みんゴロ古文出典

出題率 0.3 % 64 位位 日記 成 じょう 尋 じん 阿 あ 闍 じゃ 梨 りの 母 はは 成 じょう 尋 じん 阿 あ 闍 じゃ 梨 りの 母 ははの 集 しゅう 平安後期 成尋阿闍梨の母が渡 と 宋 そう する我が子(成尋)と離別した後の気持ちを述べた一節である。 よろづにつけて恋しく、 などて 、ただ、 いみじき 声を出だして泣き惑ひても、控へとどめ 聞こえずなりにけんと、悔しうぞ。日ごろ仏に申すは、「いたく な 思ひ泣かせ給ひ そ 」と のたまひし しるし に、仏、惑ひて出だしやり奉りたるなめりとぞ 心憂く 覚ゆる。 「いかにも、かならず まうで来 て、おはしおはせず見んとす」と言ひ置かれし。 はるかにと たち別れにし 唐衣 きて見るまでは 経 ふ べきわが身か ただ夜昼泣くよりほかのことなくて、涙のみぞ尽きせぬ身を知るたぐひにて暮らし明かさるる。 言 ※ ふかひも なみだの川に 沈みたる 身をば 誰 たれ かは 深くたづねん はかなくて過ぐる月日ぞ。我ひとりが おぼつかなさ に、渡りやし給ひにけん、まだ 筑 つく 紫 し に 万事につけて我が子、成尋が恋しく、 どうして 、ただ一途に、 恐ろしい 声をあげて泣き取り乱しても、お引きとどめ 申し上げなかったのであろう か と、悔しく思われる。平生、仏に祈り申しあげることには、「成尋を思って泣かせくださる な 」と 成尋がおっしゃった 霊験 として、仏は、悩んで宋の国へとお出しやり申したのであるようだと、 つらく 思われる。 成尋は「なんとかして、必ず 帰参し て、母がご存命でいらっしゃるか否かを見ましょう」と言い置かれたことよ。 ○はるか遠くへと、別れたあの子が、唐衣を着て、無事に帰って来るのを見るまでは 生き長らえ られる我が身であろうか。 ただもう夜も昼も泣くよりほかのこともなくて、涙ばかりが尽きることのない身 知 仲間のようにして、日々暮らし明かされる。 ○言いようもなく流れる涙の川の中に沈んでいる我が身を、いったい誰が、親しく訪ねてくれようか。 はかなく過ぎ去る月日であることよ。私ひとりが 頼りなく不安である 上に、あの子はすでに宋へ渡りなさったであろうか、まだ筑紫に

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