みんゴロ古文出典
出題率 0.9 % 和 いずみ 泉式 しき 部 ぶ 平安中期 日記 和 い ず 泉 式 しき 部 ぶ 日 にっ 記 き 『和泉式部日記』は 平安中期 、 世紀初頭に成立した日記文 学 。作者の 和泉式部 は、 紫式部 、 赤 あか 染 ぞめ 衛 え 門 もん とともに 中宮彰子 に仕えた女房 。恋多き女性歌人である和泉式部はまず和泉の 守橘道貞と結婚し、 小式部内侍 を生んだ。そのあと、 為 ため 尊 たか 親 王 (冷泉帝の第三皇子)と恋愛関係になるが、為尊親王は疫病 によって 歳の若さで亡くなる。さらに為尊親王の弟 敦 あつ 道 みち 親 王と恋仲になるが、『 和泉式部日記 』 はこの敦道親王 ( 帥 そちのみや 宮 ) と の恋愛期間の約十か月を記した歌物語的な日記文学 。日記は 土 と 佐 さ 日 にっ 記 き 和 い 泉 ずみ 式 しき 部 ぶ 日 にっ 記 き 11 26 平安の日記 1004 み
36 位 恋人であった為尊親王亡き後、悲嘆にくれる和泉式部のもと に、為尊親王に仕えていた童が弟の帥宮の使いで訪れるところ から始まる。やがて二人は恋愛関係になり、和歌の贈答など を通して帥宮は和泉式部の魅力に溺れていく。和泉式部は帥 宮の邸に迎え入れられ、そのために正妻は怒って実家に帰って しまう。しかしその帥宮も 歳の若さで死んでしまい、和泉 式部は傷心のあまり一年間の喪に服し、切々たる追慕の歌を詠 んだ。そのあと 上 じょう 東 とう 門 もん 院 いん (藤原道長の娘、 中宮 彰 しょう 子 し )に出仕し、 それが縁で藤原 保 やす 昌 まさ と結婚し夫とともに赴任国に下っている。 27
1108 1073 1059 1010
935 974 蜻 かげろうにっ 蛉日 記 き 藤原道綱母作
讃 さぬきの 岐典 す 侍 け 日 にっ 記 き
更 さらしな 級 日 にっ 記 き 成 じょうじんあじゃりのははのしゅう 尋阿闍梨母集 菅原孝標女作
紫 むらさきしきぶにっき 式部日記
紀貫之作
称で記す
物語。自分自身を三人
帥宮敦道親王との恋愛
(女房名 讃岐典侍)
藤原長子作
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