みんゴロ古文出典

‼ 白河院の命により『千載集』を撰進し、後鳥羽院再興した 和歌所の寄人にも加えられ、歌壇の長老の地位を築いた。家 集に『長 ちょう 秋 しゅう 詠 えい 藻 そう 』がある。 これにて『古文出典ゴロゴ』完走 です お疲れさまでした。 この本で学んだ知識を活かして 入試に臨んでくださいね。 今 の 少 年 の 姿 の ま ま で は、 そ う も い か な い だ ろ う。 そ れ 相 当 の 寺 へ 行 っ て、 法 師 に な っ て、 し っ か り 学 問 を し、 学 識 あ る 僧 に な っ て 戻 っ た よ う な 時 に 逢 お う 」 と 返 事 さ せ た の で、 母 の 女 は 喜 ん で、 こ っ そ り 差 し 上 げ た と こ ろ、 片 袴 を 縫 っ て 与 え た の だ っ た。 読解ポイント 『古来風体抄』は鎌倉初期に藤原俊成(1114~1204) によって書かれた歌論。和歌の美として「幽玄」を提唱した。 藤原俊成は平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人・歌学者・ 公卿。藤原定家の父。数多くの歌合判者を務めたほか、後 出題 : 青山学院大学

無 む 下 げ にその童ざまにては、 さすがなり ぬべし。さるべからん寺に行きて、法師になりて、 学問よくして、 才 ざえ ある僧になりて来たらん時逢はん」と言はせたりければ、 かくと聞きて、急ぎ出で立ちける。「童の着るべかりける袴持て 来 こ 。我縫ひて取らせん」と言ひければ、 母の女喜びながら、 忍び て参らせたりけるを、片袴をなん縫ひて取らせたりける。 それを聞いて真福田は急ぎ出立の支度をした。娘が「彼の着ることになっている袴を持って 来なさい 。私が縫ってあげよう」と言ったので、

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