みんゴロ古文出典

読解ポイント 『松浦宮物語』は鎌倉前期の擬古物語で、作者は藤原定家説 が有力。内容は、橘氏忠が相思相愛のかんなびの姫と別れ、 遣唐副使として渡唐し、唐の帝の妹、后などと契りを結ぶと いう夢幻ロマン的な作品。藤原定家は藤原俊成の子で、『新 古今和歌集』を撰た。主な著作に日記『明月記』、歌論『近 代秀歌』『毎月抄』などがあり、 「有心体」を最高の美とした。 ○藤原俊成 → 「幽玄」 → 『千載和歌集』 ○藤原定家 → 「有心体」 → 『新古今和歌集』 出題 : 早稲田大学

年ごろ 戒めを守りて言葉をださねば、おろかに国を乱る 謗 そし り もあらじ。短き心に 大きなることをはかること、ただけふばかりなり。宇文会すでに身を滅ぼして、燕王さだめて手足を 失ふごとくならむ。この時を過ぐさず帰り入らんに、 さらに 防ぎ戦ふものあら じ 。我、蜀山に逃れて、 燕王、政に臨み、人民半ば従ひなば、いまさらに さがしき 山を出でて治まれる国に向かはむこと、 いづれの日にかあらむ。 しかじ 、けふ軍を進めて速やかに長安の道に帰らん には 」とのたまふ。 私は 長年 、戒めを守って政治に口を出していないから、愚かにも国を乱したと 非難されること もあるまい。私の浅はかな考えで、 国 家 の 大 事 を 思 い 謀 る こ と も、 た だ 今 日 だ け だ。 宇 文 会 が 戦 死 し て、 燕 王 は き っ と 手 足 を 失ったような気持ちでいるだろう。この機会を逃さず都に帰還するならば、 決して 防ぎ戦う者はある まい 。私が蜀の山中に逃げ込み、 燕王が都政治をとり、民衆も半ば燕王に服従するようになるならば、時を改めて 険しい 蜀の山中から出て、安定している国にはむかうことは、 いつの日にあろうか。今日、軍を進めて速やかに長安への道に戻るの に越したことはあるまい 」とおっしゃる。

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