みんゴロ古文出典

出題率 0.1 % 696 位 日記 源 みなもとの 家 いえ 長 なが 源 みなもとの 家 いえ 長 なが 日 にっ 記 き 鎌倉初期 さてもさても、元久三年ことしの 弥 やよひ 生 の七日は、いかなる月日なりけん、摂政殿、夢のやうにて やま せ給ひにしは。六日は参らせ給ひて、世の御 まつりごと 、 ひねもす に申させ給ひ、暮るるほどにぞ 出で させ給ひ にし。さて夜の御ましに入らせ給ひてより、 やがて お ※ どろか せ給はず。過ぎぬるほど、 月星の光もおもだたしく、例に変はれり、など道々の人々も 奏し 申し侍りき。さる事はたちにし月の 二十八日に熊野の本宮焼けさせ給ふ。とり集めたる世の中騒ぎなりければ、 お ※ どろき 思 おぼ し召して かたがた御祈りども 隙 ひま なく 侍るに、それもこたへずや侍りけん、かばかり目に近く、 世の ことわり も過ぎて、申せば うたてき までの事こそ侍らね。七日の あした に例ならず おどろかせ給はざりければ、ちかく 候ふ 女房たち参りて起こし参らせらるるに、 さらに冷えはてさせ給ひてければ、 午 うま の時ばかりこそ、初めて世に ののしり たちて、馬・車の いやはや全く、今年元久三年三月七日は、いったいどういう月日であったのだろうか、摂政殿(=藤原良経)はまるで夢のように 急死 なさってしまった。六日は参内なさって、天下の御 政治 を 一日中 お執り申し上げなさり、日の暮れる時分に 退 出 な さ っ た の だ っ た。そ し て 御 寝 所 に お 入 り に な っ て か ら そ の ま ま 目 を お さ ま し に な ら な い。先 ご ろ 月や星の光も晴れがましいくらいに輝き、いつもと違っているなどと陰陽寮の役人たちも 帝に奏上し ていたのだった。そういう異変は先月 二十八日に熊野の本宮が焼失なさった。いろいろな不祥事が集まったような世の中の騒ぎであったので、後鳥羽院も放っておけないと びっくり なさって、 あれやこれやとさまざまな御祈禱などが ひっきりなしに 行われますが、それも効果はなかったのでしょうか、これほど身近に 世の中の 道理 も越えて、言ってみれば あまりにひどい ほどのことはございません。七日の 朝 にいつもと違って お 目 覚 め に な ら な か っ た の で、近 く に お 仕 え す る 女 房 た ち が 参 上 し て 起 こ し 申 し 上 げ な さ っ た と こ ろ、 すっかり冷たくおなりになっていらっしゃったので、正午ごろになって初めて世間では 騒ぎ 出して馬や車が

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