みんゴロ古文出典
出題率 0.3 % 59 位 1716 ~ 1783 俳人・画家 与 よ 謝 さ 蕪 ぶ 村 そん 江戸中期 (天明) ある夜、春の まうけ に、美しき衣をたち縫ひてありけるが、夜いたくふけにたれば、家子どもは みな許しつねぶらせたり。我ひとり一間に引きこもり、 くまぐま かたがたとざし、 つゆ うかがふべき 仮 かげき 隙 も なく して、ともし火あきらかにかかげつゝ、心しづかにもの縫ひてありけり。 漏 ろう 刻 こく 声しただり、 やゝ 丑 うし 三つ ならんとおもふ をりふし 、老いさらぼひたる狐のゆらゆらと尾を引きて、五ツ六ツ うち連れだちて、ひざのもとを過ぎ行く。もとより妻戸・さうじ、かたくいましめあれば、 いささかの 虚 きょ 白 はく だにあらねば、いとこころえずいづくより 鑽 きり 入 い るべき。いとあやしくて、 めかれ もせず まもり ゐたるに、広野などの 碍 さゆ るものなきところをゆきかふさまにて、やがて かき 消 け つごとく出でさりぬ。 阿 お 満 みつ は さまで おとろしともおぼえず、はじめのごとく 物縫うてありけるとぞ。あくる日かの家に とぶらひ て、いかにや、あるじの帰り給ふことのおそくて、 ある夜、正月の 用意 に美しい衣装を作るため、阿満は布を裁ち縫っていたが、夜がたいそう更けてしまったので、家の下男下女たちは 皆許して早く休ませてやった。そして自分一人は一間に引き籠もり、部屋の 隅々 あちこちを閉め切り、 どこにも 忍び込めるような 隙 間 も な い よ う に し て、灯 火 を 明 る く 掲 げ た ま ま 心 静 か に 縫 い 物 を し て い た。水 時 計 の 落 ち る 音 が し て、 「ようやく 午前二時半頃 か」と思う ちょうどそのとき 、老いてやせ衰えた狐がゆらゆらと尾を引き、五、六匹が 連れ立って、阿満のひざもとを通り過ぎて行く。言うまでもなく妻戸・障子は、かたく閉め切ってあるから、 少しの隙間さえないので、まったく事情が理解できずに、「いったいどこから侵入できるのだろうか」と考える。たいそう不思議に思って 目も離さ ず 見守っ ていたところ、その狐たちは広野などのさえぎるもののない所を、往き来するようなふうで、そのうち か き 消 す よ う に 出 て 行 っ て し ま っ た。 阿 満 は そ れ ほ ど 恐 ろ し い と も 思 わ ず、 は じ め の よ う に 縫い物をしていたとかいうことである。翌日私はその家を 見舞っ て、「どうですか、ご主人のお帰りが遅くて、
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