みんゴロ古文出典

易   難 入試 出題箇所を チェック ! 『大鏡』に比べると出題 率は落ちるが、扱って いる時代と人物関係を 知っていると有 利。 上 かみ のその道を得給へれば、 下 しも も おのづから 時を知る習ひにや、男も女も、 この御代にあたりて、よき歌よみ多く聞え侍りし中に、 宮 く 内 ない 卿 きょう の君といひしは、 村上の帝の御後に、 俊 とし 房 ふさ の左の 大 おとど 臣 と 聞え し人の御末なれば、はやうは あて 人なれど、 官 つかさ 浅くて、うち続き四位ばかりにて失せにし人の子なり。まだいと若き 齢 よはひ にて、 そこひもなく深き心ばへをのみ詠みしこそ、いと ありがたく 侍りけれ。 この千五百番の歌合の時、院の上のたまふやう、「こたみは、みな世に 許 ゆ り たる 古き道の者どもなり。宮内卿は まだしかる べけれども、 けしうはあらず と 見 ※ ゆめればなん 。 かまへて まろが 面 おもて 起 お こす ばかり、よき歌つかうまつれ」 と仰せらるるに、面うち赤めて涙ぐみてさぶらひけるけしき、 『 増 ます 鏡 かがみ 』 同志社大学 上に立つお方がある道に優れていらっしゃると、下にいる者も 自然に 時世を知ってその道に熱心になる例であろうか、男も女も こ 御 代 に は 優 れ た 歌 人 が 多 く 評 判 に な り ま し た 中 に、 宮 内 卿 の 君 と い っ た 人 は、 村上天皇の御後裔で、源俊房の左大臣と 申し上げ た方のご子孫であるから、先祖は 高貴な 家柄の人であるが、 官 位 が 低 く て 四 位 の 官 位 だ け で 亡 く な っ て し ま っ た 人 の 子 で あ る。 ま だ た い そ う 若 い 年 齢 で 限りなく深い心持ちだけを歌に詠んだのは、たいそう 珍しいことであり ました。 この千五百番の歌合が行われたとき、後鳥羽院がおっしゃるには、「今回の歌合の歌人たちは、みな世間から歌道の名人と 認められ た 古参の大家たちである。宮内卿はこ らの歌人たちの列に加えるには まだ早い だろうけれども、交えても 別にさしつかえない と 思 わ れ る よ う だ か ら 特 別 に 加 え た の で あ る。 必 ず 私 の 面 目 が り っ ぱ に 立 つ ほ ど、 よ い 歌 を 詠 め 」 とおっしゃったところ、宮内卿の君は顔を紅潮させて、感動のあまり涙ぐんでひかえていた様子は、 DATA FI LE

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