みんゴロ古文出典
読解ポイント 寿永二年(一一八三年)七月、平家一門は安徳天皇を奉じて都を離 れ、西国へ逃れていった。問題文は一門と共に都落ちする恋人平 資盛と作者建礼門院右京大夫との最後の別れの場面である。 ★ 「 なおぼしそ 」の「な~そ」は丁寧な禁止を表し、「~しない
身ながらおぼえねば、何事も思ひすてて、人のもとへ、『さても』など言ひて文やることなども、 いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、『 なほざりに て聞こえぬ』など な ※ おぼしそ 。よろづ ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほ、とすればもとの心になりぬべきなむ、 いと くちをしき 」と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれむ。ただ涙のほかは 言の葉もなかりしを、つひに秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地何にかはたとへむ。 自分でもわからないので、何事も思い捨てて、都の人の許に『ところで』などと言って手紙を送ることなども、 どこかの浦からはすまいと決心しているが、『 いい加減に思っている から手紙も来ない』などとは決して お思いなさるな 。すべてが、 たった今から、この身とは違った身になるのだと思い込んだが、やはりともすると、元の心のようになってしまうのが、 たいそう 残念だ 」と言ったことを、本当にもっともなこととわたしは聞いていたが、この悲しみを何と言おうか。涙以外の 言葉はなかったのだが、ついに秋の初めのころの、夢の中の夢のようなこと(=資盛の死)を聞いたときの気持ちは何にたとえることができようか。
でください。~するな」と訳す。普通「な~そ」の間には連 用形が入るが、カ変とサ変だけは未然形が入って「なこそ・ な せそ」とな。 建礼門院右京大夫と彼女 の仕えた建礼門院は、尼に なって京都大原の寂 じゃっ 光 こう 院 いん で 晩年を迎えたのです。
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