みんゴロ古文出典

出題率 0.4 % 55 位 1697 ~ 17 国学者・ 歌人 賀 か 茂 もの 真 ま 淵 ぶち 江戸中期 人を鳥獣にことなりといふは、人の方にて 我ぼめ にいひて、外を侮るものなり。凡そ天地の際に 生きとし生けるものはみな虫ならずや。それが中に、人のみいかで貴く、人のみ いかなることあるにや、万物の霊とかいひていと人を貴めるを、おのれが思ふに、 人は万物の あしきもの とぞいふべき。 (中略) 生きているすべてのものは、みな虫のように微小な存在ではないか。その中で、人間だけが貴いとして、人間だけを 特別視するいわれなどどこにあろうか。万物の霊長とか言って、とても人間を貴んでいるが、私が思うには、 人は万物の中で 悪者 と言うべきだ。 ある人が、わが国の昔には仁義礼智 という 実態がなかったので、そのような和語もないとしてたいそう卑しいことと

ある人、この国の 古 いにし へに仁義礼智 てふ ことなければさる和語もなしとて、いといやしきことゝ せるは まだしかり けり。まづ 唐 から 国 くに にこのことを立て、それに違ふを悪しとしあへりけむ。 凡そ天が下にこのことはおづからあること、四時をなせるがごとし。天が下のいづこにか さる心なからむや。されども、その四時を行ふに、春も 漸 やうや くにしてのどけき春となり、夏も漸くにして あつき夏とれるがごとく、天地の行は丸く漸くにして至るを、唐人の言のごとくならば、春立てば 人が鳥や獣と違うというのは、人間の方の うぬぼれ であり、他の生き物を軽侮するものだ。だいたい大地の間の しているのは 不十分な考え方 だ。まず唐の国において仁義礼智ということを立てて、それに合致しないものを悪いこととしあっていたのだろう。 大体天下にこの仁義礼智が人間に自然に備わっていることは、一年に四季が自然にあるようなものだ。天下のどこに そのような心がないと言えようか。しかしその四季の運行に当たって、春も次第にのどかな春となり夏も次第に 暑い夏となってゆくように、天地の運行は丸く次第になっていくのに、唐人の言う通りならば、立春になると

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