みんゴロ古文出典

亦、荘子、妻と共に水の上を見るに、水の上に大きなる一の魚浮びて遊ぶ。妻、此れを見て云はく 「此の魚、定めて心に喜ぶ事有るべし、極めて遊ぶ」と。荘子、此れを聞きて云はく、「汝は 何 いか で 魚の心をば知れるぞ」と。妻答へて云はく「汝は何で我が魚の心を知り知らずをば知れるぞ」と。 其の時に、荘子の云はく、 「魚にあらざれば魚の心を知らず。我れにあらざれば、我が心を知らず」と。 此れ、賢き事なり。 実 まこと に親しと云へども、人、他の心を知る事なし。然れば、荘子は、妻も 心賢く悟り深かりけとなむ語り伝へたるとや。 また、荘子が妻とともに川を見ていると、一匹の魚が水面近く浮かび上がって泳いでいた。妻はこれを見て、 「あの魚はきっとなにか心にうれしいことがあるのでしょう、のびのびと泳いでいます」という。これを聞いて荘子が、「おまえはどうして 魚の心を知っているのか」と言うと、妻は、「あなたはどうして私が魚の心を知っているか知っていないかがおわかりになるのですか」と言った。 そのとき荘子は、「 魚でなくては魚の心はわからない。自分でなくては自分の心はわからない 」と答えた。 これは賢明なことである。ほんとうに親しい間柄であっても、人は他人の心を知ることはできないのだ。であるから、荘子はその妻とともに 賢明で思慮深い人であった、とこう語り伝えているということだ。

読解ポイント 震旦は中国のこと。震旦は天竺(インド)とともに、古代日本人にとっ て最も代表的な外国である。荘子は中国の思想家でその思想は老 子と同じく無為自然を基本とし、人為を忌み嫌う考えで、 「老荘思想」

11 と呼ばれた。陶淵明や竹林の七賢などの文人が有名。老荘思想は、 孔子の儒教が中国思想の主流でったのに対して、反儒教的で権力 支配に対する批判的な意味合いがあった。 ★「 如 し かじ 」は漢文訓読から生じた形で、「しかじ、~には」のように 倒置で用いられることが多い。訳は「~に越したことはない」。 今回は全体に助動詞と助詞 の訳に注意です。 話全体もなかなかおもしろ いですよね。 心して読みましょう。 第 位 ~ 第 位 20

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