みんゴロ古文出典

226 こ 林 ばやし 一 いっ 茶 さ 江戸後期 (化政) ことし、みちのくの方修行せんと、乞食袋首にかけて、 小 こ 風 ぶ 呂 ろ 敷 しき せなかに負ひたれば、影法師は さながら 西行らしく見えて 殊 しゅ 勝 しょう なる に、心は雪と 墨 すみ 染 ぞめ の 袖 そで と、思へば思へば 入 つ ゆ 梅 晴 ばれ の そらはづかしきに、今更すがた替へるも むつかしく 、卯 うの 花 はな 月 つき 十六日といふ日、久しく 寝 ね 馴 な られたる庵を うしろになして、二、三里歩みしころ、細杖をつくづく思ふに、おのれすでに六十の坂登りつめたれば、 一 いち 期 ご の月も西山にかたぶく命、又ながらへて帰らんことも白川の関をはるばる越ゆる 身なれば、 十 と 府 ふ の 菅 すが 菰 ごも の十に一つも おぼつかなし と案じつづくる程に、ほとんど心細くて、 今年、奥州のほうへ行脚に行こうと思い立って、乞食袋を首にかけ、小風呂敷を背中に負ったところ、影法師は あたかも 西行法師にそっくりで 立派である が、心は雪と墨染の袖ほども違っていると思うと、梅雨晴れの空ではないが、 そら恥ずかしい気持ちだが、今さら俗人の服装に替えるのも めんどうで 、卯花月(=陰暦四月)十六日という日、長い間住みなれた庵を あとにして、二、三里も歩いたころ、細い杖をつきなが、つくづくと思うことには、自分はすでに六十歳の坂を登りつめたので、 一生涯の月も西山に傾くような命(=余命いくばくもない)であり、また命ながらえて帰るようなことも知らず、白川の関をはるばる越える 身であるので、十府の菅菰(=十筋に編んた菅の菰)の十では が、十に一つも命があるかと 不安に 案じつづけているうちに、心細くなって、 家 々 の 鶏 が 時 を 告 げ る 声 も、「 戻 っ て こ い 」 と 呼 ぶ よ う に 聞 こ え、 畠 々 の 麦 に 風 が 吹 く の も、 誰かが自分を招いているように思われて、行く道もなかなか進まなかったので、とある木陰に休んで、痩せた脛をさすりながら 眺めると、故郷の柏原はあの山の向こう、雲がかかっている下のあたりだろうかなどと自然に推測されて、なんとなく名残惜しいので、 出題率 0.4 % 544 位 1763 ~ 1827 俳人 小 家々の 鶏 とり の時を告ぐる声も「とつてかへせ」と呼ぶやうに聞え、畠々の麦に風のそよ吹くも 誰 たれ ぞまねくごとく覚えて、行く道もしきりにすすまざりければ、とある木陰に休らひて 痩 やせ 脛 ずね さすりつつ 眺むるに、 柏 かしは 原 はら はあの山の外、雲のかかれる下あたりなど、おしはから れ ※ て、何となく名残をしさに、

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