みんゴロ古文出典
1008 確実なものになる様子や、同じく彰子に仕える同僚の女房 (和泉式部や赤染衛門)評などがよく出題される。またライ バル関係にあった中宮定子に仕えた清少納言への寸評もあ る。紫式部は幼い頃から利発で、『 史 し 記 き 』や『 白 はく 氏 し 文 もん 集 じゅう 』など の漢籍を読み進んだ。一方、家庭的にはあまり幸せではな く、中流貴族の藤原 宣 のぶ 孝 たか と遅い結婚をして一女をもうける が、すぐにその夫も死んでしまった。中宮彰子のもとへ出 仕するようになったのは、夫の死後書いていた『 源氏物語 』 が評判となり、時の権力者藤原道長に推薦されたためであ
るらしい。しかし 華やかな宮中での生活になじめないもの を感じる紫式部 は、孤独にさいなまれ苦悩する精神状態を 吐露しつつ、自己の内面を凝視している。
22 位 『紫式部日記』は 平安中期 、寛弘5年( 年)秋から7年 正月までの紫式部の宮仕え記録。当時 藤原道長 が、娘の 中 宮彰子 を一条帝に入内させ摂関政治を行っていたが、紫式 部はその中宮彰子に仕えた。『紫式部日記』の中では、中宮 彰子が一条帝との間に皇子をもうけることで道長の権力が
出題率 1.4 % 紫 むらさき 式 しき 部 ぶ 平安中期 日記 紫 むらさき 式 しき 部 ぶ 日 にっ 記 き
平 安の日記
1108 讃 さぬきの 岐典 す 侍 け 日 にっ 記 き
1073
1059
1010 1004 和 い 泉 ずみ 式 しき 部 ぶ 日 にっ 記 き 紫 むらさきしきぶにっき 式部日記 宮廷生活の記録
935 土 と 佐 さ 日 にっ 記 き 蜻 かげろうにっ 蛉日 記 き 藤原道綱母作 974
更 さらしな 級 日 にっ 記 き 成 じょうじんあじゃりのははのしゅう 尋阿闍梨母集
菅原孝標女作
紀貫之作
(女房名 讃岐典侍)
中宮彰子に仕えた
藤原長子作
122
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