みんゴロ古文出典

出題率 0.4 % 56 位 世俗説話 藤 ふじ 原 わらの 成 しげ 範 のり か 唐 から 物 もの 語 がたり 平安末期か 次の文は『唐物語』の一節で、美しい妻を愛する夫が死に、その妻が悲しみにくれる場面である。 かかるほどに、この男、病に わづらひ てのち、いくほどなくて、つひに はかなくなり ぬ。女の 気 け 色 しき 、 あるにもあらぬ 心地して、かなしさのあまりにや、命もたえぬとぞ見えける。よそに見る人さへ、 いと はしたなき ほどに覚えけり。月日はあらたまれども、別れの涙はかわく時なかりけり。 父母、 「 い ※ かにして忘るる草の種をとり てしがな 」と思へど、 さらに かなふべくも見え ず 。この時に、

おなじさとに住みける 郭 くわく 奕 えき といふ人、世にとりていやしからず。時にもちゐられたり。この男、 思ひのほかに、としごろ住みわたりける妻、はかなくなりて、嘆きやうやう おこたる ほどに、 この女を「あはれ い ※ かでか 」と思ふにたへぬ気色、 色 に出でぬ。これによりて、父母、わづらひなく 許してけり。この女、「かなし」と思ひて、さまざまに、あるまじきよしを そうしているうちに、この男は 病気になっ て、それから間もないうちに、とうとう 亡くなってしまっ た。女の様子は、 生きていても死んでいるような 気持ちで、悲しみのあまりにであろうか、命も絶えてしまうと見えた。そばで見ている人でさえ、 本 当 に 見 て い ら れ な い く ら い に 思 わ れ た。 月 日 は 移 っ て ゆ く が、 男 と の 別 れ の 涙 は 乾 く 時 も な か っ た。 父母は「どうにかして悲しみを忘れる忘れ草の種を取り たいものだ 」と思い、いろいろ試してみたが、 まったく かなうように思われ ない 。このとき、 同じ里に住んでいた郭奕という人は、当時身分も賤しくない。時流にのり重く用いられていた。この男は、 思 い も か け ず 長 年 連 れ 添 っ た 妻 が、 亡 く な っ て、 嘆 き が よ う や く 快 方 に 向 か う こ ろ で、 この女を「ああ、 何とかして 妻にしたい」という思いに耐えぬ様子が、 顔 に表れた。それで、女の父母は、悩むことなく 娘との再婚を許してしまった。この女は、「悲しいこと」と思って、いろいろと、結婚するつもりがないことを

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