みんゴロ古文出典
「年々に春の草の生ひたり」といへる詩、思ひいでられて、これもまた古き塚となりなば、
出題率 0.2 % 67 位 紀行文 作者未詳 東 とう 関 かん 紀 き 行 こう 鎌倉中期 なほ うちすぐるほどに、ある木陰に石を高くつみあげて、 めにたつ さまなる塚あり。人に尋ぬれば、 梶 かぢ 原 はら が墓となむこたふ。道のかたはらの土となりにけりと見ゆるにも、 顕 あき 基 もと 中納言の 口ずさみ給へりけむ、 名だにも よも 残ら じ とあはれなり。 羊 やう 太 たい 傅 ふ が跡にはあらねども、 心ある 旅人は、ここにも 涙をや落とすらむ。かの梶原は、将軍二代の恩にほこり、武勇三略の名を得たり。 傍 かたはら に人なくぞ見えける。 いかなる事にかありけむ、 かたへ の憤りふかくして、たちまちに身をほろぼすべきになりければ、 ひとまど も延びんとや思ひけむ、都の方へはせのぼりけるほどに、駿河国きかはといふ所にて うたれにけりと聞きしが、さはここにてありけるよとあはれに思ひあはせらる。讃岐の法皇配所へ おもむかせ給ひて後、志度といふ所にて かくれ させおはしましにける跡を、西行修行の ついで に やはり そのまま過ぎて行くうちに、ある木陰に石を高く積み上げて、 目に付く 様子の墓がある。人に尋ねると、 梶 原 景 時 の 墓 と 答 え る。 道 端 の 土 と な っ て し ま っ た と 見 え る こ と に も、 源 顕 基 中 納 言 の 口ずさみなさったという、「年を経るごとに春の草が生えている」と詠んだ詩が、自然と思い出されて、これも古い墓となったならば、 名 前 さ え も ま さ か 残 る ま い と 悲 し か っ た。 羊 太 傳 の 跡 で は な い け れ ど、 風 流 の あ る 旅 人 は、 こ こ に も 涙を落とすであろうか。かの梶原は、将軍二代の恩に報い、武勇三略の名声を得た。そのころは並ぶ者がなく思われた。 どのようなことがあったのであろうか、 同僚 の怒りが深くて、たちまち身を滅ぼすようなことになってしまったので、 ひとまず 生き延びようと思ったのであろうか、都のほうへ急いで上っていったところ、駿河の国のきかわというところで、 討たれてしまったと聞いたが、それ(=梶原の討たれた場所)がここであったのだなあとしみじみと思い当たる。崇徳院が配流の地へ お 行 き な さ っ た 後、 志 度 と い う 所 で お 亡 く な り な さ っ た 跡 を、 西 行 法 師 が 修 行 の 途 中 で
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