獲得していく のです。
通りすがったネコを指差して「ニャンニャンだね」と言いました。 屋根の上でお昼寝をしているネコに対しても、「あそこにもニャ
現代文テーマ
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基本テーマ
haha baba papa 音素 意味の違いに関わる音声の最小単位。例 え ば、はは( ) ・ばば( ) ・パパ( ) で意味が異なるため、「h」 「b」「p」は音 素である。一方、「r」と「l」は、英語で は意味が違ってくるので音素であるが、 日 本では区別されないので音素ではない。 176 所作 しぐさ。振る舞い。動作。 (P 参照) 離散 まとまっていたもの離れ離れになるこ。 誰にとっても 共通な、確定的な部分への離散化という 所作である。 あらかじめ、言葉が対象の世界のこれこ れの 確定領域を指すように作られているとす 一の領域に出会う以外に、そして、出会 ないであろうから、そのような言葉を使 用することでき ず、したがって、その言葉は失われていくだろう。 (菅野道夫『ファジィ理論の目指すもの』) 語句 〈例文〉 に言葉のあいまいさを生みだすもととな 分節化 は連 続世界の離散化である。この離散化とい 文字列で構成される不連続なものである 言語理論の言う 分節化 とは、連続的な世界を言葉によっ て切りとり、指示する作用のことである る。 ことは、空想的な れば、まったく同 うことはほとんど
。言葉は音素列や
から、 うことが必然的
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解説 例えば、「かわいい」という言葉を厳密に定義して、その要素を完全に備えた唯一の人にのみ「かわいい」と形 容することができると仮定しましょう。そんな人にめぐりあうことは奇跡に等しいので、「かわいい」は間違いな く死語になります。例文で筆者が言うように、 「言葉が対象の世界のこれこれの確定領域を指すように作られている」 とするならば、「そのような言葉を使用することはできず、したがって、その言 葉は失われていく」はずです。 私たちは「かわいい」という言葉をさまざまな対象に向かって用います。 本来は、小さいものや弱いものに心ひ かれるさまを表す形容詞ですから、子どもや小動物に対して用いますが、最近では、おじさんや高齢者の憎めない しぐさなどに対しても「かわいい」と言います。あるいは、多少のあざけりの気持ちを込めて、 「かわいいものよ」 などと言います。 連続的世界を分節化するのですから、その領域を確定することはできません。言葉は必然的に「あいまい」なも のです。しかし、 「あいまい」だからこそ、私たちは言葉を広がりを持って用いることができます。 「あいまい」と 言うとマイナスのイメージを持ちますが、逆説的に、言葉は「あいい」だからこそ良いのです。
55 基本テーマ
現代文テーマ
基本テーマ
2 基 本 前項では、ヒトは世界を分節化することで言葉を獲得していく と説明しましたが、分節化、つまり、世界の切り取り方は、一つ ではありません。 切り取り方の違いによって、言葉の意味は変化 していく ものです。 言葉は歴史や文化に根ざしている。 言語 ②
切り取り方に影響を与えるものとして、その言葉が用いられる 文脈(コンテクスト)を指摘することができます。例えば前項 の例の解説で取り上げた「かわいい」という言葉は、 文脈によっ
上のマンガでは「終わった」という言葉を例に挙げていますの で、それぞれどのような で用いられているのかを、考えてみ てください。
て、おじさんやお年寄のしぐさも、未熟な様子も「かわいい」 と表現することができるわけです。「あいまい」な言葉の意味は、 最終的に文脈によって確定されるとも言えるでしょう。
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基本テーマ
10 このように、言葉は歴史や文化に深く根ざしています。ですか ら、外国語を学ぶというのは、たんに言葉を知るということには とどまりません。背景にある歴史や文化を理解して、初めて外国 語が使えるようになります。 それはまた、母語が自国の歴史や文化に根ざしていることを認 識する機会にもなでしょう。重要語 「アイデンティティ」 で、私たちのアイデンティティは歴史や文化に関わると説明しま した。 私たちの存在と、私たちが生まれ育った環境から身につけ た母語とは、深い部分でつながっている のです。
何の思い入れもありません。しかし、日本語話者が「桜」と言う 場合は、合格の象徴であったり、「同期の桜」と歌ったりと、特 別な感情が存在します。「チェリー」と「桜」で 指し示すものは 同じでも、歴史的・文化的な背景が異る、そこから読み取ら れる観念的な意味が異なってくる のです。
さて、こうした文脈を押し広げると、その言葉が用いられてい る歴史的・文化的な背景に行き着きます。例えば、英語で「チェ リー」と言っても、英語話者は樹木の一種というだけで、特に
現代文テーマ
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基本テーマ
私は、時おり、外国に住むということ れる状態に似ているように思う。つまり が存在全体をゆりうごかすということで に存在のこまかな根の先が、おののきな 感覚と化して入りこんでゆくのである。 その場合、言葉を 用いるということは、よきにしろあしき にしろもっと確実 な手ごたえを与えてくれる。森有正の言 い方したがえば いぬ 」は「 犬 シャン 」とちがうのだという意味 において、 れた視覚的には同一に見る事物や存在 が言語圏の相違に よって全くちがったものなる ということである。 (饗庭孝男『想像力の考古学』) 〈例文〉 がら極端に微細な 「 犬 指示さ ある。新しい土壌 は、草木が移植さ 有機的な感覚体験
203 有機的 全体が密接に結びついているさま。生命 力 のあるさま。 (P 参照) 語句
移植 植物や生物体の組織、また、文化・制度 な どを、他の場所に移し替えること。
