みんゴロ古文出典

出題率 0.5 % 50 位 1657 ~ 172 儒者・ 政治家 新 あら 井 い 白 はく 石 せき 江戸中期 むかし人は、いふべき事あればうちいひて、その余はみだりにものいはず、いふべき事をも、 いかにもことば多からで、其の義を尽したりけり。我が父母にてありし人々もかくぞおはしける。 父にておはせし人のその年七十五になり給ひし時に、傷寒をうれへ、事きれ給ひなんとするに、

医の来りて 独 どく 参 じん 湯 たう をなむすすむべしといふなり。よのつねに人にいましめ給ひしは、「年わかき人は いかにもありなむ。よはひかたぶきし身の、いのち限りある事をもしらで、薬のために いきぐるしきさまして終りぬるはわろし。あひ かまへて 心せよ」と のたまひ しかば、此の事 いかにやあらむといふ人ありしかど、 疾 しつ 喘 ぜん の急なるが、見 まゐらする も こころぐるし といふほどに、 生 しょうがじる 薑汁 にあはせてすすめしに、それよりいき出て給ひて、ついひにその病 愈 い え給ひたりけり。後に母にてありし人の、「いかに、此の程は人にそむきふし給ふのみにて、 昔の人は、言わねばならないことがあればそれを言って、そのほかはやたらに物を言わないで、言わねばならないことをも 決して言葉が多くなくて、その要点を尽くしていた。私の父母であった方々もそのようでいらっしゃった。 父でいらっしゃった方がその年七十五になりなさった時に、激しい熱病にかかって今にも死になさってしまおうとする時に、 医者が来て独参湯を勧めるのがよいと言うのである。父が常日ごろ人にいましめなさっていたことには、「年の若い人は どんなに薬を飲んでもよいだろう。しかし年老いた身が寿命に限りがあることを知らないで、薬のために 息苦しい様子で死んでしまうのはよくはない。 必ず このことに留意せよ」と おっしゃっ たので、この独参湯を父に飲ませることは どうであろうかと言う人がいたけれど、息のせわしい病気で死が差し迫った様子が、見 申し上げる のも 気の毒だ というわけで、 しょうがのはぼり汁に独参湯をまぜて父に勧めたところ、それから生き返ったようにおなりなさって、とうとうその病気が 全快なさってしまったのであった。後に母であった人が、「どうしてこの病気の間は人に背を向けお休みなさるばかりで、

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