みんゴロ古文出典

「金吾は

出題率 0.3 % 65 位 1571 ~ 163 俳人・歌人 松 まつ 永 なが 貞 てい 徳 とく 江戸前期 基 もと 俊 とし の歌見知り給ひたるよしを憎み、ある腹黒き者、 『後撰集』 の歌を 『無名抄』に鴨長明 の ※ のせ ら ※ れ たり。この腹黒き者よりも、長明の心根あさましく、また歌道の本理を 知らざるやうに見えて、かへりて恥をかかるるなり。たとへば一集をえらぶは、一瓶の 立 りつ 花 か のごとし。 花を立つるとて、花ばかりをば立てず。さしもなき草木の枝の、あるいは細く太き、あるいは 長く短きを、それぞれにくばりて 用 もち ふといへり。その立花をくづして、花なき枯木の 上 ほ 枝 つえ などばかり、 一つ二つづつ持ちて、これをも花瓶より出でたればとて、花とするがごし。『後撰集』なればとて みなよきならんと定むるは、まづその者の ひがごと なり。秀歌といふ物あるにつきて、よからぬ歌も 藤原基俊が歌に通じておられるのを憎んで、ある腹黒い人物が、『後撰集』の中のよくない歌で人の知らぬ歌を、 自 分 の 作 品 の 中 に 混 ぜ て、 批 評 を 乞 う た と こ ろ、 何 気 な く 批 判 し て 返 さ れ る と、 そ の 者 は 喜 ん で 手をたたき、「金吾殿は梨壷の五人より上手と見える。『後撰集』の歌を 批判し た」と言って、世間に 悪口を ふれ回っ たと、 『 無 名 抄 』に 鴨 長 明 が 記 し な さ っ た。そ の 腹 黒 い 者 よ り も、長 明 の 心 底 が あ さ ま し く、ま た 歌 道 の 真 理 を 知らないように見えて、かえって恥をかかれたのである。例えば一つの集を選ぶのは一瓶の立花のようなものだ。 花 を 立 て る 場 合、 花 ば か り を 立 て ず、 つ ま ら な い 草 木 の 枝 で、 あ る い は 細 い も の 太 い も の、 あ る い は 長いもの短いものを、それぞれに配し用いるということだ。その立花をくずして、花のない枯木の端ばかり 一つ二つずつ持って、これも花瓶から出たのだからといって、花とするようなものだ。『後撰集』だからといって すべてがよい歌だろうと決めてかかるのは、まずその者の まちがい である。秀歌というものがあるにつけ、よくない歌も 己が歌に書きまじへて、見せけるを、 なに心なく 批判して、かへされければ、かの者よろこび、 手をうちたたき、 梨 なし 壼 つぼ の五人より上手なり。 難ぜ し」とて、世上を そしり ありき しと、

『後撰集』の中のわるき歌どもの、人知れぬを、

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