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解説 日本を代表する文豪である夏目漱石は、一九〇〇年に文部省の命令でイギリスに 「神経衰弱」に陥っ て、二年半ほどで打ち切って帰国の途につきました。精神的なストレスとしては、まったく足りなかった官給の学 費の問題や、研究成果を出さなければならないというプレッシャーなどが指摘できますが、何よりも大きかったの は、日本人とイギリス人の生き方の違いに衝撃を受けたこと、今で言うところのカルチャー・ショックでした。 漱石は後に行った講演「現代日本の開化」において、日本の開化(近代化)は、社会の内部から自然と発生した もの(内発的開化)ではなく、 列強各国の圧力によって無理やり進められたもの(外発的開化)であったため、日 本人は自己を見失い、虚無感や不安の中に生きることなった と述べています。要するに、漱石だけでなく日本社 会全体が西洋近代のカルチャー・ショックを受け、「神経衰弱」に陥ったと言う のです。 こうした経験から、漱石は自己の内面に巣食うエゴイズムを見つめる作品を書き続けました。それは、他者に迎 合する生き方をしてきた日本人に対して、欧米人のような内面的欲求に基づく自己本位の生き方を求めるものでし た。 留学しますが、
漱石が生き方の転換を求めるほどにカルチャー・ショックを受けたのは、例文で筆者が言うように、短期間留 学のうちに「有機的な感覚体験が存在全体をゆりうごかす」という経験をしたからです。外国で生活をするという のは、そして、外国語を用いるというのは、表面的なことにとどまりません。 言葉も、私たちの存在も、歴史や文 化に根ざしています。だからこそ、存在がゆりうごかされる のです。
59 基本テーマ
現代文テーマ
基本テーマ
3 基 本 日本語は、欧米語と比較して、行間を読み取らなくてはならな いなど非論理的だと批判されることがあります。逆に、そうした 論理的なあいまいさが繊細な表現を可能としていると肯定的に評 価されることもあります。いったい、どちらの捉え方が正しいの でしょうか? 日本語は「特別な言語」なのか? 日本語
have no time. う間に合わない」のよに、「私」にとって「時間がない」とい うことを意味してます。英語ならば「私は時間を持たない( )」と表現するところです。しかし、 日本語では 主体である「私」は隠されています。 欧米語の話者からすると、主語を明示しないことに違和感を覚
日本語の特徴として、「主語が省略される」ことがよく指摘さ れますね。例えば、「時間がない」と言ったとき、客観的に時間 が存在しないということで はなく、「課題の提出は明日だも
I
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4 基本テーマ
え、それが日本語は非論理的だという評価につながっていると考 えられます。一方、日本語話者にとっては、非生物主語構文のよ うに無理に主語を立てる方がむしろ、くどさを感じるでしょう。 その受け止め方の違いは、 「私」を対象化して表現する欧米語と、 「私」の視点を自明のものとして語る日本語の違い によります。 それは、あくまでも違いであって、優劣がつけられるものではあ りません。
このように、日本語をポジティブにもネガティブも「特別な 言語」とみなすのは正しくあ その見方はたいていの場 合、 自らを「普遍」と思い込む人類の思考のクセ に由来している と考えられます (重要語 「普遍/特殊」参照) 。
前項で、「言葉は歴史や文化に根ざしている」と述べました。 日本語にも欧米語にも、それぞれ拠ってつ歴史的・文化的な 背景があり、そこから表現違いが生じます。しかし、いずれも 論理に貫かれているとは変わりありません。ヒト等く理性 をもち、その理性によって論理的に考えるのですから。
現代文テーマ
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基本テーマ
ヨーロッパの言語は相手への不信に立 しないことは相手にも理解されず承認も 人たちの間で発達した。雄弁である。言 すべきものであるとされるそういう表 て不要部分を削り 小さくなって、つ ないわけで、何千 ってもせいぜい数 〈例文〉
て、 日本語ではむしろ彫刻的原理が支配的 であるように思 われる。詩にしても、素材にノミを加え 落とす。純度が高くなればなるほど形は いに短詩型文学に結晶する。長詩が栄え 行とう詩は思いもよらない。長歌と言 十行を出ない。 (外山滋比古『日本語の特質』)
葉は積み重ね構築
現の建築学に対し
されないと感ずる
脚しており、主張
雄弁 説得力をもって力強く話すこと。
立脚 自分の拠って立つ場をそこに定めること。 語句
↑ 日本語 = 彫刻的原理
ヨーロッパの言語
= 表現の建築学 相手への不信に立脚
(
日本社会の同質性)
↑
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I have no 解説 本項の例文の筆者であり、長年にわたって入試現代文の最頻出筆者の一人である言語学者の外山滋比古は、日本 語の論理を「点的論理」、欧米語の論理を「線的論理」と対比して捉えています 。 欧米語は、自明のことであっても省略せず、必ず表現します(省略の表現もありますが、その場合には省略 が あることを明示します)。 「私」にとって時間がないことは明らかであっも、「私は時間を持たない( )」 と表現するわけです。ですから、 言葉から言葉へと一本の糸でつながっていきます。まさに 「線的論理」です。 これに対して、 日本語では、自明なこと・ 相手が十分に推測しうることは、わざわざ表現したりしません。 だから、 見かけ上は言葉と言葉がつながっておらず、論理が破綻しているように見えます。しかし、表現されていない内容 を補えば、そこに目に見えない論理は存在しているわけです。これを外山氏は囲 碁の布石になぞらえて、 「点的論理」 と評しました。 このように、日本語は非論理的であるという評価は正しくないと言えますが、では、欧米語「線的論理」と日 本語の「点的論理」の違いはどのような事情から生じたと考えられるでしょうか?
