みんゴロ古文出典

読解ポイント 『東関紀行』は鎌倉中期の紀行文で作者は未詳。京都の隠者で ある作者が鎌倉に向かった道中での体験や感想を主とし、鎌 」が指しているものは崇徳院がお亡くなりになっ み ま ゐ 倉での名所見聞も含めて流麗な和漢混交文で記しており、後 世の道行文(旅をしていく道の情景を韻文の七五調で書い たもの)や芭蕉の紀行文に影響を与えた。

ら ※ からむ 後 は 何にかはせむ 」とよめりけるなど 承 うけたま はる に、まして下ざまのものの事は、 申すに及ばねども、さしあたりてみるに、いとあはれにおぼゆ。 あはれにも 空にうかれし 玉ぼこの 道のべにしも 名をとどめける 見申し上げなさって、「ああ、崇徳院様、かっては玉のように美しい一床でおやすみになっていたのに、このようにお亡くなりになってしまった後は ど う し よ う も な い 」 と 詠 ん だ と お 聞 き し て い る が、 ま し て 身 分 の 低 い 者( = 梶 原 ) の こ と は、 申 し 上 げ る ま で も な い が、 目 の 前 に し て 見 る と、 と て も 悲 し く 思 わ れ る。 ○ああ、気の毒にもむなしく亡くなってしまった梶原は、道の傍に名をとどめたのだなあ。 せ て、「 よ し や 君 昔 の 玉 の 床 と て も か

★「

かからむ

たこと。

: うになりました。 阿仏尼の『十六夜日記』も日記とい うより紀行文と呼べる内容です。

出題 鎌倉時代に入って『海 かい 道 どう 記 き 』 『東関 紀行』などの紀行文が書かれるよ 静岡大学

61 70 第 位 ~ 第 位

253

Made with FlippingBook - Online catalogs