みんゴロ古文出典
かかる御 歩 あり きを人々も制し きこゆる うちに、 内 うちの 大 お と ど 殿 、 春 とうぐう 宮 などの聞こしめさむことも 『和泉式部物語』 こうしたお忍び歩きを人々もおとめ 申し上げている うちに、内大臣や皇太子などがお聞きになるとしたら、
読解ポイント 『和泉式部日記』は三人称で書かれているので、 とも言われる。『和泉式部日記』における和泉式部の恋人は冷 泉天皇(精神病を病んでいた)の息子である敦道親王だが、そ の兄為尊親王は和泉式部の元恋人で、すでに亡くなってしまっ ていた。和泉式部と為尊・敦道親王兄弟との恋愛は当時すでに 有名だった。 ★「 さしもやは 」の「やは」は反語。「さしも」の「さ」は指 示の副詞で、前文の内容を指し、正確には「宮はお見えに なるだろうか、いやお見えにはなるまい」と訳す。 恋多き和泉式部は、天才 歌人でもあったのです。 敦道親王とやりとりする 和歌の解釈が勝負 ! ○内大殿―内大臣、藤原公季。 ○春宮―皇太子。
かろがろしう、おぼし つつむ ほどに、いとはるかなり。 軽薄なふるまいと思われるだろうと、気持ちを 慎ん でいなさる間に、長い日数がたってゆくのであった。
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