みんゴロ古文読解
第二部 10 上 の その道を得たまへれば、下も自ら とき を知る な 、男も女も、この 増 ま す 鏡 かがみ 作者 二 に 条 じょう 良 よし 基 もと が その道を心得ていらっしゃるので、臣下も自 を知るという 世の中の習慣によるのであろ 時勢 上 うか 、男も女も、この帝の御代にあたって、優れた 歌人が多く 評判になりました その中に、宮内卿の君 と言った人は、村上帝の末裔で、俊房の左大臣と 申 し上げた 人の 御子孫 なので元来は 高貴な家柄の 人 であるけれども、祖父、父と官職が低く続いて、四 位ほどで 亡くな てしまった人の子である。まだと ても若い年齢で、 限りなく 深い風情ばかり詠んだの は、たいそう めったにないほどすぐれている とで 歴史物語 南北朝時代 らひにや よ に当たりて、よき歌詠 み多く 聞こえはべりし 中に、宮内卿の君といひしは、 村上の帝の御後に俊房の左の大臣と 聞こえし 人の 御 御 代 すゑ なれば、はやうは あて 人なれど、官浅くてうち続き、 四位ばかりにて 失せ にし人の子なり。まだいと若き 齢 よはひ にて、 そこひもなく 深き心ばへをのみ詠みしこそ、い と ありがたく はべりけれ。この千五百番の歌合のとき、 つかうまつれ よ。」と仰せらるるに、 末 み 院の上のたまふやう、「こたみは、皆世に 許 ゆ り たる古き 道のもどもなり。宮内は まだしかる べけれども、 け しうはあらず と見ゆ めれ ばなむ。 かまへて まろが 面 おもて 起 ばかり、よき歌 然と ございました。この千五百番歌合のとき、後鳥羽院 がおっしゃることには、「このたびは、皆、すぐれ た歌人として世間から 認られ た、和歌の道に老練 な者たちである。宮内卿は まだ未熟である だろうが 参加させても 悪くはない と思われる ような ので参加 させたのだ。 必ず 私の 面目が立つ ほど、よい歌を 詠 め よ」とおっしゃったころ顔を赤くして、涙ぐ こす
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