time. ここでは、例文の冒頭にある「ヨーロッパの言語は相手への不信に立脚しており」いう文言に注目してくださ い。欧米人は、人種も言語も宗教も異な人々の中で生活しています。だから、きちんと説明しないと分かっても らえないという意識がまずある。これに対して、 日本社会は同質性が高いと言われます。そうすると、言わなくて も分かってくれるだろうなる。 要するに、 「他者」がいるかいないかという違いです。この点については、 発展テー マ 「世間/社会」で改めて解説したいと思います。
3 基本テーマ
現代文テーマ
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基本テーマ
9 4 基 本 「近代」は、入試現代文における最頻出のテーマと言ってよい でしょう。本文では直接言及されていなくとも、「近代」の枠組 みが議論の前提となっていることも多いですから、しっかりと理 解してください。 さて、「近代」とは、端的に言えば、個人が神の 軛 くびき (束縛)か ら解放され、自由を手に入れた時代です。 近代以前の中世ヨーロッ パでは、人々は教会の支配下に置かれ、 神を中心とする世界観 の 中に生きていました。キリスト教おける神は、唯一絶対なる存 在で、その神がこの世界を創造たと信じられ ました。 人間 もまた、自然界の万物と同じく、神の被造物の一つとされていた のです (重要語 「逆説」の例文解説を参照) 。 そうした状況に変化をもたらしたのが、ルネサンス(文芸復興) と宗教改革の動きす。ルネサンスは、古代ギリシアやローマの 神から解放され、個人が自由を手に入れた時代。 近代
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5 基本テーマ
古典の再生を目指す運動で、その中から、人間性を尊重する精神 (ヒューマニズム)が芽生えます。一方、宗教改革は、キリスト
物質的な豊かさを実現しました。自由を得た個人は、国王による 支配を打ち破り、自分たちのことは自分で決める民主主義を勝ち 取りました。 しかし、そこには負の側面も存在します。 近代科学が生じさせ た自然破壊の問題 は続く基本テーマ で、 自由な個人がおのれの 欲望をむき出しにしたエゴイズムの問題 は基本テーマ9で、解説 したいと思います。
教の原点であるイエスやパウロの教えに立ち帰り、教会の権威か ら自由になって、神を信じるという個人の内面的な信仰を重んじ ようという運動でした。両者は「個人の自由」という点で共通し ており、こうして、 神の下に置かれた「中世」から、個人が自由 に活動する「近代」へ と、時代が切り開かれたのす。
神の軛から解放されて、自由を手に入れた「近代」という時代 は、個人にとって幸せな時代であるように思えます。たしかに、 人類は自らがもつ理性を十分に発揮することで、科学を発達させ、
現代文テーマ
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基本テーマ
して蓄積することであり、それは 一方で資本主義、他方で個人主 義という、ともに近代ヨーロッパの根幹をなす 方 の成長をまってはじめて現実のものとなった 味以上のものとして広く行われるようになる ルジョア社会においてのことであって、ここ しているはずである。ただし、財の蓄積、保 集や蓄財の場合に対象となるのはいつでも他 財であり(たとえば貯めたお金 の保存はまだ目的のための手段という性格を のにたいして、日記に記される自己の他のも 〈例文〉
はほとんどない。それゆえにこそ、 日記においては手段の自己目 的化が蓄財や収集にもましていっそう激しく進行する のだが。 (富永茂樹『都市の憂鬱』)
自己の内面を日記に綴るということは、自己 のも、おそらくはブ でも同じ原理が作動 存とは言っても、収 の財と交換が可能な で家を購入する)、したがってこ 多少とも残している のに変わりうる余地 。収集がただの趣
とも言うべき考え
を一種の財と見な
168 ブルジョア 多くの資産を持つ階級(有産階 資本家階級)。ブルジョワジー。 (P 参照)
172 個人主義 え 方。これもまた「近代」特有のもの である。 (P 参照) 級・ 個人の権利や自
資本主義 生産手段の私有と自由な経済活動を 前提とする社会制度のこと。個人が 語句
富を所有し、それを自由に使うこと ができるという点で、資本主義は「近 代」特有の制度であると言える。 (P 参照) 由を尊重する考
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9 「財の蓄積、保存」 ということです。切手や骨董品の収集はもちろん、日記においても、自己の行動を書き留めることで、いつでも読 み返すことができるように保存します。 それは、個人が神の軛から解放されて自由になったからこそ可能になったと言えるでょう。私が集めたコレク ションは私のものであって、神のものではありません。同様に 私自身の行動は自ら選び取ったものであって、神 によって決められたものではありません。 このように、日記も収集も「近代」において初めて成立した行為である と分かります。 そして、生産手段の私有と自由な経済活動を前提とする資本主義もまた、「近代」的ものです。しかし、現代 においては格差の拡大や強欲な資本家の存在が問題となっています(発展テーマ 「自由」で解説します) 。それは、 自然破壊やエゴイズムの問題と並んで、「近代」の負の側面と言えるでしょう。 解説 例文において筆者は、日記と収集には「同じ原理」が働いていると指摘しています。それは、
基本テーマ
現代文テーマ
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基本テーマ
5 基 本 神の支配下にあった中世から、個人が自由を手に入れた近代へ。 それは自然の捉え方(自然観)の変化を促し、そこに科学(近代 科学)は成立しました。 目的論的自然観から機械論的自然観へ。 科学
中世においては、唯一絶対なる神がこの世界を創造したのであ り、自然界の万物は神の摂理(意志)を実現するために運動して いると考えられていました。このような見方を、神の摂理の実現 を目的としているということで、 目的論的 と言います。例 えば、天動説を知っているでしょうか? 中世には、地球(といっ
しかし、近代になると、コペルニクスが太陽のまわりを地球を 含む惑星が回っいるとする地動説を提唱し、ガリレイが自ら製
ても平面とされていましたがのまわりを星々が回っていると考 えられていました。それも神の摂理を実現するためですから、天 動説は目的論的自然観に基づく考えです。
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69 基本テーマ
の法則を応用することで、自然を人間にと 害がなく有益なよ うに作り変えていくことも可能になりました。科学が物質的な豊 かさをもたらしたゆえんです。 しかし、神の軛から解放されるとは、歯止めが利かなくなる いうことでもあります。 自然の一部であったはずの人類は、神が いるべき頂点に立って、自然を支配するようになりました。 自然 破壊の問題は、このように人類が欲望をあらわにしたところから 生じたのです。
作した望遠鏡によって天体観測を行って、これを支持しました。 惑星は神の摂理の実現のために運行しているのではありません。 因果法則に従っているまでです。このような見方を、機械じかけ のようであるということで、 機械論的自然観 と言います。これを 端的に表現したガリレイの言葉が、「自然の書物は数学の言葉で 書かれている」です。 こうして神の摂理から自由になったところに、科学は誕生しま した。 科学は、実験や観察によって得られたデータをもとに、あ らゆるものに成立する普遍的な法則を導き出しす。 そして、そ
