みんゴロ古文出典
読解ポイント 松平定信(1758~1829)は江戸後期の大名で奥州白 河の藩主。老中として寛政の改革を行ったが、同時に歌人・ 国学者としてもすぐれていて多くの著作を残したが、中で 随筆『花 か 月 げつ 草 ぞう 紙 し 』は代表作で、花鳥風月・世態人情を流麗な 擬古の雅文で記した。内容的には事に寄せて道理を説いた儒 学的なもが多い。ま自叙伝『宇 う 下 げの 人 ひと 言 こと 』では老中退職ま での政治を詳述してる。 本文は『花月草紙』 出題 : センター試験
掟あれば 黙 もだ しゐしなり。かの浦より魚 販 ひさ ぐと聞きぬ。浦にへだてのあるべきや」とて、 また持ちこしたり。もはやかの里人とどめんやうもなし。ここかしこの浦より持ちこして、 名も知らぬ魚見るはめづらしといひしが、それも常になりにければ、買ふ者もなく、山越えきし魚 多く腐れぬとて、浦々よりはうらみなどいひぬ。その里の若き者らは、こと浦の人々にまじはれば、 昔よりもてきしふりも 違 たが ひつつ、魚なくてはもの食ひしやうにおぼえず、みづから織りてし衣着んは 面 おもて 伏 ぶ せ なりとて、こと物好みぬる ふり となりてければ、富み栄えたる里なりしが、 衰へゆきて、こと里の人々あまた入りくれば、争ひごとも絶えざりしとかや。 決まりがあるので黙っていたのだ。あの浦から人が来て魚を売ると聞いた。浦によって差別があってよいものだろうか、いやよくない」と言って また魚を持って来た。もはやその里の人々は禁止する手立てもない。あちこちの浦々から魚を持って来て、 名も知らない魚は見るのもめずらしいと言っていたが、それもいつものこととなってしまったので、買う者もなくなり、山を越えて持って来た魚の 多くは腐ってしまったと言って、持って来た浦々の人々はうらみ言を言った。その里の若い者たちは、外の浦々の人々と付き合うので、 昔から持っていた生活習憤も変わっていき、魚がなくてはものを食べたような気がせず、自分たちの手で織った着物を着るようなことは、 みっともないこと だと思って、よそで織った着物を好んでしまう 風習 となってしまったので、富み栄えていた里であったが 次第に衰えてゆき、よその里の人々が大勢入って来るので争いごとも絶えなかったとか言うことである。
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