みんゴロ古文出典

13 343 位 『建礼門院右京大夫集』は 鎌倉初期 、 世紀前半に成立 した自撰家集 。総歌数は約 首。作者の 建礼門院右京大夫 は、平清盛の娘で高倉帝の 中宮 徳 とく 子 こ (後に出家して 建礼門 院 となる)に仕えた。宮仕えは 年というわずかな期間で あったが、その間に彼女の生涯の嘆きの原因となった 平 資 すけ 盛 もり との恋愛 が始まっている宮仕えを終えた後も資盛との 関係は続いていたが、そのころ源平争乱は次第に激しくな り、平氏は窮地に追い込まれていく。西国へ下った恋人資

出題率 出仕し、再び女房生活をすることになるが、このころの記 事は少なく、平家滅亡の悲しみを詠んだ歌が多い。平資盛 との恋愛関係以外では、 藤原 隆 たか 信 のぶ との恋愛贈答歌と、 藤原 俊 とし 成 なり の 九 ここのそじ 十 の賀 に後鳥羽院の仰せで贈り物の服に刺繍をし た場面が印象的。長文の 詞 ことば 書 がき と年代順の配列とによって日 記的な家集となっているのが特徴。 建 けんれいもんいんうきょうの 礼門院右京 大 だいぶしゅう 夫集 弁 べんのないし 内侍日 にっき 記 たまきはる うたたね十 いざよい 六夜日 にっ 記 き 中 なかつかさのないしにっき 務内侍日記 とはずがたり 建礼門院右京大夫作 自撰の私家集 平 たいらのすけもり 資盛 との恋愛を記す。 平家の盛衰を綴ったもの で女性の書いたもう一つの 『平家物語』といわれる。 建礼門院徳子(清盛の娘) に仕える。 藤原俊成女作 後 ご 深 ふか 草 くさ 院 いん 弁 べんの 内 ない 侍 し 作 阿 あ 仏 ぶつ 尼 に 作 阿 あ 仏 ぶつ 尼 に 作 伏 ふし 見 み 院 いん 中 なか 務 つかさ 内 のない 侍 し 作 後深草院二条作 建 けん 礼 れい 門 もん 院 いん 右 う 京 きょうの 大 だい 夫 ぶ 鎌倉前期 私家集 建 けん 礼 れい 門 もん 院 いん 右 う 京 きょうの 大 だい 夫 ぶ 集 しゅう 350 盛は壇ノ浦で戦死し、かつて仕え徳子も出家をして大原 に隠棲してしまう。翌年大原を訪問し作者は変わり果て た建礼門院の姿を見て涙する。この後、作者は 後 ご 鳥 と 羽 ば 院に 6 鎌倉の日記 1219 1259 1280 13C 末 1292 1306 1232頃 1.0 %

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