現代文テーマ
基本テーマ
自然科学の知は、「自分」を環境から切り離して得たもの であるから、 誰に対しても普遍的に通用する 点で、大きい 強みをもっている。自然科学の知はどこ でも通用する。し かし、ここで一旦切り離し た自分を、全体のなかに入 れ、 自分とは何のために生きているのか、な どと考えはじめる とき、自然科学知は役に立たない。そ れは、出発の最初 から、 自分を抜きにして得たもの なのだから、当然のこと である。太陽の動きや、はたらきは、自分 と無関係に説明 できる。しかし、他ならぬ 自分という存在と、太陽と は、 どうかかわるか。 (河合隼雄『イメージの心理学』) 語句 〈例文〉
他ならぬ自分という存在 アイデンティティ(自我同一性)と言い 換 えられる。
22 普遍 すべてのものに共通して成り立つこと。 (P 参照)
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解説 神の軛から解放されて、個人が自由を手に入れるとは、自分が何者であるのかについては自分で決める、神に決 められるわけでも、他人に指図されるわけでもないということを意味します。「近代」には、他から独立した主体 的で強い個人のあり方として、「近代的自我」が成立します(詳しくは基本テー マ9「エゴイズム」で後述)。
10 しかし、重要語 「アイデンティティ」の項で説明したように、私とは他者との関係において成り立っている存 在です。他者から承認されるこで、初めて自分が自分であることに確信が持てます。だとしたら、 主体的で自由 な個人と言っても、他者が不在なのであれば、それは根無し草ということになってしう でしょう。 それは、自然と人類との関係にも言えることです。神の摂理の下に置かれていた中世において、人類は自然の一 部でした。しかし、「近代」にいたって自然を支配する神のいるべき場所に立ちます。たしかに、科学によって導 き出される法則は、自然を人類にとって都合の良いようにコントロールする力となり しかし、その法則は、 自分は何者かという問いに対して、何の答えも与えてはくれません。 自然から切り離されてしまった からです。 私たち現代人は「自然を守れ」言います。しかし、自然を破壊しているのは、自然の外部にる私たち自身 す。だとすると、 自然を守るために最も適当な方法は人類がいなくなることであるという、なんとも皮肉な逆説 が 成立します。「自然との共生」と口にするのは簡単ですが、そこに、自然から切り離された人類が、自然との関 係を結びなおという、難しい課題が横たわっているのです。
基本テーマ
現代文テーマ
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基本テーマ
6 nature 基 本 前項では、中世の目的論的自然観から近代の機械論的自然観へ という捉え方の変化について見てきましたが、本項では、「自然」 としての自然。「ありの まま」としての自然。 自然
とは何かについて、さらに掘り下げて考えてみましょう。 中世においては、人間は自然一部であり、神の摂理に従うと されていました。その意味で、個人に「自由」はありません。し かし、近代になると、人間は神のいるべき場所に立って、自然を 支配しようとします。このとき、人間が自然の外に飛び出すとい うことが重要です。 もはや自然の一部ではないからこそ、自然を 実験・観察の対象とみなして(対象化)、法則を見出し、都合よ く自然を作り変えるこも可能となった です。
しかし、このような自然の捉え方は、西洋という限られた地域 における、近代という限られた時の特殊なものにすぎません。 実際、日本ではこれとは異なる捉え方をしています。
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nature nature 基本テーマ
nature 「自然を大切にしよう」などと言うときの「自然」は、英語の の翻訳語で、精神的世界と対立する〈物質的世界〉を意 味します。要するに、人間の理性によって対象化されるものとい うことです。しかし、日本語では、それとは別に、「わざとらし くない自然な態度」 「自然に本が閉じた」などと言いますよね。 〈人 の手が加わらないさま〉 〈ありのまま〉を意味する形容詞・ 副詞で、 こちらが本来の「自然」の意味でした。 それは、 としての自然に手を 加えることを好まず、 調和や一体化を求める 日本の自然観 にも通じます。 を 人間の外部にある対象物とはみなさない。 だから、日本語には にあたる語がなかったのです。 しかし、 の訳語に「自然」をあてたことから、 nature nature
nature は手つかずのまま存在するという誤解が生じました。伝統的な里 山も、田園の風景も、私たちが作り上げてきたものなに、です。 「自然」について論じられている評論文を読む際には、二つの意 味を混同しないことが肝心です。
現代文テーマ
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基本テーマ
日本では、老荘の「無為自然」を引 自然 を「自然に放置された」「人為を加えない」ものと解釈する 傾向 がある。それゆえ、 人間が自然に加えるいかなる改変も、 それ自体悪となる、という形で、自然」が絶対価値と見な されることにもなりかねな。だが西欧的発想に立てば、 人間も自然の一部である以上、人間の 営みだけを人為とし て自然から切り離すことを不自 然と受け取る――。 自然と 人間の存在的本質をきびしく区別したヨ ーロッパ が、その 場面では両者を融合的に取り扱う日本や 東洋に対して、機 能としての両者の本質を、後者よりも融 合的に見なす、と いうのはパラドキシカルかもしれないが 、絶対的創造神の 媒介を考えあわせれば、外見ほどこの事 態はパラドキシカ ルではない。 (村上陽一郎『近代科学を超えて』) 語句 〈例文〉 くまでもなく、
26 絶対 他から独立して存在していること。 (P 参照) パラドキシカル 逆説的。一見矛盾しているようで、正し い ことを述べているさま。 「逆説(パラドックス)」については、 P ・ P ・P 参照。 42
老荘 古代中国の思想家である老子・荘子と、 そ の流れをくむ思のこと。万物の根源を 道 と呼び、道の働きに従って人為を加えな け れば(無為)、 おのずから上手くいく(自然) と説いた。
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nature 解説 としての自然と、「ありのまま」としての自然。この例文も、 山も田園も人の手で作られたものです。「『自然』が絶対価値と見なされる」と言うとき、 人の手が加えられた としての自然を、手つかずの「ありのまま」の自然として賛美するという逆説 が生じています。 ですが、そうしたパラドックスは「西欧的発想」にもあると、筆者は指摘しているようです。近代においては、 人間は自然の外に立つ、つまり、「自然と人間の存在的本質」は「きびしく区別」れました。しかし、一方で、 西洋ではキリスト教の「絶対的創造神」が信仰されています。「人間も自然の一部」であり、神の摂理の下に置か れているという捉え方は、けっして過去のものではないのです。 こうして、 西洋においても、人間と自然を区別しながら、「人間の営みだけを人為として自然から切り離すこと を不自然と受け取る」という逆説が成立 います 「自然」はこれほどまでに一筋縄ではいかないものなのです。 nature 進めましょう。 日本では、「自然に放置された」
