みんゴロ古文出典

出題率 0.5 % 494 位 軍記物語 玄 げん 慧 え 他 太 たい 平 へい 記 き 室町前期 (南北朝) 賀 か 茂 も の神主 基 もと 久 ひさ に独りの 女 むすめ あり。容色 嬋 せん 娟 けん の世に勝れたるのみにあらず、小野小町へ 弄 もてあそ びし道を学び、 優 う 婆 ば 塞 そくの 宮 みや の すさみ 給ひし跡を追ひしかば、月の前に 琵 び 琶 は を弾じては傾く影を招き、花の下に歌を詠じては うつろふ 色を悲しめり。 次の文章は、今は天皇と法皇になっている二人が、ともにまだ若い皇子であった頃、一人の女性を争ったことを記したも のである。 賀 茂 神 社 の 神 で あ る 森 基 久 に は 一 人 の 娘 が い た。 容 貌 の 美 し さ が 比 類 な い ば か り か、 小 野 小 町 が たしなんだ和歌の道を学び、『源氏物語』の優娑塞宮(=宇治の八の宮)が 興じ られた琵琶の道を学んだので、月光の下 琵 琶 を 弾 じ て は、 西 空 に 傾 く 月 を 招 き、 桜 花 の 下 で 歌 を 詠 ん で は、 散 り ゆ く 花 を 惜 し ん だ よ う だ。 それゆえ娘の 風流な心 を耳にし、その娘の容貌を見る人すべて、心を悩まさないということはなかった。 その頃、当代の天皇(=後醍醐天皇)はまだ帥宮でいらっしゃって、わび住まいであった。今の法皇(=後伏見法皇)は 伏見法皇の第一皇子で皇太子におなりになるに違いないと 世にもてはやされ ていた。このお二人の宮様方はどんな美しい御簾の隙間から ご覧になったのだろうか、この娘をたいそう気品があり美しいとお心にとめて恋しくお思いになった。しかし 節度に欠ける振る舞いはいかがなものかとお迷いになって、荻の葉に吹き通う風にさえ手紙を託して、刈萱の末葉に されば、その 情け を聞き、その 容 かたち を見る人ごとに、心を悩まさずといふ事なし。 その頃、 当 たう 今 ぎん は、いまだ 帥 そつの 宮 みや にておはしまし、 幽 かす かなる御すまひなり。今の法皇は 伏見院第一の皇子にて、 春 とう 宮 ぐう に立た せ ※ 給ふべしと、 時めきあへ り。この宮々いかなる 玉 たま 簾 だれ の 隙 すき にか 御覧ぜられたりけん、この女いとあでやかに 臈 らふ たけしと御心に懸けてぞ 思 おぼ し召されける。されども、 ひたたけたる御 態 わざ はいかがと思し 煩 わづら ひて、 荻 をぎ の葉に通ふ風の便りにつけ、 刈 かる 萱 かや の末葉に

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