みんゴロ古文出典

しかし、極めてまれに新説の良いのを聞くと、古説の悪 いところに気づいて直ちに古説を改める人がいないわけで はない。新説に対する世の中の評価が一定し、すべての人 がその新説に従う時代になったときには、最初から旧説を うれしいことよりも、思い通りにならないことのほうが より深く身にしみて思うものだ。だから、うれしいこと

改めて新説に従った人は賢くて聡明だと思われる。反対 に旧説に拘泥する人は、心が愚鈍で、言う価値もない人だ。 を詠んだ歌よりも、悲しみ憂いている歌に趣深歌が多 い。しかし、だからと言って、わびしく悲しいことが優 雅だというのは人間の真実の心だろうか、いやそうでは ないだろう。

大体、古い説は7、8割が悪くてもその部分隠して少 しばかりの良いところを取りあげてできるだけ採用よ とするのに、新説は8、9割良くても残りの12割の悪い ところを大げさに言い立てて採用しない。 が言っているのは、本心に逆らい、利口ぶった心から出 た見せかけの風流で、本当の風雅の心ではない。兼好法 師にはこのようなひねくれた物言いが多い。人間心は、

顔 月の夜に月を隠す雲を嫌ったりするような歌が多い。そ れらは、桜の花は満開の時をのんびりと見たいと思い、 月は一点のかげりもないものを痛切に願うからこそ、思 を妬ましく思って、新説を良いとも悪いとも言わずにその ままにしてしまう人もいる。もっとひどい人は、心の中で は新説を良いと思っているのに、あら捜をして無理やり 欠点を見つけ出し、説全体を否定しようとする。 い通りにならないことを嘆いて歌に詠んでいのだ。 そもそも桜の花に風が吹くのを待ち望み、月に雲がか かるのを願う歌があろうか、あるわけがない。兼好法師

1 位 3 2 位 須 夕 1 2 位 磨 新しい学説を発表する時には、その説が良かろうと悪 かろうと、世間の学者に非難されるものである。新説を 聞く人の中には、自分の意見と違うものを聞くと、考え 兼好法師の『徒然草』に、「桜の花は満開の時だけを、月 は満月の時だけを見るものだろうか、いやそうではない」 とあるが、私はそうは思わない。昔の和歌には、桜は満開、 月は満月を見ている歌よりも、桜の花を散らす風を嘆き、 『玉勝間』二 - 三十 『玉勝間』四 - 七七 兼好法師が詞 のあげつらひ 1 もせずに最初から捨ててしまう者もいる。また新説をもっ ともな意見だと思っているに、最近の人の意見に従うの

江戸時代後期の国学の大成者で、号は 「鈴 すず 屋 のや 」。

54

Made with FlippingBook - Online catalogs