「自然」の二つの意味に注意しながら読み 「人為を加えない」ものに価値を見出します。しかし、先に述べたように、里
基本テーマ
現代文テーマ
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基本テーマ
7 基 本 近代において時間は、時計によって計測される抽象的な分や秒 を単位に、過去から現在、未来へと、一直線で、しかも、一定の 速度で進んでいくと考えられています。 一秒の長さが変化しない という、その前提なしに科学は成立しえません。 直線の時間。循環する時間。 時間
皆さんの学校生活にも、時計の時間は浸透しています。決めら れた時刻までに登校し、時間割通りに授業が行われる。文化祭な どの学校行事は事前にスケジュールが組まれそれに従って準備 も進められます。 近代社会では 産業革命後、生産の効率化を図るために誰も が時計の時間通りに動くことが求められるようなりました。 流
れ作業で生産を行うの、一箇所でももたついたら、全体の流れ がストップしてしまいます。ムダを省き、一分一秒でもかかる時 間を短くすることがよしとさるのです。学校というのは、時計
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基本テーマ
5 しかし、誰しもが同じことを同じスピードでできるわけではあ りません。勉強でも、理解するのにかかる時間は、人によって、 また、内容によって違います。体調が悪くて、今日ペースが上 がらないという日もあるでしょう それを無理に時計の時間に押 し込もうとすると、ひずみが生じます。 ところで、私たちの身体には、「時計の時間」ではないもう一 つの時間が流れています。それは、重要語 「絶対/相対」の例 文解説で簡単に触た、 「循環する時間」 です。春・夏・秋・冬 という四季のサイクルにそって植物は育ちますから、農業はこの 「循環する時間」の方が適しています。実際に、 前近代の社会では、
の時間を守って行動できるようにするための、訓練の場と言える かもしれません。
現在の地球の公転に基づく太陽暦ではなく月の満ち欠けに基づ く太陰暦が用いられ、その名残は「夏も近づく八十八夜」などの 歌詞に見られます。 「循環する時間」で近代の「時計の時間」を相対化する。 その ような視点が重要です。
現代文テーマ
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基本テーマ
進歩や発展の論理を持ってから、人類は いう物理時間の歩 。右肩上がりの発 のである。それに てきたよ る。 し、じっくり考え 〈例文〉
うに見え 逆に薄める結果となってい
る癖を失っているからだ。 (池内了『複数の時間を生きる』)
私たちは、ま すます多忙になり、即時的な対応に終始
よって、 時間の環を巡る生物時間の密度を濃くし
展とは、まさに時間の矢の思想の産物な
みをより速く進めようとしてきたからだ
やより迅速な情報交換によって、効率と
よっ、寿命という物理時間をより長く
てしまった。より便利でより快適な環境
物理時間のみに価値をおき、環として巡
を作り出すことに
る生物時間を忘れ
し、より速い移動
一方的に流れる
即時的 すぐその時に行うさま。たちどころに効 果 が表れるさま。
右肩上がり 後になるほど数値が上がり、状態が良く な ること。 語句
・ 時間の矢の思想 右肩上がりの発展
{ ・ 物理時間 ( = 一方的に流れる)
↓ (but) 生物時間を薄める結果
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「循環する時間」を「環として巡る生物時間」 一方、生き物 (人間も含めて)は「循 当であると言えるでしょう。
5 「時間の矢」の思想については、重要語 「絶対/相対」の例文(本項と同一出典です)にも出てきましたね。 キリスト教の世界観(終末思想)では、この世の時間は神の裁きが下る終わりの日に向かって流れている。 このよ うな「時間の矢」の思想と、一定のスピードで進む「計の時間」と組み合さって、効率化を目指す近代の時 間は形作られている のです。 たしかに、「物理時間」は、効率化を推し進めることで「より便利でより快適な環境を作り出すこと」に貢献し ました。しかし、そで人類は幸福になったと言えるのか。筆者は、「時間の環を巡る生物時間の密度を濃くして きたように見えて、逆に薄める結果となっている」という逆説(P 参照)を指摘しています。 時計によって計測 される抽象的な時間は私たちの身体に流れるけっして一定ではない時間に、寄り添ってはいない からです。 試験にも制限時間があり、より早くより的確に解答することが求められます。しかし、だからと言って「即時的 な対応に終始し、じっくり考える癖を失って」は、何も身につきません。理解して自分のものとする。そのための 時間はしっかりとかけてください。 42 解説 例文において筆者は、 と呼んでいます。たしかに、 環する時間」に従っていますから、「物理時間」と「生物時間」という対比は妥 「時計の時間」を「一方的に流れる物理時間」、 「時計の時間」はモノの生産を行うのに適しており、
基本テーマ
現代文テーマ
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基本テーマ
5 8 基 本 基本テーマ 「科学」で、科学は実験や観察によって得られた データをもとに普遍的な法則を導き出すと説明しましたが、その 前提としてあるのは、 データが数量化され、計測可能である とい うことです。「長い」 「重い」というだけでは、何も分かりません。 均質化された空間から失われたもの。 空間
メートル・グラムといった単位が定められることで初めて物体 の運動を捉えることができます。前項で説明した「時計の時間」 もそ単位の一つです。 このように、あらゆるものが抽象的な単位によって数量化され ることで、 近代においては空間の均質化が進みました。 空間は三
次元の座標軸の上に捉えられ、そこに密度の濃淡はありません。 東京でも大阪でもニューヨクでも、三十坪の土地に建てられた 高さ五十メートルのビルは同じビルなのです。 空間の均質化は、「時計の時間」と同様に、近代社会が効率化
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81 基本テーマ
かり飼いならされてしったといことでもあるでしょう。 しかし一方で、そのようにして空間からその土地特有の記憶が 失われることに、私たちは寂しさやよりどころのなさを感じます。 かつて音楽家の故・武満徹氏は、 活動の拠点としていたニューヨー クについ、「 (私の)存在は、他と何らかかわりのな無名の点
経営者の立場からすれば、同じ設計で同じ商品を供給すればよい のでコスト削減になりますし消費者からしても、同じというこ とに安心感を覚えます。近代社会が進める均質化に、 私たちがすっ
を進めるうえで都合の良いもの でした。現在では、初めて訪れた 場所でも、駅を降りると、見慣れたコンビニやファーストフード 店が建ち並び、あまり変わり映えがしなくなりました。それは、
になってしまうような感覚をもちます」と述べました。 私たちの存在は、歴史や文化に深く根ざしたものでした。 です から、均質化が極限で進み、その土地にまつわる記憶が失われ てのっぺらぼうになった空間には うした私たちの存在を受け 止めることができいのです。
