みんゴロ古文出典

出題率 0.6 % 48 位 1651 ~ 1704 俳人 向 ※ 師 曰く「尚白が難に、 近 あ ふ み 江 は 丹 たん 波 ば にも、行く春は行く歳にも、 ふるべし、といへり。 汝 なんぢ いかゞ聞き侍るや」。 去 きょ 來 らい 曰く「尚白が難あたらず。 湖水 朦 もう 朧 ろう として春を惜しむに便り有るべし。殊に今日の上に侍る」と申す。 先師曰く「 しかり 。古人も此國に春を愛する事、 をさをさ 都におとら ざる 物を」。 去來曰く「此一言心に徹す。行く歳近江にゐ給はゞ、 いかでか 此感 ましまさん 。 行く春丹波にゐまさば、本より此情うかぶまじ。風光の人を感動せしむる事、 眞成る哉」と申す。 先師曰く「汝は去來、共に風雅をかたるべきもの也」と、 殊 こと 更 さら に悅び給ひけり。 ○晩春の一日、琵琶湖のほとりで、近江の人々に一緒に、過ぎ去って行く春を惜しんだことだった。 芭 蕉 亡くなられた先生(=芭蕉)がおっしゃるには、「この句について尚白が非難して、『近江』は『丹波』にも、『行く春』は『行く歳』にも 言いかえられるでしょう、と言っている。おまえはどう思うか」と。わたし(=去来)は答えて、「尚白の非難は不当です。 近江の琵琶湖の水辺がぼんやりと霞んで、春を惜しむのにふさわしい景色といえます。ことにこの句はその場に臨んでの実感を詠んだものです」と申し上げる。 先生が言うには「 そのとおりだ 。昔の人もこの近江の国で春を惜しんだことは、 ほとんど 都の春を惜しむのに劣ら なかっ たのだからなあ」と。 去来が言うことには「そお葉は心に深く銘じました。もし年の暮れに近江においでになったら、 どうして この行く年を惜しむという感慨が おありになりましょうか 。 春の終わりに丹波にいらっしゃったならば、もちろん惜春の情は浮かばないでしょう。自然の景色が人を感動させるということは、 全く本当ですね」と申し上げる。 先生は「去来よ、おまえはともに風雅俳諧を語ることができる者である」と格別にお喜びになった。 むか 井 い 去 きょ 来 らい 江戸 (元禄時代) 行く春を 近江の人と 惜しみけり ばせを 先

○ふるべし―句中の語や素材が置きかえられるだろう。 ○今日の上に侍る―実際、作者体験したことです。

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