みんゴロ古文読解

第二部 7 和泉式部といふ人こそ、 おもしろう 書きかはしける。 、うちとけて 口にまかせたることどもに、かなら 合に、その方面の才能のある人ですから、 言葉にも 魅力 が感じられる ようです そう情趣があることですよ。歌知識や歌の 理論 な どでは本格的な歌人というわけで はありませんが 、 いいたいままに詠んだのに、必ず情趣のある一節 で人目をひくものが詠み添えてあります。そほど の歌を詠む人 さえ 、人の詠んだ よな 歌について 非難し、 批評 してる としたら 、さあ、それほどま で歌道を理解しているとは思えません。口を衝いて 自然と歌が出てくるようだと思える歌風でしょう よ。 こちらが恥ずかしくなるほど立派 な歌人だとは 紫 むらさき 式 し き 部 ぶ 日 に っ 記 き 作者 紫 むらさき 式 しき 部 ぶ 日記 平安時代中期 されど、和泉は けしからぬ かた こそあれ ふみ はしり書きたるに、そのかたの 才 ざえ ある人、 はかない 。歌はいとをかしきこと。 、まことの歌よみざまに こそ侍らざめれ に 和泉式部という人は、 のです。そうだけれども、和泉式部には 面 はあるものの 。歌はたい 趣深く 、気楽に文を走り書きした場 ちょっと した

文 言葉の にほひ も見え侍る めり ものおぼえ、うたの ことわり ずをかしき一ふしの目にとる 詠 よ み添へ侍り。それ だ 、人の詠みたら む 歌、難じ ことわり ゐたら むは 、い でやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりと ぞ見えたるすぢに侍るかし。 恥づかしげ の歌よみやと はおぼえ侍らず。丹波の 守 かみ の北の方をば、宮、殿など のわたりには、 匡 まさ 衡 ひら 衛門とぞいひ侍る。ことに やむご

しない 思えません。丹波の守〔=大江匡衡〕の奥方を、中 宮彰子様や殿〔=道長〕のお邸あたりでは匡衡衛門 と申しております。この人は特に 優秀である という

手紙の交換をしたも 不倫で感心

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