現代文テーマ
基本テーマ
近代の空間が失ってきた 近代建築がめざしてきたの ピロティ、連続窓、ガラスの壁、陸屋根 がりであると考 排除され、 クリッド的な均質 〈例文〉
空間の あらゆる場所は人工的に均質化される ことになった。こう して、場所における違いをもたないユー
えらるようになった。 それと同時に、たがいに異なる意 味や価値を帯びた「場所性」が空間から
はものと空間対象化する。 空間は測定可能な量に還元さ れ、空間を支配するのは距離であり、ひろ
空間ができあがる。 (狩野敏次「住居空間の心身論」)
れ、視覚を中心にした身体感覚の制度化
の発達がそれに拍車をかける。明るい空
るい空間を実現するために開発した装置
のは、実は深さの次元であ は明るい空間の実現であっ は、近代建築が明 である。人工照明 間が実現するにつ
がすすんだ。視覚
た。
る。
183 対象化 「対象」とは、主観が向けられるもののこと。 (P 参照) その前提として、自分(主観)から対象 と なるもの(客観)が切り離されているこ と がある。このように、自分から切り離し て 捉えることを「対象化」と言う。近代科 学 も自然の「対象化」によって成立した。 ユークリッド 幾何学の父とされ古代ギリシアの数学者。 「幾何学」とは図形や空間の性質を探究する 語句
学問で、「平行線は交わらない」などの公理 (論証の出発点となる自明なこと)から組み 立てられたユークリッド幾何学で、日常 空 間については無理なく説明できる。
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その裏返しで、暗くてよく見えないものはいかがわしいとされます。隅々
解説 例文において筆者は、 近代建築は「明るい空間」の実現を目指してきた と述べています。たしかに、現代社会で は、明るくてよく見えることが評価され、 まで照明がいきわたり、どこも同じ明るであることは、 空間の均質化 を推し進めるうえでも重要な役割を果たし ていす。 しかし、筆者はそれによって近代の空間は「深さの次元」を失ったと指摘しています。 日本では古来、影が醸し 出す奥行きに趣深さを感じ取り、それを「幽玄」と名づけて評価してきました。 「幽玄」を特に重んじたのが、中 世に能を大成させた世阿弥です。世阿弥は『風姿花伝』におい、能の真髄を「花」に例え、「秘すれば花なり」 と述べています。 大事なことをあえて隠すことで、かえってそれを引き立てる。こうした日本の伝統的な美意識は、近代の均質化 された空間の見直しを図るうえ、大いに資するところがあるでしょう。
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現代文テーマ
基本テーマ
5 については、基本テーマ 「科学」の例文解説で触れました が、本項の「エゴイズム」という近代の負の側面にも関わります ので、掘り下げて解説しましょう。 自分の利益だけを考えて行動すること。利己主義。 エゴイズム 9 基 本 近代に成立した、 主体的で強い個人のあり方である「近代的自
我」 「近代的自我」の成立は、「近代哲学の祖」と呼ばれるデカルト の知的営みにさかのぼります。デカルトが探究したのは、疑いよ
このように徹底的に疑って、デカルトは絶対に疑いえない真理 を発見します。それは「う(考える)私」です。べてが疑わ
法をとりました。これを方法的懐疑と言います。世間の常識も、 身体の感覚も疑わしい、しまいには、2+3=5という自明に思 える数式さえも疑いまた。
うのない絶対確実な真理です。そして、そのような真理にたどり つくために、少しでも疑わしいものは真理とみなさないという方
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10 しくとも、間違いなく「疑う(考える)私」は存在している。こ れを端的に表現したのが、著書『方法序説』 にある有名な言葉 「我 思う、ゆえに我あり」 です。そして、 他の何者にも頼ることなく、 自らの理性で考え抜くことに「私」の存在根拠を求める「近代的 自我」 が産声を上げました。 しかし、重要語 「アイデンティティ」で説明したとおり、私 たちは他者との関係に支えられて存在しているのであり、さらに 言えば、その背後には先人が築いた歴史や文化広がっていまし
2 た。 そうしたものから切り離されれば、「私」はただの根無し草 です。内面から湧き上がる欲望に歯止めが利かなくなります。 それが、「エゴイズム」という近代の負の側面と言えるでしょう。 基本テーマ 「言語 ②」の例文解説で、夏目漱石に言及しま
した。イギリス留学での経験から己本位の生き方を求め漱石 は、一方でその危うさにも気づいていて、だからこそ、自己の内 面に巣食うエゴイズムを見つける作品を発表し続けたのです。
現代文テーマ
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基本テーマ
34 第一義的 「一義」には「最も根本的な意義」と「一つ だけの意味」という二つの意味があったが、 ここでは前者の意味で用いられている。 (P 参照) 選択されることに なった。「安楽」が第一義的な追求目標になったということ はそういうことであり、 「安楽への隷属状態」が現れて来た というのも又そのことを指している。 (藤田省三『全体主義の時代経験』) 語句 〈例文〉 205 隷属 他の支配を受けて言いなりになること。 (P 参照)
対極 ある立場から見て、比較対象が正反対で あ ること。 今日の社会は、 不快の源そのものを追放しよう とする結 果、不快のない状態としての「安楽」す 括弧つきの唯々一面的な「安楽」を優先 することとなった。それは、不快の対極 快と共存している快楽や安らぎとは全く 異なった不快の欠 如態なのである。そして、人 生の中にある色々な価値 が、 そういう欠如態としての「安」に対し てどれだけ貢献で きるものであるかということだけで取捨
として生体内で不
なわちどこまでも
的価値として追求
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解説 何を言っても話が合わない、何をしても 癇 かん に 障 さわ るという人は、誰にでも一人や二人はいるものです。そうした人 に対しては、挨拶だけは欠かさずして、できる限り相手の言い分を聞いて穏便に事を収めるというのが、大人の付 き合い方です。例文で言う「生体内で不快と共存している快楽や安らぎ」というのが、これにあたるでしょう。 そうではなく、論破して相手を完全に言い負かす、 在自体を無視するというのは、 「不快のない状態としての『安 楽』」 を求めるものです。嫌な相手を消し去れば、不快から解放されるように思えます 。しかし、実際にはどうでしょ うか? 一人を消したら、アイツも、そのまたアイツもと、際限がなくなります。あるいは、自分が誰かに無視さ れる恐怖に襲われるかもしれません。 「煩悩」という言葉を聞いたことがあると思います。仏教において説かれる、自己に執着して欲望にとらわれる 心のことです。 煩悩は、ある欲望を満たしても解消されません。あれもほしい、これもほしいと、かえって煩悩の 炎は燃え盛りま 同様に、ある「不快のない状態としての『安楽』」を手に入れても、それで心が安らぐことは ありません。 例文の筆者である思想家の藤田省三氏は例文の別の箇所で、この状態を「安らぎを失った『安楽』という前古未 曾有の逆説」と的確に表現しています。自分のことか考えないエゴイズムの、行き着く先と言えるでしょう。
87 基本テーマ
