みんゴロ古文出典

易   難 入試 出題箇所を チェック ! 鴨長明の作品では平均 的難易度で、「歌論」 であるところがポイン ト。 すべて歌の姿は、 心 こころ 得 え にくきことにこそ。古き 口 く 伝 でん 髄 ずゐ 脳 なう などにも、 難 かた き ことどもをば 手を取りて教ふばかりに釈したれども、姿に至りては確かに見えたることなし。 いはんや 幽 いう 玄 げん の 体 てい 、まづ名を聞くより まどひ ぬべし。自らもいと心得ぬことなれば、 さだかにいかに申すべしとも覚え侍らねど、よく 境 さかひ に入れる人々の申されし趣は、 詮 せん はただ詞にあらはれぬ 余 よ 情 せい 、姿に見えぬ 景 けい 気 き なるべし。心にも 理 ことわり ふかく詞にも 艶 えん きはまりぬれば、これらの徳は おのづから 備はるにこそ。たとへば、秋の夕暮の 気 け 色 しき は 色もなく声もなし。いづくにいかなる 故 ゆゑ あるべしとも覚えねど、 すずろに 涙こぼるるがごとし。これを 心なき 者は、さらにいみじと思はず、ただ目に見ゆる花・ 紅 も み ぢ 葉 をぞめで侍る。また、よき女のうらめしきことあれど、言葉にはあらはさず、 『 無 む 名 みょう 抄 しょう 』 同志社女子大学 総じて歌の姿というものは、わかりにくいものです。昔の歌の口伝や髄脳(=和歌の法則・奥義を述べた書物)などにも、 難しい 諸事項について 手を取って教えるほどに詳しく説明しているが、歌の姿の問題になると、はっきりと説明しているものはない。 まして幽玄の歌体は、まずその名前を聞くと同時に 途方に暮れる だろう。自分もあまり理解していないことなので、 はっきりとどう申し上げるのがよいかはわからないけれど、深い境地に達している歌人たちが申された幽玄の趣旨は、 要はただ言葉に表現されていない余情、姿には見えず漂う情趣なのだろう。情趣にも真実の道理が深くこもり、表現される言葉にも 優美さ が追求されているので、言葉に表れない余情や姿に見えない情趣という長所は 自然に そなわるものだ。例えば秋の夕暮れの空の様子は、 花とか紅葉とかの色彩もなく鶯とかの声もない。どこにどういう 理由 があるのか理解しえないが、 なんとなく 涙がこぼれるようなものだ。これを 情趣を解する心のない 者は少しもすばらしい趣と思わず、ただ目に見える桜の花、 紅葉ばかりを愛好するのです。また美しい女が恋人に恨みに思うことがあるが、言葉に直接表さず DATA FI LE

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