みんゴロ古文出典

出題率 0.8 % 藤 ふじ 原 わらの 長 なが 子 こ 平安後期 日記 讃 さぬ 岐 きの 典 す 侍 け 日 にっ 記 き 『讃岐典侍日記』は 平安後期 、 世紀前半に成立した日 記文学 。作者は本名を 藤原長子 といい、「讃岐の入道」と呼 ばれた歌人藤原顕綱を父に持つ。 長子は堀河帝の典侍とな り格別の寵愛を受ける が、堀河帝は 歳の若さでこの世を 去る。この典侍という役は、帝に常侍して秘書のような役 割をする内侍司の次官にあたる高級女官。そのころ政治の 実権は父 白河院 が握っていたが、堀河帝は心優しく和歌や 土 と 佐 さ 日 にっ 記 き 和 い 泉 ずみ 式 しき 部 ぶ 日 にっ 記 き 紫 むらさきしきぶにっき 式部日記 37 位 笛に堪能だったので「末代の賢王」と称されていた。日記の 上巻は、堀河帝の発病から悪化をたどる症状を詳細につづ 平安の日記

29 ている。下巻は一年間で、それ以降は記されていないが、 このあと長子は「堀河帝の霊が乗り移った」などと言い出し て精神病的発作を起こしたために、参内を止めらた。

12 り、人間の死に対する恐怖と苦悩と闘争を露骨に克明に描 き出している。下巻は、堀河帝亡き後、堀河帝の子どもで、 幼くして即位した 鳥羽帝 に仕える様子が描かれる。しか し、これは白河院の命でしぶしぶ引き受けたに過ぎず、作 者はことあるごとに 亡き堀河帝を忍ぶ悲しい思い出 を記し

1108 1073 1059 1010 1004

935 974 蜻 かげろうにっ 蛉日 記 き 藤原道綱母作

讃 さぬきの 岐典 す 侍 け 日 にっ 記 き

更 さらしな 級 日 にっ 記 き 成 じょうじんあじゃりのはは 尋阿闍梨母集 のしゅう 母性愛の文学

帝を追慕する

後半は鳥羽帝 に仕え亡き

(女房名 讃岐典侍) での病状と看病の記録、

藤原長子作 堀河帝の発病から崩御ま

菅原孝標女作

紀貫之作

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