現代文テーマ
基本テーマ
10 基 本 前項で、近代哲学の祖であるデカルトは、あらゆるものを疑い 抜いた結果、「考える(疑う)私」という絶対に疑いえない真理 を発見したと説明しました。デカルトは、理性によって考るこ とに「私」の存在根拠を見出したわけで、 人間は理性的な生き物 物心二元論では捉えきれない身体。 身体
らこそ、物体としての自然を対象化し、因果法則にしたがって運 動しているとみなす(機械論的自然観)ことも可能なのです。こ のような精神と物体の捉え方を、 物心二元論(心身二元論) と言
であるというのは、西洋近代の根本的な人間観となります。 ところで、そのように考える精神としての心を重視する立場か らは、物体としての身体はどのように捉えられるでしょうか? デカルトは、思惟(考えること)を本質とする精神と、 延長(空
間的な広がりを持つこと)を本質とする物体は、それぞれ独立し た実体であると考えました。精神と物体は無関係である。だか
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89 基本テーマ
考えてみると、私の身体は私にとって不思議な立ち現れ方をし ます。心臓や消化器官私の身体であるのに自由に動かこが できません(手足もそうですね)。背中は私が直接見ることはで きず、むしろ、他者に見られることによって初めて意識されます。 無理なダイエットなどに走ってしまうのも、思い通りにらない 私の身体をコントロールしたいという、無意識的な欲求の現れと 言えるかもしれません。 このように、 身体は近代の物心二元論では捉えることができま せん。 そして、捉えらないからこそ、近代のあり方に見直しを 迫るテーマと 身体は入試現代文でも繰り返し問わるので す。
います。 しかし、精神としての心と物体としての身体とは、完全な別物 だと言いきれるでしょうか? 例えば、精神的な不調が身体の症 状に現れたりしますよね。あるいは、嬉しいときに自然と涙が流 れ、恥ずかしいときに顔が赤くなるように、感情は身体で表現さ れます。 両者は本来、不可分の関係にある のです。
現代文テーマ
基本テーマ
90 意図的 ある目的をもって、わざとそうするさま。 語句 身体の独自性は、なによりもまずそれが その姿が不透明に して姿を現すこと になる。リハビリ マッチ箱を動かすようにし て、 として、こ 〈例文〉 いて透明であるという点に存している。 が意図的になされ場合に、たとえばリ において意図的に腕を上げるような場合 透明 例文では「意識されない」という意味で 用 いられている。
の腕をもち上げる のである。 (野矢茂樹『哲学・航海日誌』)
リハビリテーシ ョン 人間らしく、自分らしく生きるのに必要な、 本来あるべき機能や権 利を回復すること。 一般的に言う、患者や怪我人が身体機能 の 回復を図る「リハビリ」とは、「医学的リハ ビリテーション」のことである。 体動作が意識的になされ、ふだん透明 現れてくるだろう。しかし、身体はそう によって、かえってマッチ箱と同じ身分 テーションにおいて私は、 いや、 マッチ箱よりも意のままにならないもの
ハビリテーション
身体動作そのもの
には、なるほど身
意図的行為にお
解説 例えば、「初めて自転車に乗ることができたとき」を思い出してみてください(乗れない人は、乗れる人と自分 との違いを考えてみましょう)。乗れるようになる前というのは、右、左とどういうタイミングでペダルを漕げば よいか分からず、車体の後ろを誰かに押さえていてもらわなと、バランスを失って倒れてしまいます。 しかし、ぎこちないながらも順番にペダルを漕げるようになり、気づくと後ろで 支えていた人の手が離れている。 その後は、足の動かし方や手でのバランスの取り方を意識しなくても、鼻歌まじ りで乗りこなせるようになります。
できなかったときには意識されていた身体が、できるようになると意識されなくなる。それとは反対のことが、 例文で筆者が取り上げているリハビリテーショの場面では起こっていると言えるでしょう。体調が良くないとき なども同様です。 身体は「マッチ箱と同じ身分」になる、つまり、身体が物体であるということが意識され、異物 のように立ち現れる のです。 しかし、スプーンすくって食べることもままならなかった赤ちゃんのころを考えると、身体とはもともと異物 であるという方が正しいのかもしれません。 意のままに動かせない身体を意識せずとも動かせるようにするため、 私たちは「型」を覚えます。 箸の使い方も「型」、剣道の構えも「型」です。 「型」を身につけることで、物体とし ての身体は私の身体になるとも言えます。 これほどまでに不思議な立ち現れ方をる身体を、近代の物心二元論の枠組みで捉え ないことは、 もはや明らかでしょう。心と身体は別物ではありません。むしろ、両者の関係こそが問われています。
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現代文テーマ
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第3章 現代文テーマ
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① 家族 ② 共同体 ③ 世間 / 社会 ④ グローバリズム / ナショナリズム ⑤ 権力 ⑥ マスメディア ⑦ 記号 ⑧ 消費社会
⑨ 自由 ⑩ 他者
1 発 展 「家族」と言うと、両親に一人っ子か兄弟姉妹という構成をイ メージすると思いますが、このような家族のあり方(核家族)は、 けっして自明のものではなく戦後の高度経済成長とともに形成 されたものです。 〈愛〉で結ばれているという幻想。 家族
戦前は、祖父母におじやおばなども生活を共にする大家族(複 合家族)が一般的であり、家長(父または祖父)命令や意向に 家族の者は従わなければなませんでした。 これ 封建的イエ (家)制度 と言います。個人の自由よりも、家業や家産の維持の 方が優先されたのです。
それが、戦後の高度成長期を迎えると、若者が故郷の地方から 大都市圏に出て職業につき、伴侶を得て、生まれた子どもと共に 郊外に住むようになります。 一組の夫婦と未婚の子からなる家族 である、核家族の誕生 です。
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そして今、高齢者の孤独死や家庭内での児童虐待などの問題を 見るにつけ、家族そのものが壊れつつあると言えるかもしれませ ん。 家族というのは、第一義的に相互扶助の組織であって、先天 的に〈愛〉で結ばれていると考えるのは幻想です。 むしろ、親の 手伝いをしたり、看病や介護をしたりしながら、〈愛〉を深めて いると言うべきでしょう。
核家族において、子どもは親の束縛から解放されて、自由を手 に入れたかのように思えます。 しかし、それは個人としての自立 を意味してはいません。 むしろ、最終的には親が面倒を見てくれ るという甘えがあり、それが、社会的引きこもりやニート生み 出す要因であると考えられます。
家族では何もできなくなったところに、さまざまな問題が生じて います。人ひとりでは生きていけない。だから家族はある。そ うした根本的な部分から、家族を見直す必要に迫られています。
大家族から核家族へ、容れ物として小さくなる中で、族が果 たしうる機能も縮小されてきました。医療も介護も教育も外部の サービスに委ねる、 家族機能の外部化 です。それが極限まで進み、
