みんゴロ古文出典

出題率 0.6 % 46 位 勅撰和歌集 紀 きの 貫 つら 之 ゆき 他 古 こ 今 きん 和 わ 歌 か 集 しゅう 平安前期 今の世の中、色に 付 つ き、人の心、花に成りにけるより、 不 あ だ 実 なる歌、 儚 はかな き言のみ いでくれば、色好みの家に、埋もれ木の、人知れぬ事と成りて、 実 まめ なる所には、 花 薄 すすき 、穂に出すべき事にもあらず成りにたり。その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。 古 いにしへ の世々の帝、春の花の 朝 あした 、秋の月の夜ごとに、 侍 さぶら ふ人々を召して、事に付けつつ、 歌を奉らしめ給ふ。 或 ある は、花を添ふとて、 便りなき 所に 惑ひ 、或は、月を思ふとて、 知るべなき闇に 辿 たど れる心々を見給ひて、 賢 さか し 、 愚かなり と、 知ろし 召 め し けむ。 (中略) 古より、かく伝はる内にも、 平 な ら 城 の御時よりぞ、広まりにける。かの御世や、歌の心を、 知ろし召したりけむ。かの御時に、正三位、柿本人麻呂なむ、歌の 仙 ひじり なりける。これは、君も人も、 身を合せたりと言ふなるべし。秋の夕ベ、 龍 たつ 田 た 河に流るる 紅 もみぢ 葉 をば、帝の御目に、錦と見給ひ、 今の世の中は、うわべだけの美しさに流れ、人の心も華美で浮薄になってしまった結果、内容の乏しい歌、つまらない歌ばかりが あらわれるので、和歌というものが風流人の間だけで埋もれ、人に知られないことになって、まじめな公式の場には、 表立って出すことのできないものになってしまった。和歌の起源を考えると、このようであってはならない。 昔の代々の天皇は、花の咲いた春の朝、秋の月の美しい夜ごとに、侍臣をお召しになって、さまざまなことに託しては、 歌を詠進させなさった。ある時は、花に託して思いを述べるということで、 不案内な 山野を さまよい 、またある時は、月を愛賞するということで、 道案内もない闇の中をさまよった人々の心中をごらんになって、彼らが 賢い か いいかげん かを 判断なさっ たのだろう。 和 歌 は 昔 か ら こ の よ う に 伝 わ る う ち に、 奈 良 時 代 か ら、 普 及 し た。 そ の 時 の 天 皇 は、 歌 の 本 質 を、 深く理解していらっしゃったのだろう。その御代に、正三位柿本人麻呂が、歌の聖であった。これは、天皇も臣下も、 一心同体であったといえるだろう。秋の夕べ、龍田川に流れる紅葉を、天皇の御目には、錦とごらんになり、

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