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かつてある社会学者は次のような指摘をしたことがある。 家族という集団は「あれは、やっぱり、こうしておこうね」 というようなナンセンスな言葉で用が足 りるほど濃い液体 でみたされているものであって、もし言 葉が必要な事態が 発生したらまったく無力である、と。い かにも生活実感を なぞったようにみえるこの指摘は、いま や牧歌性すら感じ させるかもしれない。それほどに 家族のあり方が関心の集 中点となり、切実に言葉が必要な事態が 生じている のであ る。そして、その「事態」は、家族の無力さよりもむしろ、 このような指摘そのものの無力と虚偽性 を明らかにせずに おかない。 (市村弘正『小さなものの諸形態』) 語句 〈例文〉
199 虚偽 真実ではないのに、真実であるかのよう に 見せかけること。
ナンセンス 意味のないこと。また、そのさま。 牧歌性 牧人や農民の生活を詠った牧歌のように 素 朴である性質。 「牧歌的」については P 参照。
社会学 人間がつくり上げている社会で生じてい る 問題や現象について、統計などに基づい て 分析する学問。
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こうした日本と西洋における家族間の人間関係の違は、家のあり方にも現れています。日本では、玄関を開け て家の中に入ればもうプライベートな空間です。居間でゴロゴロできす。これに対て、西洋では、個室を出た ら屋外と同じです。きちんとした身なりが求められます。つまり、 内と外の境界が、日本と西洋とでは異なる のです。 西洋のあり方が絶対的に正しいわけではありませんが、 家族の見直しが求められる中で、個人としての自立とい うことも、課題言えるでしょう。
解説 かつてのホームドラマでは、父親が「おい」「あれ」と目も合わさずに言うと、母親は黙ってお茶を持ってくる という場面がよく出てきました。言葉を必要としないほど、「濃い液体でみたされている」ということが象徴的に 表現されています。逆に、そのような場面見なくなったというのは、それだけ家族間の人間関係が希薄化してい るとも言えます。 ところで、言葉を必要としないほど濃密な、というよりも ベッタリした家族間の人間関係というのは、あくまで も日本的なもの であって、西洋では異なります。西洋社会では、子どもであっても個人であると いうのが前提です。 主体的で強い個人あり方を「近代的自我」と言いました (基本テーマ9「エゴイズム」参照) 。それは、 親子であっ ても他人である ということです。ですから、言わなくても分かってもらえるなどという甘えはなく、言うべきこと はきちんと言います。
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2 発 展 前項では、現代社会では家族がその規模を縮小させるとともに、 教育・介護など、本来は家族が担ってきた機能も縮小させている と説明しました。そのような背景があり、家族に関わるさまざま な問題が噴出しています。 濃密な人間関係から切り離された「孤独な群衆」 。 共同体
しかし、家族はそれらの機能を何ものにも頼らず果たしてきた のではありません。例えば、子どもや高齢者の様子を近隣の人た ちが見守るといったように、 家族は孤立していたではなく、地 域の共同体(コミュニティ)支えられていました。 一人暮らし
の高齢者が孤独死して発見されるでに数日かかるといった悲し いニュースに触れるにつけ、弱体化ているのは家族だけではな く、家族を支えるコミュニティも同様であると考えるべきでしょ う。 現代社会は 大衆社会 であると言われます。「大衆」とは、組織
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されていない匿名的な人々の群れのことで す。地域のコミュニ ティに属する人たちには、共同体意識があり、濃密な人間関係が 築かれていました。しかし、 都市化の進行とともにそのような意 識や人間関係は失われました。 マンションなどでは、隣の部屋に 住む人の顔も見たことがないということが少なくありません。 こうした 現代社会の大衆は、他者との連帯感を失っているがゆ えに不安で、かえって人目を気にして同調したがる傾向が す。 アメリカの社会学者リースマンは、人間の社会的性格を、慣 習を重んじる伝統指向型・個人の価値観を大切にする内部指向型 ・
外部の評価を基準に行動する他人指向型の三つに分類 現代人 は他人の承認を強く求める他指向型が支配的である指摘しま した。著書名はその名も『孤独な群衆』です。 リアルな人間関係が薄れる中で、SNS上のコミュニティはそ の代替となるのでしょうか? どんなに「いいね」をもらっても 心は満たされず、かえって承認欲求が強まって苦しくなるという 逆説 は、皆さんも身をもって感じていると思いま。
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発展テーマ
171 桎梏 手かせ足かせ。転じて、自由な行動を束 縛 するもの。 (P 参照) 語句 原子論 「原子」とは、それ以上分割できない最小単 位のこと。この世界が原子から構成され て いるとする説を「原子論」と言う。 こく から脱出 させ、それまでの地域性や歴史性から自 束した。つまり人間個人から特殊な諸特 子のように単独の存在として遊離させ、 規則や法則に従っ てはたらく存在として捉え るのだ。こうした個人概念 は、 たしかに近代的な個人の自由をもたらし 、人権の概念を準 で解放された個人は、 失った根無し草で しがちな存在であ 〈例文〉 近代の人間観は原子論的であり、近代的 体の である。近代社会は、個人を伝統的共同 桎 梏 しっ
る。
あり、誰とも区別のつかない個性を喪失
備し。 しかし、 近代社会に出現した自由 同時に、ある意味でアイデンティティを
由な主体として約
徴を取り除き、原
な自然観と同型
(河野哲也『意識は実在しない』)
46 ィ 自分が自分であることに対して確信が持 て ること。己同一性。 (P 参照) アイデンティテ
人権 人として生まれながらにして持つ、生き て いくのに必要不可欠な権利。自由権・社 会 権など。日本国憲法では「基本的人権」 と 記されている。
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5 解説 例文の冒頭にある「近代的な自然観」とは、基本テーマ 「科学」で見た「機械論的自然観」のことです。自然 界に存在する物体は神の摂理によって意味が与えられてはおらず、運動法則に従って同じ大きさ・同じ重さ・同じ 反発係数のボールは同じ運動をするわけですから、「原子論」は「機械論」の言 い換えであると理解できます。 筆者は、 「近代の人間観」もまた「原子論」的であると言います。近代において、 個人は「伝統的共同体」のウェッ トな人間関係から解放され、 「主体的な自由」を手に入れました。 「近代的自我」とは、 「地域性や歴史性」といった 「特 殊な諸特徴を取り除き、原子のように単独の存在」となることで成立したもの なのです。 しかし、それで「自由」と言えるのでしょうか? 例文には、「規則や法則に従ってはたらく」とあります。自 然界の物体が運動法則に従うように、私たちも社会ルールに逆らうことはできません。しかも、そのルールは社 会的に多数を占める者を標準として定められています。 近代社会の「自由」は、 その標準から逸脱するマイノリティ (社会的少数者)を排除している のです。
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